私と運転手さん

1/16
1966人が本棚に入れています
本棚に追加
/204ページ

私と運転手さん

「ねえ倫、今週の日曜日は空いてる?」 「日曜日……あっ、ごめんなさい。今週の土日は、学校の夏期講習で……」 「そっかぁ、それなら仕方ないね。そろそろ海に行こうと思ってたんだけど」  彼からの魅力的な誘いに、私の心は揺れる。天秤にかけるまでもなく、夏期講習なんかよりも平原さんとデートに行きたい気持ちの方が遥かに大きい。 「海、私も行きたいです。夏期講習、一日くらい休んでもいいのでその日は……」 「だーめ。受験生にとっては、夏休みが勝負なんでしょう? 俺が連れまわしたせいで倫が落ちたら嫌だから。また別の日に、息抜きで行こう」 「……はぁい」  今日は一学期の終業式だった。  学校は午前中で終わりだったので、お休みだった平原さんとお昼からデートすることになったのだ。場所はいつもの喫茶店だけど、今日は初めてそこでランチを食べた。値段の割にボリュームのあるナポリタンは、シンプルな味付けだけどとても美味しい。 「こうやって会うのも、勉強の邪魔だったら言ってね。倫の負担にならないようにするから」 「……負担なんかじゃ、ないです。平原さんと会えなくなったら、それこそ勉強に集中できません」  最近の平原さんは、やけに私に対して気を遣ってくれる。それはとても有り難いのだが、私は「平原さんは私と会えなくなっても寂しくないんですか」という卑屈な台詞を飲み込んでばかりだ。 「もう、可愛いこと言っちゃって。ほら、そんな拗ねた顔しないでよ」 「す、拗ねてないです!」 「それならいいけど。俺に何か手伝えることあったら言ってね。倫が受かるように、何でも協力するから」  平原さんにも、地元の大学を目指すことにした、と報告した。それを聞いた彼は優しい笑みを浮かべて、「頑張ってね」と励ましてくれた。  私はてっきり、平原さんは一刻も早く結婚して子どもがほしいものだと思っていたから、「高校卒業したらすぐ結婚しよう」とでも言われるのかな、なんて考えていた。でも彼は、私が決めた進路に対して何も言わずにただ応援してくれている。勝手に変な想像をしていた自分が恥ずかしくなって、でも平原さんは本当に私と結婚するつもりあるのかな、と少し疑いたくもなってしまう。 「さて、そろそろ帰ろうか。明日も朝から夏期講習なんでしょう?」 「あ……はい、そうですけど……でも、まだ大丈夫ですよ」 「ふふっ、気持ちは嬉しいけど、今日はもう帰ろう。課題、たくさんあるんじゃないの?」 「……あります、けど。でも、夜やるので大丈夫です」 「駄目だよ倫、夜更かししたら。聞いた話だけど、夜頑張って遅い時間まで勉強しても、しっかり睡眠をとらなきゃ脳にインプットされないんだって。ほら、早めに帰って寝なくちゃ」  そこまで言われてしまったら、もう駄々をこねられない。  やっぱり平原さんは大人だ。私なんか、少し気を抜いたら勉強なんかそっちのけで平原さんに会いたくなってしまうのに。  それは彼が大人だから我慢できるのか、それとも私ほど会いたい気持ちが強くないから我慢できるのか、私には分からなかった。  結局、今日は外もまだ明るいうちに家に帰ることになってしまった。  学校前からバスに乗って、私は平原さんが降りるより前のバス停で降りる。にこやかに手を振る平原さんに手を振り返しながら、私は言いようのない寂しさを感じていた。
/204ページ

最初のコメントを投稿しよう!