序章 釣りアホと影山

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序章 釣りアホと影山

警察庁祓魔課の訪中 消えた小鳥遊 大山鳴動編 湖面は凪ぎ、静まり返っていた。 時刻は午前4時、勘解由小路降魔は友人を伴ってのんびりとしたクルージングを満喫していた。 世間で言えば最後の夏休みで、あと5日で8月は終わる。 勘解由小路はロッドをひけらかした。継ぎ目のない、ワンピースタイプのシェークスピアのワンダーロッドだった。 更に、グリップはビンテージ風のガングリップに換装されていた。アルミボディでコルクグリップが設えられ、逆にプレミアが付いていそうだった。この手の職人趣味的タックルは当たり前に高い。 「いいだろうポルナレーーいや正男。右手一本で完璧に扱える超小型電動リールだ。超超軽量スプールでベイトフィネス対応。ベイトリールであるにもかかわらず、2グラムのミノーすら楽々とキャスト出来る。ルアーの交換こそ家政婦を頼らなければならんが、キャストからルアーアクション、フッキングからランディングまで右手一本で可能だ。前に鳩山の野池の話を聞いて、お前は釣りだけは続けていたと判断した。この小型クルーザーで湖面を斬獲してやろう」 「ポルナレフじゃねえっつってるだろうが!正男でもない!今は鬼哭啾々だ!大体よくこんな野池にクルーザー持ち込めたな!今回は24年前のリベンジだ!このクールのレッドテイルがかつての雪辱を晴らす!ちょうどいいスピーカーがあるな。ぴったりな曲をかけようか。あ?これは何の曲だ?」 曲ともいえない面妖なノイズめいたセッションが再生されていた。 「ブルートゥースに繋げてあったのはフェイス・リフトだな。ソフツのサードだ。BBCレディオの紫版はまだ取り込んでない」 「電化ジャズか?!ジャズしかないのか?!お前は小1でカセット式のポータブルプレイヤーなど持っていて生意気な奴だったが、聴いてみればホッパー・ディーン・ティペット・ガリバンのクルエル・バット・フェアなんぞ聴きやがって尚更怒りが湧いた。全国探してもお前みたいな趣味のガキはいなかったろうな。俺はニール・セダカばっかり聴いていた。ガンダム見てたまげたもんだった」 鬼哭はジャズをスルーしてアメリカンポップスやブルースを聴いていたのだった。勘解由小路とは音楽性が違っていた。もっとフレキシブルだったと自認していた。むしろその歳からジャズ一辺倒な勘解由小路は奇異に映った記憶がある。ピアノの腕は見事だったが。 鬼哭はエレクトーンを学んでいた。道玄坂の家でよく音楽談義をしたものだった。 「Ζガンダムだったっけか。富野版じゃなくセダカの原曲聴いてるお前もどっこいだったな。お互い嫌なガキだった。ちょうどいい、バッド・アンド・ビューティフルかけるか。どう考えてもゲイの歌だが、まあいいだろう時代だしな。フレディ的な」 「そんなの言われてかけられるか!野池の船に男二人でどう言い訳する!携帯貸せ!これか?CDレコは?ああジャズにジャズロックばかりじゃないか!リリース・ミュージック・オーケストラのガルーダとかダッチ・トリートのトランキュリティとかよく知ってるな?!CD出てないはずだ!ああもういい!これでも聴きながら釣りだ。ウェザーリポートでいい。水辺で聴くのも悪くはないな。初期の傑作だ」 「ああ。一曲目がいいな。鐘の音のようなシンセの残響が水面を広がっていく感じがいい。うっかり屁えこいたようなウェイン・ショーターのブラスが気になるんだが。ああ正男もう釣ったのか早いな。葦っ原にぶち込んだか。やっぱりトップルアーはダブルフックだな。今日はトップ縛りでいくか。正男はトップ屋だからな。オザークマウンテンのアマゾンリッパーなんかどうか。グラスアイの奴ならある」 相変わらず金銭感覚のおかしなチョイスする。 グラスアイのアマゾンリッパーなど貴重すぎて投げられるものではない。 「次の曲はハービーのセクスタントからレインダンスで行こう。それポッパーだろう?ノイジーじゃないのか?」 「俺はその辺の時期のハンコックはあんまり好きじゃない。ロック・イットなんか死ぬほど嫌いだ。これはな、レッドテイルの隠れたアクションだ。細い円柱形のボディーに小さなフローターがついてんのがクールのルアーの特徴だ。だが、この尻尾はただのスタビライザーじゃないんだ。早めにだだ巻きすると気泡を孕み音を立てながらボディーを揺らしてサーフェイスをノイジー的に泳いでいく。パイロットルアーにいいんだ。細身のボディーはフッキングが取りやすいんだ。サイズは選べんが。この通りコバチだ。22センチ」 「ふーん。サーフェイスからサブ・サーフェイスの活性が良さそうだな。じゃああれで行こう。マグナムヘッドプラグで行くか。三田村さん結んでくれ」 「嫌なルアーコレクションだな。いつ買った奴だ?」 マグナムヘッドプラグは今ではプレミア物だった。ほぼ市場に出回っていない。 当時買えなかった自分の財力のなさを恨んだ。実際子供だった。買えた勘解由小路がおかしかった。 「80年代後半だ。追加購入はしてないぞ。最近ぶらっと釣具屋入ってみたら俺がガキの頃吊るしで二足三文だったルアーが軒並み値段が跳ね上げっていて今浦島な気分になった。マッキーバーなんかどっかの池に引っ掛けちまったのにな。ハトリーズの穴あきペラも無くなっちまったんだな。ベイジングスパロー覚えてるか?ボックスの底にあった」 「俺達の年代あるあるだな。よし!もう一本だ。変えてみるか。お前に言われて懐かしのルアー総動員してきたんだ。まだまだあるぞ。マンズのフォローミー行ってみるか?なあ、ところでついてこれてるのか?何を言ってるのか一切解らん会話してないよな?」 多分一人もいない。誰も解らない。ルアーオタク、ルオタのビンテージルアー自慢回にすぎないのではないか?仮にこのやり取りを目撃している変わり者が何かの気に迷いでいたとして、そのわずかな人間の中にルアーにやたら詳しい人間は、いたら天文学的な確率に違いなかった。 っていうかアマゾンリッパーって言われてああ、オザークね。俺も持ってたよ。とかフィリップスのクリップルドキラー懐かしいな、って人間がいたら会ってみたい。っていうかくれ。二千円までなら出す。 「少年の日の思い出話だ。解らんか?ベイジングスパローだのコッキービートルを知らん奴はいないだろう。ところで、なあ正男、お前最近忙しいんじゃないか?呼んだ俺も俺だが、それでよく来たなお前」 「ああ。途端に忙しい。お前は不快極まる傲慢な奴だが、遊び相手としては一級品だ。こんな野池にクルーザー持ち込むのに幾らかかったか。金銭感覚おかしすぎるぞお前は。素直に乗れば悪い話じゃない。それより何より、夏フェス以降掌返した奴等のおべっかを聞いているよりはるかにマシだ。(あがた)さんか?祓魔課とのパイプも出来てな。今度ぷいきゃーの歌を作ることになった。お前の娘だが、あれはおかしい。自由過ぎる。業界の重鎮に対し面と向かって誰だお前と言われると、自分がおかしいって気分になるな」 「おう。莉里は最近新しいペットを手に入れてご満悦だ。姉貴と共同所有となって最近喧嘩もしなくなった。爬虫類を飼うと子供は静かになる。本人は家事と勉強に忙しいみたいだし。なあ、ところで、あそこのインレットな。あそこに何かいそうじゃないか?」 勘解由小路が示したのは石垣と石垣の間に出来た自然の切れ目だった。 釣り座(クルーザー)からの距離は約40メートル、幅は1メートルにも満たないポイントだった。 裂け目の下は水が広がって見えた。意外と広く深そうだった。 こう言う流れ込みはバスが居ついていることが多い。 「いいポイントだが距離が遠い。船を近づけるか」 「何言ってんだ。あんな距離だぞ。届くだろう。俺のガングリロッドなら」 「ダブルグリップのロングロッドでなけりゃあ届かないだろう。体考えろ」 ボートバシングのセオリーでは片手持(ワンハンド)ちのショートロッドがまあ基本だった。 特に鬼哭は今でこそトップウォータールアーを使っているが、その本領はジャークベイト(長尺ミノー)を巧みに操るというところにあった。 こう言う局面でロングロッドや両手で握れるダブルグリップなんぞを振り回せばティップーー竿先が船の縁に当たってポッキリ行き、勘解由小路は爆笑すること請け合い。 故に鬼哭はロングロッドを積んでいなかった。 ワーゲンバス(最近買った新車)に戻ればスミスのテラミス7フィートロッドならある。 本来がクランクベイトをニーリングする為のロッドだが、ダブルグリップロッドにしては取り回しが良く、だだ巻きで動くノイジーを扱う用に用意してあったバックアップだった。 こんな豪華なボートバシングでそんなせせこましいことはしたくなかった。 ロッドワークとリーリングでルアーを操ってこそのバシングだと鬼哭は信じていた。 幸い実績もある。今までで釣った最大のラージマウスはレイクで釣った59.5センチだった。ヒットルアーはボーマーのロングAだった。 ただ、誰か知ってるか?ロングA。 ボーン素材でラトルがやかましく、リップの水絡みと高浮力って最高のルアーなんだが。 中古屋で220円だったし。 ポイントが遠ければ近づけばいい。その為の船だった。 何故、この局面であたら難易度の高い長距離ポイントキャストをやらかすのか。 ただでさえ誰にも理解されていないと言うのに。 入っただー!凄えだ降魔さ!と言うユリッペはいない。 勘解由小路は新たに付け替えたルアーを見せた。金属光沢にラトルがやかましいダブブルスイッシャーだった。 ペラにはウォーターランドの刻印が施されていた。 今更?ウォーターランド? もう村田基(ジム)はバス釣ってないぞ。 「ルアー名は何だ?」 「これはな、ウォーターランドの発した長距離狙撃兵器、バトルダブルスイッシャーだ。それもミニサイズの奴でな?遠距離攻撃兵器の急先鋒はバイブレーションだが、ミスティー以下空気抵抗を受けて思ったほど飛ばない。メタルバイブは持ってきてないし。ではペンシルか?こっちにはポーのジャックポットだっけか?パックマン目のザラスプークのコピールアー以下色々あるが真新しさはない。目指すポイントはあの狭間の先だ。このバトルダブルスイッシャーはライフル弾かと言うレベルで飛ぶし何よりペラが小さい形状で意外と歪んだペラ音を立てる。しかもアルミボディーでぶつけたところで凹むだけで決して壊れない。以上の理由からこいつしかいないと判断した。よし!アウトブラッディレイジャスをかけながら行こう。まだディーンは太ってないが見た目に難が有り有りな奴等のブチ切れセッションを聴きながら俺達もブチギレよう。行くぞポーー正ーー鬼哭」 「もういいよポルナレフでも正男でも!病院で銀正男(しろがねまさお)さんて看護師に呼ばれる度イラっとしていたんだもういい!ワンハンドでオーバーヘッドキャストかませ!」 「当然だ。行くぞ!」 勘解由小路は右手一本で見事なオーバーヘッドキャストをかまし、ひび割れた石垣と石垣の間のような細い裂け目の先にルアーを運んだ。 勘解由小路の能書き通りの異常な軌道を描いてルアーは飛んでいき、裂け目の先の岩壁を二、三度バウンドして、見事難しいポイントにルアーを運んでいた。 通常のプラスティックルアーでは粉々だったろう。アルミボディーのダブルスイッシャーは健在で、水面に浮かび上がっていた。 誰にも賞賛されない理解されない何言ってるのお前?と言う世界によーし!とかイエア!と言う歓声が上がった。 全く無為な釣りアホな二人のおっさんの姿があった。 衝撃はここから始まった。 「着水バイト!おお?!でかい!今までで最高の釣果だぞ!ああ?うお!」 物凄い力で勘解由小路を引きずり込もうとしたが、僕の面付き黒子装束が抱きとめていた。 「三田村さん悪い!ああ駄目だ!電動リールが空転してる!こりゃあランディング出来ん!誰か!あああいつがいた!影山さん!」 岸から何かが飛び込んだのが聞こえた。恐ろしい速度で泳ぐそれは、S字の航跡を残して水中の怪魚に襲いかかった。 赤い残光を発するハンマーが飛んで行った。 「へえ。アルコルハンマー出したか。こりゃあただの魚じゃないな」 勘解由小路はそう嘆息した。 赤い光が水面を爆裂させ、執事服を着た若者が船に飛び込んできた。5メートル越えの魚と共に。 デッキの上で暴れていた魚の頭部を、ハンマーが叩き潰した。 「正男、紹介する。こないだ引き取った影山さんだ。ご苦労だった」 「主人(あるじ)よ。俺はベートーベンが興味深い。月光の第三楽章などどう言う頭で作ったのかが気になっている」 影山はさっきの音楽談義を咀嚼していたらしかった。 「この世で一番出来がいい人間と思っている頭だ。でかいな。人間の一人や二人ペロリだ。先行者がいない理由が解った。食われていたんだ。どうせフローターだろうしな。ひとたまりもない」  フローターというのは、こういう止水で使う座席のついた大きな浮き輪と思って間違いない。  ちなみに足につけたフィンで移動する釣具だが、5メートルの人食い魚では、襲ってくれといっているようなものだった。 「こいつはーー何だ?」 この魚、体長は5メートルを超えていた。船首から船尾いっぱいにデッキを占有していたその魚体はヘラブナのように見えた。叩き潰された頭には大量の血と、牙が血に塗れて残っていた。 「中国の長江辺りにいる人魚(レンイー)の一種だな。食われた人間が腹に浮かんでる」 確かに、腹ビレの横にはいくつもの死に顔が浮かんでいた。眼窩が黒く落ち窪み、頬はこけた不気味な顔が浮かんでいた。 「行くところこんなのばっかりか。お前は」 いや。勘解由小路は否定した。 気がつけば魚の姿は消失し、一枚の符が残されていた。 「正男。ちょっと付き合え。お前に期待はしてないが、向こうが俺を呼んでるのは事実だしな」 「お前についていくのか?正直御免だが、これは何なんだ?」 「影山さん。解るか?」 問われた若者は、しとどに濡れた体を気にかけることなく応えた。 「大陸の匂いがする。仙道の類のようだ。母に一言言ってから同行しよう」 「まあ正解だな。じゃあ行こう」 「どこに?」 ああ。符を踏みにじりながら勘解由小路は言った。 「崑崙山だ。小鳥遊はどこいった?そういえば」 応える者はいなかった。
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