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子供の頃、俺は東北の僻地に住んでいた。
そこではよく、座敷わらしが出没した。留守番中の我が家、授業中の教室──いたるところに、いないはずの子供達は現れた。
それはごく自然なことだった。遊び仲間がいつの間にか増えても、班分けの人数が合わなくても、誰も何も言わなかった。
そういう環境で育ったので、座敷わらしの一人や二人では今更驚かない。
けれど、よもやこんな街中のホテルで見かけるとは思わなかった。
まさに邂逅だ。例えるなら、北海道でゴキブリを見かけるような。
「なんですか、ひとを虫と同列に扱って。これでもちゃんと神様なんですよ」
俺が感想を口にすると、座敷わらしは息巻いた。その耳はまだ真っ赤に染まっている。
「まったくもう、がっかりです。やっとお話しできる人に巡り会えたと思ったら、こんな礼を欠いた変態だなんて」
「おや、聞き捨てならんね。他人のシャワーを覗こうとしたのは誰だったかな」
備え付けの浴衣を着て、俺は書き物用の椅子に腰掛けていた。あまり座り心地が良くないが、座敷わらしがベッドに鎮座ましましては仕方がない。
娘がなかなか退散しようとしないので、俺は内心やきもきしていた──本当は今頃、テレビの有料チャンネルでも眺めているはずだったのだ。
いやしくも神様の前で、あんな罰当たりなものを見るわけにもいくまい。
「まあいいです、幸運な人よ。私の姿を見たからには、あなたの行く末は幸多きものになるでしょう──望みは仕事の大成ですか?」
俺は首を横に振る。
「あいにく、仕事に神頼みや運は絡めない主義でね」
これは厳密には嘘だ。
俺が従事している小説家という職業は、インスピレーションが物を言う。そして一瞬のひらめきは運の賜物だ。
だがそれは、あくまで内から湧いてくるのを待つ類の運だ。誰かに求めるのは、たとえ相手が神様でも見当違いなのである。
湧き水を求める者は雨乞いをしない。つまりはそういうことだ。
「では、無病息災ですか? それとも交通安全?」
「自分の身は、自分で守るさ」
「なら、一攫千金?」
「賭け事はしない」
「道端でお金を拾うかも」
「神様ともあろうものが、ネコババを奨励していいのかな?」
座敷わらしはため息をついた。
「欲がないんですね」
「さとり世代だからね」
「何でもいいです。あなたの望みを言ってみて下さい。力になりますから」
「柔らかいベッドで、朝までぐっすり眠ること」
顔を伏せ、肩を落とし、娘はベッドから下りた──その様子がいかにも哀れを誘うので、つい声をかけてしまった。
「お前さんの助力が必要な人は、いくらでもいるさ。他の部屋をあたってみなよ」
座敷わらしはかぶりを振る。
「私の姿が見える人なんて、そう滅多に会えるものじゃありません」
それから、肩を震わせはじめた。
「やっと……やっと誰かの役に立てると思ったのに……もう独りぼっちじゃないと思ったのに……」
今度はこちらが、ため息をつく番だった。泣かれては寝覚めが悪い。
「わかったよ。望みを考えておくから、それまでここにいてくれ」
娘はぱっと顔を上げた。
その頰には、一滴の涙痕も見えない。
俺は天井を見上げた──まったく、俺もヤキが回ったもんだ。こんなありふれた手に引っかかるとは。
結局、宿泊初日の晩は惨憺たるものになった。ラップ音にクスクス笑い、それにベッドの周りを跳ねる気配。
俺は一晩中、座敷わらしに悩まされた。有料チャンネルを見れずじまいだったのは言うまでもない。
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