ゾンビ=愛の証明

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鋭い弾丸が埃を散らせて、宙を割いた。 銃声音が倉庫に轟く。 それは一瞬のこと。 弾丸が私の身体を貫いた。これは比喩でも何でもない。言葉の通り、私は銃によって撃たれたのだ。 錆びた鉄材と火薬の煙が嗅覚を刺激する。その匂いが、現状を夢ではないと確信させた。引き金を引いた男の走り去る足音が、まだ微かに聞こえる。 もし、今これを読んでいる人が、その男は何者かと犯人捜しを始めるなら一旦落ち着いてほしい。 拳銃を向けたのは、私の彼。私の愛した恋人。彼氏が撃ち抜いたのだ。それも堂々と正面から。 一見、酷な話にも聞こえるが、一方で仕方のないことでもある。何せ、私はゾンビになってしまったのだから。 枯れた紅葉が足元に吹かれる頃、大学生だった私たちはサークルでの出会いを機に交際を始めた。 付き合った理由として、互いに映画研究会に所属していて趣味が合ったこと、それは当然含まれることには間違いないが、私は何よりも彼の淡白な性格に魅了された。 彼は先輩に怒られても、私と喧嘩をしても1時間後には何事もなかったかのようにさっぱりと忘れて元通りに過ごせる。そんな切り替えが早くて執着心の欠片もないところが、執拗な性格の私にとっては凹と凸が合わさるようですごく心地よかった。 交際は大学を卒業してからも継続し、26歳となった今、私は言葉にこそしていなかったが彼との結婚も意識していた。彼となら生涯やっていける、そういう確信めいたものがあった。そして何よりも愛していたのだ。 だが、ゾンビの脅威はそんなときに限って襲ってきた。 この街にゾンビが蔓延するようになったのは、つい100日前のこと。突如として街に現れたゾンビは住人を次々と襲い、その感染範囲は時間とともに広域へと拡大した。 今ではいたるところに徘徊していて、この辺りの街は人間とゾンビのどちらが多いのかも分からないほど。 未感染の人間たちは生き延びるため、希望的観測による安住の地を求めて必死に逃げた。それは張り詰めた緊張感の中、生死の境という名の綱渡りをしているようだった。 そんな中で、私が何とか人間として生きているのは、彼と2人で協力し合って脅威から逃れてきたからである。泥をすすり、地を這いつくばって、みっともなく生にしがみついてきた。 いっそのことゾンビになってしまった方が楽なのではと何度となく過ったが、それを堪えられたのは彼がいたからだ。愛する人が傍にいる、それだけで人間でいることへの望みが途切れることはなかった。 とはいっても、こんな世界なのでいつゾンビになってもおかしくない。すでにゾンビが襲来してから100回目の夜空を眺めている。日に日に増えているゾンビの数。今後、今以上に逃げるのが困難なのは目に見えていた。 ゆえに、私たちは相応の覚悟をして、1つの約束を交わしていた。 『もしも、どちらかがゾンビに感染したら、ちゃんと殺すこと』 ひどく残酷だが、愛しているがゆえの決意である。もしも、自分がゾンビに成り果てた上に、愛する人までも感染させてしまっては死んでも死にきれないし、そもそもゾンビになっては簡単に死ぬこともできない。 そんな最悪の悲劇を引き起こさないためにも、私たちは約束したのだ。これだけは守ろう、と。 そしてついさっき、私は背後から近づくゾンビの存在に気づくのが遅れてしまった。何気なく振り向いたときには、すでに手の届く距離まで近づいていたのだ。視界に入った瞬間すぐに離れたが、僅かに逃げ遅れた右足を噛まれた。傷自体は浅かったが、段々と体が重くなり、高熱にうなされるように呼吸が苦しくなる。徐々にではあるが、ゾンビに蝕まれているのが自分でも分かった。 そして倉庫の周辺で見張りをしていた彼が戻ってきた。彼は私の元に来るなり、「まだゾンビが来る気配はない。もう少しここでゆっくりしよう」と言ってきた。 安心した微笑みを浮かべる彼は、ゾンビに噛まれた瞬間を目撃しておらず、私が感染してしまったことには気づいていないようだった。 なので、ゾンビに噛まれたことを私自身が黙秘すれば、もう少しだけ彼と一緒にいることができるのだ。人間の体裁を保っている間だけは。 当然、もっと一緒にいたかった。ずっと2人で逃げたかった。この世界からゾンビが消えたら2人で結婚式を挙げたかった。 だけど、私をそうさせなかったのは、他の何でもなく愛である。彼を愛している、ゆえに彼を苦しませたくない。幸せになってほしいと心から望んだ。 だから、私は正直に伝えることにしたのだ。 「ねえ、聞いて。私、ゾンビに噛まれたみたいなの」 「え?」 私は証拠の傷を見せるべく、彼に見えるよう足を出そうとした。 だが、そのとき。 一瞬だった。 まるで西部劇かの如く引き金を引き、彼は息をつく間もないほどの早撃ちで、私を撃ち抜いたのだ。 銃弾は私を貫いた。 そして彼は逃げるように振り返って、慌てて倉庫を出ていく。彼の後ろ姿が、次第に小さくなっていった。 倉庫に一人取り残された私。徐々にゾンビに侵食されながらも呆然としていた。 そして思った。 『もしもどちらかがゾンビに感染したら、ちゃんと殺すこと』と確かに約束はした。いや、確かに約束はしたが、それにしても殺すのが早すぎないだろうか。 ゾンビ感染者からはすぐに離れないと危険なのは、私だって充分に分かっている。彼の行動自体を間違っていると言うわけではない。だけど、こちとら彼女だ。ゾンビに噛まれたとはいえ、余韻も見せずに早撃ちしなくてもいいだろう。 まだ完全なるゾンビになっていないのは、喋れている時点で分かるはずだ。まだ変化の過程段階である。にもかかわらず、彼は「え?」という声を漏らした次の瞬間には、引き金を引いて銃口を向けた。少しくらい躊躇してほしかった。 大概こういう場合は、最後に愛の言葉を残して、涙を滲ませながら泣く泣く撃つのが世の道理。私は映画研究会でゾンビ映画を観まくったときに、そう習った。 だが、それに反して彼は無言で撃ち抜き、泣くよりも先にそそくさと倉庫から逃げた。それは私がゾンビになったことを悲しむよりも、自分がゾンビになることに怯えていた何よりの証拠である。 加えて、ゾンビ映画では「殺して」と頼んでから2、3回断り、その後で止む無く殺すのが、愛を証明する方程式になっている。だが、彼は断るラリーをするどころか、私の行動を遮るように撃った。 それが長年付き添ってきた彼女に対する殺し方だろうか。ゾンビになったからってあまりに無慈悲だ。最後くらい愛を滲ませドラマッチックに殺めてほしかった。 それと彼はひどく焦っていたのか、撃つ瞬間に狙いを狂わせ、私の胸部を銃弾で貫通させた。ゾンビが頭部を撃たないと死なないなんてのは、映画研究会、ならびにこのゾンビ社会なら一般常識である。そのくらい彼は離れたかったようだ、ゾンビに感染した私から。 つまりのところ、私は殺めてももらえず、不本意にゾンビとして生き残ってしまったのだ。こんなことってあるだろうか。 私は頭を悩ませた。 今後どうすればいいのだろう。今まで憎かったゾンビに、自分がなってしまうなんて。 そう考えていたとき、ふと思いついた。 こうやって考えることができるのは、まだ私に人間としての自我があるからだ。それなら、まだ人間である僅かな間に思い残すことをやった方が良いのではないのか、そう思った。 思い残したこと。 執着心の強い私の頭に浮かんだのは、彼への復讐だった。 自分の死に際で見せた最後の態度には、幻滅する他ない。そして愛の欠片も見せず、無慈悲に殺そうとした彼に、私は執拗な嫌がらせしたくなった。 今の彼が一番嫌がること。 それはきっと、ゾンビになることだ。別れの言葉を残す時間さえも惜しんで逃げるくらいだから、人間として生き延びたいと相当に望んでいるはず。 彼がそう思うほど、彼をゾンビにしてやりたいという復讐心が私の中で溢れた。 奇しくも、私の人間としての最後の望みは、ゾンビの本能と一致したのだ。 なので、私は少しずつ自分を蝕んでいくゾンビに身を任せることにした。きっとゾンビになった自分が役目を果たしてくれるはずだから。
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