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幸吉 1
幸吉が、それを失くしたことに気づいたのは、連隊の寄宿舎に戻ってしばらくしてからのことだった。
彼は制服のまま布団に倒れ込み、そのまま明け方まで泥のように眠っていた。
だから、金ボタンが無くなっていた……しかもふたついっぺんに失くしていたのに気づいたのは、翌朝はやくのことだったのだ。
『 白井先生
(前略)
先生にご教授頂いた日々がすでに懐かしくもある今日この頃であります。
しばらくお返事できなかったこと、平にお許し下さい。
実は謹慎を喰らっておりました。
私は以前より粗忽な面を多々持ち合せておりまして、歩けば肥だめに落ちかかる、荒ぶった馬に不用意に近づいて蹴られる、苦心した報告書を間違って薪ストウブにくべてしまう、等々、失敗続きでありました。
そこに、今回束の間の休暇時、支給された制服の金釦をふたつも逸してしまったという大失態を演じまして、申し開きもできぬ状態でありました。
ありがたきことに、今回失くした釦につきましては無事、再配給され、今では、制服も寮母殿に直して頂き、元のようになりました。
……
幸吉は、ペン先を舐め、わずかに目を逸らして屋根近くの嵌め殺しの丸窓を見上げ、しばらくの沈思黙考の末に、また便箋に向き合った。
……
先生にまずいっとう先にお知らせせねば、と父母より先に、筆をしたためた次第です。
……
本当は、知らせたのは白井先生が一番ではなかった。そこを厳密に記すと先生をむやみに心配させることになるだろう。激怒する可能性もあった。
そこまで踏み込んで書くこともあるまい、と幸吉はペンを走らせる。
……
実は、出撃の命が下り、明日出立が決定いたしました。
まず思い起こすのはわが師の恩、というわけでありまして、寒村の四男に生まれ育ちし私にとって、白井先生の教えはまさに、雷電のごとく衝撃的であり、慈雨のごとく心に沁み入るものでありました。
しかし私はまだまだ未熟者であります。
先日金釦を失くしたのも、我が未熟さが招いた顛末でありました。
……
幸吉はまた束の間、目線を紙から外す。
ふいに美和子の瞳が脳裏をよぎり、ずきりと胸が痛んだ。
美和子は父親に、あのことを話してしまったであろうか?
父親は、手紙と娘の話との矛盾に気づき、彼女を責めるだろうか?
なにしろ、白井先生は早くに奥様を亡くされてから、厳格ながらもたった一人の娘を慈しみ育ててこられたのだから。
いや、と幸吉はひとりでかぶりを振る。
美和子のことだから、自分とのことも、全く話していないであろう。
あの城跡であった出来事も。
頬が暖炉で炙られたかのようにかっと熱くなって、幸吉は冷たくなった指先で強く頬をこする。
傍からみたらどんなにか奇妙であろう、とあわてて辺りを見回してみるが、同室の連中は歓談室からまだ戻っていないようで、部屋はしん、と静まり返っているのみだった。
彼は、そっと息を吐いて、また、書きかけの便箋に向き直った。
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