2.ひとり、ふたり

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「これでお別れです」  優しい声と共に、しっとりと温かく濡れた唇が、私の唇にゆっくり重なる。   「伊織さん……」  私の肩を軽く抱くと、彼は背中を向けて真っ暗な崖の道を歩いて行こうとする。  そっちは危ない。  道は細いし、一歩踏み外せば底の見えない闇に堕ちてしまう。  遠ざかる背中を追いかけたいのに、足がすくんで動かない。  しっかりしろ、輪花! 「戻ってきて、行っちゃだめ。伊織さん!」  叫んだ途端、暗い空からひゅううっと風が吹き付けた。  顔面にばさっと厚みのある何かが飛んでくる。 「むぐ!」  息ができない!   「ううう……うああっ!」  悲鳴にならない声をあげて目が覚めた。   枕をどけ、目をこするとぼんやりと薄暗い天井が見えた。私は布団のなかにいて、当然、伊織さんの姿はない。そのかわり、呆れたような声が飛ぶ。 「悪夢でも見た? あたし、もうヨガ行くからね」  はあ、息を吐きながら枕をどける。体を起こすとスタイルのよい親友が鏡に向かっているのが目に入った。あれ、ここは……。  周りを見回すと、ここは紛れもなく、我が友、池田菜々子のワンルーム。  夢かあ。  がっくりと肩を落とす。夢の緊張感がじんわりとまだ体に残っているけど、考えれば当たり前のこと。  伊織さんとは、万里江ちゃんの葬儀以来、会っていない。  そして、別れのキスの正体は彼女の愛犬、ユキサブロウ。  小型の雑種でもこもこした白い毛並みがかわいい。菜々子が投げた枕に驚き、今はローテーブルの下に隠れている。朝のあいさつをしただけなのに、とばっちりだ。かわいそうに。 「朝ヨガ何時だっけ」 「7時半。すぐ戻るから、ふたりで仲良くお留守番しててね」  ヨガ講師ライセンスを取るべく奮闘中の菜々子は、髪をきゅっと結い上げるとヨガマットを肩にひっさげ玄関を出て行く。  昨夜は彼女と日付が変わるまでガールズトークを楽しんだ。伊織さんのことも、たっぷり話してしまったから夢に出てきたのかもしれない。  布団から抜け出し、洗面台を借りて顔を洗った。    私、葬儀アシスタントになる。  昨夜ビールを片手にそう言った瞬間、菜々子は、はあ? と呆れ、大反対した。
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