黄金の蚕が紡ぐ夢

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 アドルフは恋に落ちていた。  脆く儚くも美しい姿は、古の伝承以上に尊い存在に思えて、若いアドルフは一目で夢中になった。  核物質に汚染された惑星ドライ、その地下シェルターの最深部で、神職を兼ねた世話係の庇護により、彼らは細々と生きのびていた。  数千年の文明社会を経て、ヒトの手によって完全に飼い慣らされていた。  もはや野生に戻ることは、かなわない。自然界において目につきやすい純白の体表は容易に捕食の対象となり、萎えた脚では食餌となる葉にしがみつくこともできず、成長して羽を得てもなお、飛翔することもままならない。  彼らは自活の道を閉ざされた完全なる家産生物だった。 「アドルフ調査官、至急、会議室へ起こしください。惑星ドライにおける、これまでの調査報告書の件で、レダ管理官より召喚を受けております」  補佐アンドロイドの甲高い声に促されて、アドルフは立ち上がった。  なにかときな臭い事案の多い昨今、辺境星系研究所への締めつけは厳しさを増している。政府系外部機関による特別監査が頻繁に入り、些細な不備を指摘しては、ごっそりと予算を削減していく。  アドルフは表情を引き締めた。過去のデータは揃っている。  壁面に手のひらをかざす。指紋認証をクリアすると、音もなく壁面が開く。アドルフは銀色に光るケースを取り出した。温度や湿度、光線による劣化を防ぐ特注品の保管庫である。  これさえあれば、血も涙もない中央の管理官にも、彼らの素晴らしさが伝わるはずだった。 『アドルフ調査官、ただいま参りました』  補佐アンドロイドの声が響く。スピーカーから聞こえてきたのは、女性のようなハイトーンボイスの鋭い応答だった。 「入室を許可する」  自動的に開かれたドアを通り、アドルフは儀礼的に叩頭した。 「お呼びでしょうか、管理官閣下」  ゆっくりと頭を上げると、作業台の脇に立っている、事務員らしい若い女性と目があった。 「失礼ですが、レダ管理官は、どちらにいらっしゃいますか」 「新任の管理官はわたしだ、アドルフ調査官」  アドルフの胸元にも届かない小柄な彼女が、慇懃に答えた。大きく目を見開いたアドルフは、とっさに声が出なかった。  管理官といえば、優秀な中央官僚の中でもトップエリートだ。これほど若い女に務まるはずはない。いかなる縁故か後ろ盾があるのかは不明だが、レダ管理官の機嫌を損ねるのは得策ではないだろう。  それにしても、中央官僚の組織はここまで腐敗しているのかと考えると、憤りを通り越して情けなくなってくる。 「階級章と辞令を出せば納得するか?」 「いえ、大変失礼いたしました」  レダは椅子に腰を下ろすと、手指を複雑に組みながら切り出した。 「貴君が委員会に提出した、惑星ドライ極東地域に限定的に生息している金の蚕に関する報告書は読ませてもらった」 「はい。黄金色の絹糸を生む、きわめて希少な種であります」 「だが、純粋な血統を残そうと、近親交配を繰り返した結果、繁殖率が下がり、いまや絶滅寸前なのだろう」 「ではありますが、まだ希望はあるのです。西の都にある地下シェルターで、かつての純粋な血統のものが残っているそうです。レダ管理官、お願いです。地下深くに隠れ住む彼らを探しだして保護する役目を、この私に与えていただきたいのです。彼らの血統と、現存する種を掛け合せれば、古代の純粋な血に戻るはずなのです」 「その西の都の血統とやらは、現存種と近いものなのか」 「いいえ、文献資料によれば、百年前に分かれたものだそうです」 「それはもう、別種といえそうだが」 「彼らの金糸は、オスにのみ現れる遺伝です。純粋な血を受け継ぐオスさえ確保できれば、必ずや復活できます」 「蚕が黄金の糸を紡ぐとは、にわかには信じがたい話だが」 「レダ管理官、実物をここにお持ちしました。どうぞご覧下さい」  アドルフは持参したケースから一枚の端切れを差し出した。  それは、かの極東地方に伝えられた宗教に関わるタペストリーだった。彼らが信仰する九柱の神々が緻密に描かれている。長い時を経て、端々が傷んでいるものの、妖しいまでの神々しさは変わらない。 「これがその蚕から織られた布地だと?」 「そうです。大変貴重なものでありながら、長い年月の間に各地へ散逸してしまいました。このタペストリーはきわめて保存状態のよい、稀に見る一級品です。これが染色などではない、純粋な金の生糸でできているというデータも揃えてあります」 「ふん。確かに。貴重であり、汚染から守り、純粋な血統を残したいという貴君の主張は理解できる、が」  レダの碧眼が射抜くようにアドルフを見つめている。反射的に背筋を伸ばして、息を呑んだ。 「貴君の報告書を利用しようという動きがある」 「利用、ですか?」 「中央の、いわゆる政治的な問題だ。オスの血統のみを神聖視して、男性の権利を拡大させようという復古主義、純血主義の者たちだ。彼らからすれば、貴君の調査報告は渡りに船。男性性の優位を証明するものとして利用できる」  管理官の口調はあくまで淡々としたものだった。アドルフの手のひらには汗がにじみ、心臓が大きな音で早鐘を打つ。 「時にアドルフ調査官。貴君は環境社会学者のハインリヒ・ベルグマン氏と昵懇だそうだな」 「ハインリヒ先生とは同郷で、幼少の頃より学問の師と仰いでおりました」 「今朝早く、ハインリヒ・ベルグマンは特務機関によって逮捕された。反テロ法に抵触した疑いがある」 「まさか!」 「ハインリヒの日頃の主張を鑑みれば、そう驚くことでもあるまい。以前から原理的で純粋な血統主義、男性至上主義を説いていただろう」 「どうしてそれが、反テロ法に……」  アドルフの拳は小刻みに震え出す。 「つまり、今回の監査においては、貴君の学術的な調査の価値は認めるが、これ以上の予算は承認できない。西にあるという別系統の種族の調査の申請は却下する」 「そんな……」 「アドルフ調査官。老婆心から忠告させてもらうが、あまり目立つことはしないほうがいい」 「それは、どういう意味で、」 「この蚕という虫は実に美しい生き物だ。彼らの吐きだす生糸はすばらしい。だが、種としてはとうに限界を迎えているのだ。惑星ドライという星が、生き物の住めない環境になりつつある以上、我々が保護したところで、あまり意味はあるまい」  レダの横顔を見ながら、アドルフは目の前が真っ暗になるのを感じていた。だが、ここで引き下がるわけにはいかない。 「どうか、お待ちください、管理官閣下。いま、我々が保護に踏みきらなければ、彼らは本当に滅びてしまいます。それはあまりにも惜しい」 「では、一つ尋ねるが、アドルフ調査官。この惑星ドライという星が、多様な生物の生息に適しない環境になっているのは、いかなる原因によるものか?」 「それは、ドライの住民たちによる自治の機能不全です。政治的な対立が惑星規模の争いを呼び、ついには核物質による汚染が広がることに」 「そうだ。隕石の衝突でも、火山の大規模噴火でもなければ、疫病の蔓延でもない。惑星ドライは自ら滅びの道を歩み始めている」 「だからこそ、我々の技術力をもって、この蚕の保護に当たる必要があります」  レダは指を組み換え、半眼のままため息をついた。 「この宇宙において、いま我々が会話をしている間にも、どれだけの種が絶滅していると思う? 時間も資源も予算も有限のものだ」  不意に、机の上の通信機が明滅しだした。レダは無表情を崩さず、受信機を手に取った。短い会話を済ませると、音もなく立ち上がった。 「現時刻をもって、被疑者アドルフ・リッターの逮捕状が承認された。上級管理官レダ・メイヤーは、被疑者を逮捕、拘留の上、本部へ送還する」 「ま、待ってください。いったい、私はなんの罪に問われているんですか」 「ハインリヒ・ベルグマンの教唆による、反テロ法違反だ」 「う、嘘だ。私はなにもしていないっ。なんで、私に逮捕状なんか」 「被疑者は、裁判にて弁明の機会が与えられる」  抗う暇もなく、アドルフの両手はレダが手にした電子錠によって拘束されていた。 「こんなことがあるものか! おかしい! この国はいったいどうなってるんだ!」 「刻一刻と環境は変化し、政治は動いていく。時代遅れのエセ学者には理解できないかもしれないが」  レダはわずかに口角をあげて皮肉な笑みを浮かべている。机に出したままになっている黄金のタペストリーが、空調の風に煽られてヒラリと床に落ちた。  アドルフは、その場に膝をついた。  裁判の行方はすでに決まっているのだと、頭のどこかで理解していた。
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