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ドアを開けた瞬間、気配を感じた。
虫や動物ではない。もっと大きな何かが、闇の奥へと駆け込む気配。
鍵をスロットに差し込む。暖色の灯りが客室を満たす──何もいない。ベッドの陰にも、書き物机の下にも。
気のせいだろう。ここは山奥の宿ではない。駅前のビジネスホテルなのだ。
だが、そう結論づけようとした刹那。背後で忍び笑いの声がした。ついで何かが倒れる小さな音。
振り返ると、立てかけられていた靴べろが横になっていた。
「誰だ」
返事はない。ごう、と窓が鳴っただけだ。新幹線の線路が近いのだ。
俺はかまわず、シャワーを浴びることにした。
バスルームの戸を開けた正面は、大きな鏡だった。
俺はわざと、戸を開けたままにしておいた。そしてシャワーカーテンを引いて、次の“襲撃”を待った。
目論見通り、そいつは足音を忍ばせて入ってきた──おかっぱ頭の娘だ。
娘の鏡像を十分に引きつけてから、俺はカーテンをぐいと開けた。
よもや見つかるとは思わなかったに違いない。娘はひどく狼狽した。ぺたんと尻もちをつき、顔を手で覆う。その頰は着ている着物より真っ赤に染まっていた。
悪戯の仕返しにしては、刺激が強すぎたかもしれない。
つまるところ、俺はタオルを巻き忘れていたのだ。
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