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が、小学二年生の時、担任の先生から習った「お百姓さんが汗水垂らして作ったお米を一粒も粗末にしてはなりません」という教えを金科玉条として頑なに遵守する彼は、「けれども、食い物を粗末にしたら駄目だ」と思い直し、残ったアイスコーヒーと水で流し込みながら自分の分を食った序に奈美の分も食ってしまった。流石に奈美の残したアイスコーヒーには手を付けなかったが・・・もし、ストローに口を付けでもしたらその瞬間、彼は志村けん演じる「好いよなおじさん」と化して、「アイスコーヒーは好いよな」と言っては奈美の残したアイスコーヒーのストローを口に銜え、ちゅっちゅちゅっちゅと吸ったかどうかは、いざ知らず、彼は食った後、「そうだ、煙草が有ったんだ」と今更、気づいて、「いい女の前で煙草を吸う余裕すら無かったか」と独り言を呟いて苦笑し、一服しながら平静に戻って思った。「それにしても幾ら梲が上がらない男だと言っても出会ったばかりの年上の男に対し何で平気で目をしっかり合わせた儘、タメ口になったり嘲笑って見せたり侮言を吐いたり子供をあやすかの様な口調になったり出来るのであろう。所詮、金に目が眩み玉の輿を狙い男を経済力だけで量る強突く張りで見る眼の無い見て呉れに自信を持つ高慢ちきな女という者は、経済力の有る男しか尊敬出来ないのだ。だから経済力が無いと見るや、中身を見ようともせず、平気で尻目に掛けたり出来る訳だ。この世は男は経済力が有る男が偉くて女は綺麗な女が偉いと相場が決まっていて僕は身分不相応にも偉い女を望んでしまい馬鹿を見た訳だ。僕は決して手に入らない物を手に入れようとする矛盾を冒していたのだ。何せ、あの手の女は、と言うか、これは現代病で、あの女に限った事ではなく現代人は猫も杓子も拝金主義で物質主義で成功主義で成功と幸福とを同一視していて単純に社会的に成功して金が有る程、幸福になれると思い込んでいる所へ持って来て、あの女は玉の輿に乗れるだけの美貌を持っているから僕みたいな男とは端から一緒になろうとする気はないのだ。嗚呼、この世が、『君子は義に喩り、小人は利に喩る』という論語を肝に銘じ拳拳服膺し弁別し君子を目指す人許りなら道義心を養った者程、偉いという事になって僕が馬鹿を見る事にはならないのだが・・・こんな事を人前で言ったら、お前は偽善的だ!虚栄的だ!独善的だ!って思われるだろうなあ・・・まあ、どう思われようが、僕は義を重んじる事においては人後に落ちない積もりさ」
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