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城址にて 2
美和子がつぶやくように言った。
「父が、何と言ったか忘れたのですか?」
今度地面を向いたのは幸吉の方だった。
美和子の父である白井先生は、ただ一つ、こう言ったのだった。
「生きて、繋げよ」
―― 生きるとは何だろう?
幸吉はそのことばを聞いた後から時おり思い出しては反芻して悶々とした時を過ごしたのだった。
自らの命が絶えても、生きることはできるのだろうか?
それならば、どのような手立てで?
必ず死なねばならぬ、この場でいかに繋げられるのだろう?
もの思いにふけっていた幸吉は、またいきなりしがみつかれて足もとをふらつかせた。
「やっぱり」
今度は、前から。
幸吉は息を止めていたに違いない。時間すら、止まっているかと思われた。
「やっぱり、行かないで」
「美和さん……」
美和子が胸元に、すっぽりと幸吉の両腕の中にすべて収まっている。
生まれてから初めて、起こってほしいと願っていた奇跡の、あまりにも急な出現に彼の頭の中はすでにまっ白になっていた。
じぶんの声すらどこから出ているのか、はっきりとしない。
それが自身の声なのかどうかも。
ただ分かるのは、その重み。そして、細かな木漏れ日が彼女の頭の上でちろちろと動いていることしか。
命を持った輝き、金色のひかりの欠片が、踊っている。
ひかりに目を奪われながらも幸吉は何とか声を発した。
「よしてください。行かねばならないのは、どうにもなりません」
「なぜ」
目のすぐ下、美和子の肩はよわよわしく震えている。しかし、掴んでいる腕の力は恐ろしいほどだった。
彼はじり、と後ろに下がる。かかとが柔らかい土にわずかに食い込み、その後ろにすでに地面があるのかは、彼の預かり知らぬところとなっていた。
「なぜ、どうにもならないのですか」
「上からの命令なのです……大切な」
「私よりも、大切なのですか」
はい、とも、いいえ、とも答えられなかった。答えはひとつしかないのに、彼にはどうしても、口を動かすことができない。
その代わり、両腕にせいいっぱいの力をこめて、彼女を抱きしめる。
永劫の時が流れたかと思われた。
その後の記憶が、彼にはさだかではない。
気づいたら寄宿舎で朝になっていて、着たきりの制服から金ボタンがふたつ、失くなっていたのだった。
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