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「それじゃあ太一、卵を割ってくれる?」
「うんっ! ぼくね、たまご割るのじょうずなんだよ!」
「そうかそうか。じゃあ、ここに一つ割ってね」
「はいっ!」
小さめのボウルと、冷蔵庫から取り出した卵を一つ手渡す。子供用の踏み台に昇った太一は、その卵を小さな手で持ち、こんこんと慎重にひびを入れてから上手に割り落とした。
「へえ、本当に上手だ。パパよりよくできてる」
「えへへ! このまえ、ママもほめてくれたよ! ねえこれ、まぜてもいい?」
「うん、いいよ。よくかき混ぜてね」
「はいっ!」
元気よく返事をした太一は、俺の背中にいる結に「おにいちゃんが割ったんだよ」なんて話しかけながら卵をかき混ぜている。結の表情は俺から見えないが、きっとにこにこと笑っているのだろう。楽しそうに体を揺らしている。
その間に玉ねぎとにんじん、それに太一の好きなウインナーをみじん切りにして、熱したフライパンにどばっと放り込んだ。軽く塩胡椒を振って炒めていると、隣で卵をかき混ぜていた太一のお腹の虫が鳴る。
「あはは、お腹すいた?」
「うん、すいた! 早くたべたい!」
「すぐできるからね。ママの作るオムライスの方が美味しいけど、今日はパパので我慢して」
「ぼく、パパのオムライスすきだよ!」
「え……本当に? 嬉しいなあ、そんなこと言ってもらえるとは思わなかった」
ありがとう、と空いた手で太一の頭を撫でる。
誰に似たのか、太一はびっくりするくらい素直で優しい子に育った。親の欲目もあるだろうが、そう思ってしまうものは仕方ない。
太一の優しい言葉に目を細めながら、この子は将来どんな大人になるのか想像する。今は「パパみたいなバスのうんてんしゅさんになりたい」なんて言ってくれているが、きっとそのうちその夢も変わるのだろう。現に昨日の晩は、テレビを見た影響か「しょうぼうしさんにもなる!」と叫んでいた。
どんな大人になるだろうか。どんな職に就くのだろうか。どんな人と結婚して、どんな家庭を築いていくのだろうか。それを想像することすら楽しくて仕方がない。
胸がいっぱいになるほどの幸せを感じながら、俺は太一に尋ねてみた。
「ねえ、太一。太一は、どんな人と結婚したい?」
俺が太一くらいの年齢の時は、まだ自分の家庭が複雑で異様だということには気付いていなかった。だから、結婚相手とは親が決めるもので、俺の干渉するようなことではないとすら思っていた。
でも、太一は違う。
俺と倫、それに周りの人たちからの愛をめいっぱい受けて育った太一は、どんな未来を思い描いているのだろう。それをちょっとだけ覗き見たい気分で聞いてみたのだが、太一は一瞬考える素振りを見せた後、ぱあっと顔を輝かせて答えた。
「ママ!」
「……え?」
「ぼくはね、ママとけっこんする! ママだいすきだもん!」
屈託のない笑みを見せながら、太一ははっきりとそう言った。予想外の答えに面くらいながら、俺はやっとのことで言葉を返す。
「えーっと……ママみたいな人ってこと?」
「ううん、ちがうよ! ママとけっこんする! ママ、いいよーって言ってくれたもん!」
「……なるほど。そうきたか」
なんとか冷静さを保ちながら、冷蔵庫からケチャップを取り出してフライパンの中にまわしかける。それを炒めつつ、俺はできるかぎり優しい声音で諭すように太一に言った。
「あのね? 太一。ママはパパと結婚してるから、太一とは結婚できないんだ」
「え……でもぼく、ママとけっこんしたい」
「うん、気持ちはよく分かるけど。でも、ママはパパのだから」
「……でもママは、いいよって言った」
「それはたぶん、冗談で言ったんだよ。本気じゃない。だって、倫は俺と結婚してるからね」
できるだけ優しく、なんて言っておきながら、最後の方はつい大人げない物言いになってしまった。はっとして隣を見ると、目にいっぱい涙を溜めて、これでもかというほど頬っぺたを膨らませている太一の顔があった。
「あっ……太一、ごめ」
「パパ、きらい! イジワルだからきらいー!!」
うわあああん、と泣き叫びながら、太一はキッチンを飛び出して寝室の方へ走って行ってしまった。
慌ててコンロの火を消して、ドタバタと太一を追いかける。俺が走ったせいか、おんぶしたままの結がなぜか嬉しそうにきゃっきゃと声を上げていた。
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