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「では、次の回が13時ですから、そちらにしてはどうですか」
と伊織さんが割って入る。
「ずっと持って歩くのは嫌だもん」
「私、持ってましょうか、お野菜見ている間」
と、私が申し出た。
「ええ、輪花ちゃん、いいの? あんまり重くはないんだけど、嵩張るよ?」
「こういうの持ってた方が、カモフラージュというか、同業者とバレないかと思って」
紫藤さんの手から私に紙袋が渡る。ごめんね、と拝まれて、いえいえ、と頭を下げる。と、すっと意外と筋肉質な伊織さんの手が伸び、無言で紙袋を掴んだ。手の甲がかすかに触れてドキリとする。
「私が持ちますよ」
にこっと微笑まれて、何でもないことなのに、心臓が爆発しかけた。
ふ、不意打ちはずるい。
「え、でも」
「本当に軽いですね。私たちは終活セミナーを申し込んできますから、終わったらどこかで合流しましょう」
穏やかな調子で言われると、頭がぽーっとして、そうするのが至極妥当な気がする。普段お客様と交わす会話とさして変わりはないはずなのに「私たち」という言葉が私の体温を上げた。
紫藤さんも異論はないらしい。
「わかった。じゃあ、永ちゃんの携帯にLINE入れるから。よろしくぅ」
と自由になった両手でバイバイをする。
志月さんはぺこりと頭を下げた。なぜか、伊織さんがそれに応じて軽く頷く。
二人が2階へ降りて行くと、伊織さんは、はあ~と肩を落とした。
「すみません、まさか、あの人たちに捕まるなんて思ってなくて」
眉を下げてそんなことを言う。
「びっくりしましたけど、私はちょっと嬉しかったですよ。知っている人に会えてほっとしたというか。伊織さん、志月さんに何か、頼まれてましたけど、それってこのぬいぐるみのことですか」
私が袋を見やると、伊織さんは頷いた。
「やっぱり気づいてましたか。志月さんが言うには、このぬいぐるみをどうしても処分したくないそうなんです」
「どうしても?」
思わず鸚鵡返し。だってそんなに高価ではない、おもちゃのようなもの。こんなに沢山あったらいずれは邪魔になるような気がする。
「ええ。ふたりのデートの思い出が詰まっているから、と」
「記念品のような感覚なんですね」
そういうことなら、まあ腑に落ちないこともない。ええ、と頷く伊織さんはもう少し何か言いたそうだ。
「じゃあ、紫藤さんの気が変わるようにしてくれ、ということですか? 一旦、預けるのを先延ばしにして」
「いえ、それは恐らく無理でしょう。心理的にというよりも、物理的に無理です。あの二人はこれから野菜を大量に買い、おそらく花の鉢植えやらアレンジメントやらを買ってしまいます。しかも自転車で来ているから、タクシーで帰るわけにもいかない。このぬいぐるみたちはここに残される運命です」
「じゃあ、今預けなかったのは?」
「実は、志月さんが手元に残しておきたいのはこの中のひとつだけだそうなんです。他はあきらめられるけど、一番最初に取ったものだけは残したい、と言っていました」
そこまでの思い入れがあるのに、自分で妻を説得しきれず人に協力を頼んでいるわけだ。
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