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「こちらです」
式場はエレベーターを降りて、まっすぐ正面だった。大きな叔母の写真が飾られた祭壇を目にすると、これが現実なのだという痛みが降り注ぐ。そしてその祭壇よりずっと手前、式場の隅の席にいる男性に、
「喪主さまがご到着されました」
と伊織さんが声をかけた。
「あ……」
口をぽかんと開けたまま、若者はこちらを振り向いた。
ライオンのたてがみのようにバサバサと広がる髪を揺らめかせ、若者はぴょこりと立ち上がった。彼も伊織さんに負けず背が高い。バスケットボール選手のような堂々とした体躯。眉が太くて日焼けした男らしい顔立ちは、まだ20代に見えた。
服は黒い長袖のスウェットに、ダメージデニムとカジュアルだった。
「すみません、万里江の……万里江さんの通夜をここでするとお聞きして」
のろのろとした話し方が特徴的で、私は彼が誰だか思い出した。
「あの、小日向さんですか?」
前に会ったことがある。当時は叔母の恋人だった。関係性が変わってなければ、ほぼ同棲していたはずだ。
「はい。小日向夏也です。御無沙汰いたしまして」
彼もずっと泣いていたのだろう。喉の奥が詰まったような声だ。父も彼のことは、万里江さんから聞いていたらしく頭を下げた。
「どうも。海外にいらっしゃるとばかり思っていたので」
「こちらこそ、突然すみません。倒れたときにも、ホテルに伝言を残していただいたのに、予定が変わってしまって……結局間に合いませんでした」
憔悴しきった様子で、口元を抑えた。
「お父さん、連絡したの?」
私の問いに、
「ああ。風邪で最初に倒れたときにな。万里江に頼まれて、小日向さんが滞在しているバンコクのホテルに電話したんだ。直接は話せなくて、伝言を依頼したんだが」
「買い付けの予定が変わることはあまりないんですが、今回はいくつかトラブルがありまして。定宿に帰れないことが何度かあったんです」
小日向さんは、世界中の小物を取り扱うセレクトショップを営んでいる。私も一度見せてもらったことがあるけれど、ビーズ刺繍の綺麗な服など、思わず手に取りたくなるものばかりが並んでいる。
2ヶ月くらいに一度、買い付けに旅に出る、という気ままな暮らし方は、万里江ちゃんの生活ペースにもあっていたようだ。いや、初めて彼と会ったとき、彼は万里江ちゃんを「人生の師匠みたいだ」と言っていたから、恋人であり、お手本だったんだろう。
自分の不在の間に散ってしまった美しい人を思う彼は、ハンカチを取り出す代わりに、小さ目のタオルで顔を覆った。私もタオルにすればよかった。ハンカチじゃ、全然涙をぬぐい切れない。
「伝言を聞いたのが一昨日の夜でした。全ての予定を中止して戻ってきたのですが、間に合わなくて」
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