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小日向さんはスーツケースを受け取ると、礼を言って去り、私は彼の代わりに式場に泊まることにした。父も残ると言い張ったから、今夜はふたりでお線香を交代であげることになりそうだ。
朔太郎と母が帰って、静かになった式場で改めて万里江ちゃんの写真と向かい合う。
万里江ちゃん。
なんだかとっても大変なお通夜だったよ。
正直、くたくただけど、父の気持ちも、小日向さんの気持ちも聞くことができたよ。
万里江ちゃんは、妹としても、恋人としても愛されていた。それは間違いないね。
「お嬢様」
式場の入り口から声を掛けられて、飛び上がるほどびっくりする。
「い、伊織さん」
「ブランケットをお持ちしました」
急きょ泊まることにした私と父。すでに貸布団業者が営業時間外となっていたはずだけど、館内の備品を探してくれたのだろう。
「ありがとうございます」
「お父様はもうお休みですか」
「ええ、仮眠すると」
綺麗に畳まれたネイビーのブランケットを受け取りながら、はた、と気づく。
この広い空間に二人きりだ。
なんか、緊張する。
「さ、さっきのことなんですけど」
伊織さんと真っ直ぐ目が合う。なんだか見惚れるくらい、深い黒い瞳。
「なぜ、あの封筒が家賃だと思ったか、でしょうか」
うそ……読まれている。
「そうなんです。そんなに多いんでしょうか、お葬儀のあとの家賃の心配をされる方って?」
「いいえ。ただ、近隣の庭付き戸建ての相場を知っていただけですよ。失礼ながら築年数からかなりのサービス価格だろうと計算しました。葬儀屋なら物件の相場は頭に入っております。あとは月末が迫っていること、喪主様が小日向様に一時的にお渡しするには半端な金額だと思ったこと、などでしょうか」
それでも充分すごいと思うけど。
「それよりも、お嬢様。本日はよくお休みください。お線香は長いものを藤原に用意させましたから」
「はい」
滲み出る気遣いに、温かいスープを飲んだような気持ちになる。
「伊織さん、本当に、ありがとうございました」
「いいえ。明日も宜しくお願い致します。それから、その年賀状についても、お調べしてまいりますので」
「調べるって?」
伊織さんは少しためらいながら、
「まだ、確証はないのですが……『季節を飛び越える』というのは恐らくお花のことだと思うのです。明日のご出棺までにお伝えいたします」
と答える。でも、これって調べればわかることなのかな。まさか何か、有名な文学作品の引用とか?
でも、今から調べるなんて大変過ぎないだろうか。
もちろん、知りたいけど。
「わかるんですか?」
「謎を残したまま、ご出棺はできませんから」
では、と万里江ちゃんの写真の前に進み、線香を一本手向けたあと。
謎を残した張本人に合掌し、深々と頭を下げた。
「それでは、おやすみなさいませ」
振り返って言われた声が、ほんのり甘く感じてしまったのは、やっぱり私の自意識過剰だろうか?
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