トキカネ―金色遊歩録

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 針が三度廻る。今日も今日とて街を往く。相変わらずしばしば集まる視線が気にかかる。前回の反省で、今度は蒼を基調としたワンピース状の服を身に纏っているが、これでもやはりわたしの身なりはおかしいのだろうか。まるでもやのかかったような、正体の掴めない謎は気持ちのよいものではない。  道中、三度男性に話し掛けられた。内容はいずれも何処かに茶に行かないか、というものであり、おまけに共通して異国の者でもないのに金髪だった。まるで萎縮か緊張に似た反応が見られたが、いったい何だったのだろうか。特別暑い日でもなければ、わたしからプレッシャーを放っていたわけでもないが。  ともかく、その時の返事として、茶は昨日行ったから必要ない、とすっぱり断った。そして皆揃ってしつこく追い縋るので、つい反射で金的に蹴りを叩き込んでしまった。一応謝罪の言葉を述べたとはいえ、我ながら乱暴だったと反省している。わたしの数少ない知人ならば、もう少し丁寧ないなし方を見せたのだろうが、生憎とわたしはそこまで器用でない。  …つい先刻、近況報告として数日前からマネーゲームに赴いたそのバカ女と連絡を取れていた。なんでも二、三日で連戦連勝を重ね、カネでプールが泳げると嘯いていた。現在はどんな顔をしているのかと想像したが、あのモデル顔負けな整ったパーツをふんだんに用いて、品性の欠片もない俗物の表情を浮かべていると考えただけで、なんとも言えない笑いが込み上げてくる。  …冗談はさておき、わたしはどれほど歩いただろうか。街並みを眺めながら往けば、気が付くと少しばかり開けた場所に出る。緑が植えられた公園のようだ。沓もやや磨り減ってきたので、近場に設置されたベンチに腰を掛ける。首から下げている懐中時計を見れば、おおよそ三十分。無駄な時間ではないが、次に赴く場所の宛を探し歩く事もそれなりに疲労が溜まる。わたしは効率を重視し過ぎるタイプではないが、あまり無計画な時の浪費は流石に避けたい。  さてどうするか、と思案していると、やや温い風にさらされる足に、唐突に粘性のある感覚が走り、思わず跳び跳ねてしまう。足下へ目を配ると、一匹の犬がそこにいた。茶色掛かった金の長い毛並みが特徴的で、犬種は記憶が確かであれば、フラットコート・ゴールデンという種だ。まだ一才に届くかどうかの子犬のようで、両の手で抱えられそうな小ささだった。よく見れば首には赤い首輪が付けられている。この犬も、歴とした何処かの家族の一員ということだ。  子犬はまるで藁にもすがるような思いでこちらの足を舐める。少しばかり犬の口臭で鼻が曲がりそうになるが、だからといって邪険にする道理もない。わたしは子犬を抱き抱え、ベンチを立つ。  首輪の裏には油性のペンで書いたと思われる、何処かの住所を示していた。この自然公園からさほど離れてはいないようだ。その前に、元気のない様子のこの犬のために住所とは別の、先程までの道へ戻る。五分もしない内に目的地にたどり着き、そこの扉を叩く。散策中に道の施設を把握していたことが上手く働いたようだ。やはり集まる視線を受けながら、しばし店内を散策し、そこで適当に選んだ金色のパッケージの商品をレジに持って行き、書かれた通りの対価を払い手に入れる。  流石に店内や道すがらでは邪魔になるであろうという配慮から、再度来た道を戻り、自然公園に着いたところで買ったばかりの商品の包装を破き、中に目一杯詰め込まれたドッグフードを与える。子犬は今までのしょぼくれていた様子が嘘のように吹っ飛び、一心不乱にご飯を貪る。あっという間にすべて平らげると、満足げにごろ寝をし出す。…この犬、意外とふてぶてしい。再び歩き出すまで時間がかかりそうな為、もう一度抱き抱えて今度こそ自宅まで送り届けんとその場を後にする。  …が、いかんせん慣れた道のりではなかった為、すんなりとたどり着けずに回り道を繰り返し、気が付くと足下がかすかに赤みを帯びていた。空を見上げると、茜色が差していた。太陽は地平線の先で月と交代の準備を整える真っ只中で、これ以上手間取ると辺りは真っ暗闇を迎えてしまう。幸運なことに、この子犬の世話になっている御宅は一軒家だった。もしもセキリュティの整ったマンションであればさらに面倒を被っていたところだった。  しかし、ここで先刻に続いて些細なつまずきが。インターホンを鳴らせど、反応が見られない。念のため嗅覚を研ぎ澄ませるが、鉄の臭いがしないうえ、子犬も先程とは異なり、やけにおとなしくしている様子を見せている点から事件性もない。三分ほど返事を待ち、無反応であった時点で留守中という結論に落ち着いた。そうそう幸運は続かない、ということらしい。  仕方なくこの犬だけでも置いていこう、と思ったその時だった。腕の中で大人しくしていた子犬はいきなり吠え出す。威嚇の意図ではない、わたしの足を舐めた時と同じくは必死に呼び掛ける意思だ。吠え続ける方へ向くと、夕陽に照らされた一団が、こちらを見つめていた。子犬は彼らを見るや否や、兎もかくやというふうに跳び跳ね、胸に飛び込んでいった。その行動だけで、彼らは子犬の家族だと理解するには充分だった。  再会に喜ぶ家族らの端で、わたしの姿を見ると、顔を青くして反射的に股間に手を回す、どこか見覚えのある金髪の男が妙に印象に残った。…悪いことをしてしまったなと苦笑しつつ、これで借金は帳消しとしよう。家族の一団はお礼を述べる。わたしはそれに対して、一言だけ返した。…礼はいらない。ただ、自分のことを覚えてくれるならば、それだけでいいと。  時は風化する。輝くような思い出も、やがて泥のように曖昧になっていく。だから、わたしは残さなくてはならないのだ。針が進む度に、最後の暇が近づくにつれて、わたしはあらためてそう思う。  その日は、家族の再会に黄金を支払った。
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