1.あなたのいた季節

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「納棺の儀式をこれからするのですが、立ち合われますか」  父は静かな声で尋ねた。   「勇気がありません。ここで待たせてください」  と小日向さんは首を振った。 「宜しければ、奥のお席でお茶をお出しします。いかがですか」  伊織さんがさりげなく切り出す。 「では、そちらで待たせていただきます」  こちらへどうぞ、と伊織さんが小日向さんを連れて式場の側面に伸びる廊下へ消えた。   「花、きれいだな」  ぽつりと父が言った。祭壇はチューリップにフリージアなど、春の花で彩られている。父も万里江ちゃんの好みはわかっているが、さすがに夏の花をリクエストする暇はなかったろう。  中央辺りに菊の花が放射状に並べられ、中央に写真と、本尊の絵。その下に白い大きな台があり、茶碗に盛られたごはんとお団子が左右にバランスよく置かれている。  年賀状や写真をどこに飾れるかと考えていると、伊織さんが戻ってきた。 「お飾りするものがございましたら、宜しければこちらでご準備致しますが」    私の下げていた紙袋を見て、すぐに申し出てくれる。 「ありがとうございます」  私が袋を手渡すと、大切そうにそっと両手で支え持つ。  朔太郎が、   「トイレってどこっすか?」  とやや横柄な口の聞き方をしても、 「お廊下の突き当たり、右側でございます」  と廊下の始まるところまで移動して方向を示してくれる。腰は低いが、卑屈ではない。なんだか優秀な執事のイメージだ。若いのに、すごい人だな、と思わず動きに見いってしまう。所作の細部にまでいやみのない緊張感が宿っている。    そんな伊織さんに、親族控え室へと案内してもらう。  エレベーターの左側にある広い和室。式場は土足なので、和室の入り口は靴を脱ぐ玄関のようなスペースがあり、なかにはトイレとシャワー室、簡易の流し台と冷蔵庫も備え付けられている。襖の中は押し入れだろう。正面奥に大きな窓があり、障子の格子がはまっている。 「母さんもここで着付けてもらえばよかったのに」  と父がつぶやく。確かに広い部屋だが、母は馴染みの着付け師と美容師の方がよいに決まっていた。あれこれ注文せずとも、体型も好みもわかっているから楽なのだ。 「でも、着替えるとなるとみんな入りにくいんじゃない?」 「まあ、そうか」 「喪主さま、こちらがお部屋の鍵でございます。ご貴重品は必ずお手元か、こちらの金庫をご利用ください」  伊織さんが流れるような動きで、押し入れの襖を開ける。下段に耐火金庫が入っていた。 「金庫の鍵も、お部屋の鍵と一緒に付いております」 「じゃあ、現金は一度ここに入れておいてもいいですか」  と父が言った。葬儀代金の前金や僧侶に渡すお布施だろう。 「ええ、鍵の管理は皆様でお願い致します。スタッフがお預かりすることはありませんので」  微笑む伊織さんの言葉のうらには、金品の紛失をスタッフの盗難だと言い出す客の存在が透けて見えた。もちろん、父がそんなことをするとは思っていないだろうが、ひとこと告げておくことで予防線になる。  父は、クラッチバッグから封筒を出して中へしまった。その間に私は備え付けのティッシュで洟をかむ。朔太郎がちょうどトイレから戻ってきた。 「まだ少し準備に時間がかかりますので、こちらか、お清め場でお待ちください。またお声掛けに参ります」  伊織さんが退がる。 「ふーん、ここって一日1組しか葬儀やんないんだ」  館内のしおり、というファイルを開いて朔太郎がつぶやく。確かにエレベーターのボタンも3階まで。1階がエントランスホールと駐車場。2階が式場、控室、お清め室、それから僧侶の控室。3階が事務所と調理室。地下に霊安室と湯灌室。それぞれの階にはエレベーターか、階段で移動するようだ。非常口は、トイレのあった廊下の奥に、外付けの階段があるらしい。伊織さんの目がないのをいいことに、私は控室を出て、非常口を確かめに行く。地震や火災で逃げ遅れるなんてごめんだから。  トイレは廊下の右側、非常口は左側にあった。くもりガラスの扉で、鍵が開いている――というか、段ボールを二つ折りにしたものが挟まれていて、わずかな隙間が空いていた。通気用だろうか? 外はどんな感じかな、と、さっと押し開けると、 「わ!」  すぐ外に、タバコを咥えた年配の女性がいた。
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