令和元年5月8日(水)「ノート」日野可恋

1/2
前へ
/926ページ
次へ

令和元年5月8日(水)「ノート」日野可恋

 昨日は放課後、私、ひぃな、高木さんの三人で職員室に向かった。私たちは担任の小野田先生に呼ばれていた。理科室での実験の時はいつも白衣を着ているのでそのイメージが強いが、職員室では普通にブラウスにカーディガン、スカート姿だ。度の強い眼鏡を掛け、その目で睨まれると誰もが黙り込むような威圧感があって生徒に恐れられていた。 「日野さんのノートのことですが……」と担任が切り出した。  私は連休前にひぃなに5教科のノートを貸した。ひぃなが4月にかなりの日数を欠席してしまったからだ。そのノートを貸すのを高木さんに頼んだ。その際にクラスメイトにノートの存在が知られ、多くのコピーが出回ることになった。 「非常によくできています。そして、2年生のかなりの生徒がこれのコピーを所持していることも把握しています。教師としてはノートの存在を前提に、ノートの内容を避けるような問題作りはできません。従って、ノートのコピーを所有している生徒はそうでない生徒と比べて非常に有利になります」 「先生は私たちにノートのコピーを配るようにと仰るのですか?」  小野田先生の言葉が終わるのを待たずに私は一歩前に出てそう尋ねた。先生は私をジロリと睨む。 「私としては公平性を保ちたいと考えています」 「金銭的な問題はどうしますか?」  私が矢継ぎ早に質問する。かなりの分量があるのでそこは聞いておく必要があった。「職員室のコピー機を使っていただいて構いません」と先生が職員室の隅にあるコピー機を指差した。 「では、ノートをここに置いておきますので、各自でコピーするのを許してください。生徒への告知は私たちが責任を持って行います」 「職員室がコピーを取る生徒で混雑することになると思いますが」 「仕方ありませんね」 「……」  先生は私の後ろに立つ二人にちらっと目線をやって、改めて私を見上げた。 「分かりました。可能な限り全員にコピーが回るようにしてください」  私が担任に頭を下げると、後ろの二人も続いた。私は鞄からノートと筆記具を取り出し、各ノートの表紙に「2年生」と科目名をデカデカと書いた。それをコピー機の上に置く。それから改めて一礼して私たちは職員室を出た。 「えっと……質問していい?」とひぃなが恐る恐る聞いてくる。私が頷くと「何だったの、今の」と尋ねた。 「たぶんだけど、私たちがノートをコピーして2年生全員に配れってことだと思う」 「えー、それってめっちゃ大変じゃないですか!」と高木さんが驚く。「わたし、どれだけ大変だったか」と苦労話を語り始めた。クラスメイトからのコピーの願いを私が高木さんに丸投げした結果だ。高木さんが騒がなければクラスメイトに知られずに済んだのだけど。 「それで、わたしは何をすればいいの?」とひぃなが聞く。「LINEでも何でもいいんで、各クラスの信頼できる人にクラス全員に連絡が行くよう情報を流して欲しいの」と頼むと「任せて」と良い返事が返ってきた。 「内容は職員室でコピーできることと、おそらく混雑するので友だちからコピーを借りれる人は自分でコピーした方が早いよってこと」 「了解」 「高木さんはひぃなのサポートお願いできるかな? 私じゃ他のクラスのこと全然分からないから」 「うん」 「まだクラスに馴染んでいない生徒もいるだろうし、特に男子に情報回ってない人がいないか確認をよろしく。うちのクラスの確認は明日私がやるね」  そして、今日。朝は肌寒いし、女子だけでも大変なのにほとんど面識のないクラスの男子にまでコピーを持っているか聞いて回り、私は疲れ果てた。高木さんが最初にコピーを配った人の分は除外していてもこの疲労感。ひぃなや高木さんは漏れがないか他のクラスを駆け回ってチェックしている。 「大丈夫?」と教室に戻ってきたひぃなに声を掛けられる。天使のような容姿に心は癒やされたが、私は机に突っ伏し「大丈夫じゃない」と答えた。「これだと明日は休むと思う」と続けるとひぃなは私の頭をぽんぽんと叩いてくれた。  私は先天的に免疫系の障害があり、病気に罹りやすく、重症化しやすい。子どもの頃は酷かった。今も冬場は半分くらい欠席するなど、普通の暮らしができているとは言い難い。今は体力がついたので、無理をしなければすぐに回復するようにはなった。 「無理すると、治るのに時間が掛かるのよ」 「早く良くなりますように」とひぃながおまじないを言いながら頭を撫でてくれる。その手の温もりが疲労を吹き飛ばしそうだと思っていたら、先生が来た。授業が始まってしまう。  帰り際、「そうだ、明日休むのならお見舞いに行っていいかな?」とひぃなに聞かれた。中学校の正面の校門を出たところに立つ高層のマンションに私の家がある。ひぃなと安藤さんにオートロックの入り方を説明して、「午後には体調は戻ってると思うから連絡して」と伝えた。お見舞いだから体調が悪くても来ていいんだけど、自宅に友だちが来るのは随分と久しぶりなので少しはおもてなししたい。  二人に手を振って別れる。引っ越しする前に住んでいた大阪では私が学校を休むことはデフォだったので、お見舞いという話も出ないし、それほど親密な友だちもできなかった。ウキウキして疲れが吹っ飛んだ気分だ。これなら休まなくても平気かもと思ったが、お見舞いの予約を受け付けた以上休まないとね。
/926ページ

最初のコメントを投稿しよう!

33人が本棚に入れています
本棚に追加