百年の絆

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 賢斗の姿が完全に消えると弥彦はしばらく(くう)を見つめていたが、やがて立ち上がり、勝利に喜ぶ仲間が待つベンチに戻っていった。  一九一二年、ストックホルムオリンピック。  日本人初の短距離走(百、二百、四百メートル)選手として出場した三島弥彦は、もともと当時としては珍しいスポーツクラブ「天狗倶楽部」に所属し、野球の他にも様々なスポーツに親しんでいた。  しかし、オリンピックでの惨敗を機に、走ることから、スポーツから、距離を置いていた。  サンフランシスコで、弥彦をオリンピック選手だと知る者はいなかった。アメリカ人に取ってみれば、弱小国の選手など、名も顔も、覚える筋合いはない。  それでよかった。大好きだったスポーツとは無縁の生活を、ここアメリカの地で送るつもりだった。  だが。 「なあ、来月もこのメンバーで野球をやらないか。冬になったら、スキーもいいな!」  仲間たちに語りかける弥彦の表情は、幸せな笑顔に満ちていた。
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