私と運転手さん

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 それから、牧場内のレストランでお昼を食べて、街中に出てショッピングモールで買い物をした。  父と千尋は二人でモール内のスポーツ用品店に行き、私は母と二人で夏物の洋服を見ることにする。  母と二人で買い物をするのは久しぶりで、あれこれ服を選んでは私の体に当て、「これも可愛い」「倫ちゃんに似合いそう」などと嬉しそうにする母を見て私も楽しくなった。その中で気に入った薄いライトイエローのブラウスを母に買ってもらう。今度平原さんとデートするときに着て行こう。  少ししてから二人と合流して、スーパーで夕飯の材料を買って帰ることになった。千尋は新しいボールを買ってもらってご満悦で、帰りの車の中でそれを抱きしめて眠ってしまった。 「千尋のやつ、今日はやけにはしゃいでたから疲れたんだな」 「そうねぇ。久しぶりに倫ちゃんともお出かけできて、楽しかったんじゃないかしら」 「そう、かな……? でも、私も楽しかったよ」  そう言うと、運転席に座った父が嬉しそうに破顔するのが分かった。助手席に座った母も、にっこりと微笑んでいる。 「そういえば倫、県立大にしたんだってな。母さんと同じとこじゃないか」 「あ……うん。そうだよ」  父がふと切り出したのは、私の志望校の話だった。父には直接言っていないけれど、母には県立大を受けたいと先日言ったばかりだった。そして父の言う通り、母はその県立大の栄養学部の卒業生なのだ。 「きっと、お母さんの頃より倍率が上がってるんでしょうねぇ。倫ちゃんなら受かると思うけど」 「倫は母さんみたいに、料理教室の先生になりたいのか? それとも栄養士か何かか?」  父の質問に、少しどぎまぎする。やっぱりまだ、こうして自分の意志を話すとなると両親相手でも緊張してしまうのだ。 「えっと……あの、まだどういう職業に就きたいか、ちゃんと決まってないんだけど……料理とかも嫌いじゃないし、栄養学にも興味あるし、県立大には書道部があるから、いいなって思ったの。家から通えるし」  はっきりとした答えを言えるわけではないけれど、自分の今の素直な気持ちを話そうと思って口を開く。両親は急かすことはせず、私が話すのを待ってくれている。 「それとね、なんていうか……将来どんな大人になりたいかって考えたら、お母さんみたいになりたいなって、そう思ったの。こ、こんな理由で大学行きたいなんて言ったら、駄目かな……?」  進路を決めるときは、将来就きたい仕事を考えて決めるべきなんだと思う。でも私には、まだそれが決めきれなかった。こんな曖昧な理由で大学に行ってもいいのかな、と不安に思っていたのだが、私が話し終えると父は豪快に笑った。 「いいじゃないか! 父さんはな、母さんみたいに料理上手でしっかりした女性と結婚できたことが、人生で一番の幸運だったと思ってるんだ! ああもちろん、倫と千尋の父さんになれたこともだけどな! だから、倫が母さんみたいになりたいっていう気持ちはよく分かる」 「え……」 「大学は学びたいことを学んで、なりたい自分になるために行くんだから、今から職業まで決めなくたっていいさ! ああでも、倫が母さんみたいになったら、俺みたいな男に引っかかるのか……それは複雑だな……」  父の言葉を聞いて目を丸くする。こんな曖昧な理由を、父は笑って受け入れてくれたのだ。  もっとちゃんと将来を考えなさい、とでも言われるのかと思っていた私は、何やら別のことで考え込み始めた父を見てほっと胸を撫で下ろした。 「なあ母さん、倫が俺みたいな男を連れて来たら……ん? どうした?」  父が助手席に座っている母の顔を覗き込んで、動きを止める。何事かと思って、後部座席に座っていた私も身を乗り出してから、はっと息をのんだ。  泣いている。  どんな時だって笑顔で、私たちがどんないたずらをしたって怒らない母が、決して取り乱すことのない母が、黙って涙を流していたのだ。 「ご、ごめんね……違うの、悲しいんじゃなくて、倫ちゃんがそう思ってくれて、そう話してくれたのが、嬉しくて……!」 「……ああ、そうだな。嬉しいなぁ」  そんな母に、父が穏やかな顔で頷く。言葉では言い表せない絆がそこにはあって、私は一言も発せなくなった。  お父さんとお母さんは──この夫婦は、これまでどれほどの苦楽を共にしてきたのだろう。  幸せな恋愛結婚をして、子どもが好きな二人はすぐにでも子どもが欲しかったに違いない。しかし、なかなか子宝に恵まれず、そして私が二人の子どもになった。それから、奇跡が起きて千尋が産まれた。  私は今まで、自分だけがこうも孤独でつらい思いをしているのだとばかり思っていた。どういう事情かは知らないけれど、この世に生を受けてすぐ両親はいなくなった。そして「大屋倫」となった私は、この二人の元で何も知らぬまま育ち、事実を知った。  でも、その事実を知ったところで、家族と共に生きてきた17年が変わってしまうわけがなかったのだ。  こういう時、両親にありがとうの一言でも言えればいいのだけど、言葉を発したら私も泣いてしまいそうで、私は隣ですやすや眠る千尋の寝顔を眺めるのだけで精一杯だった。
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