想いはガラス瓶の中

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想いはガラス瓶の中

 アルは、ガラス瓶の中に『想い』を詰め込んだ。  昨日生まれたばかりの『想い』は、太陽のように眩しい黄色をしたシトリンだ。  色とりどりの宝石が詰まったガラス瓶を、作業部屋の棚に置く。瓶はもう三つになった。  アルが生み出すものは、宝石ではない。本来は宝石ではない、と言う方が正しいだろうか。  錬金術師のアルが作るのは、宝石を入れたガラス瓶の方だ。  この世界で、ガラスはとても希少価値が高い。金銀に次ぐほどの価値がある。  ガラスは、錬金術師にしか作ることが出来ないからだ。  住居や調度品などにガラスを取り入れることが、権力者の証になる。その為、王族や貴族連中には、お抱えの錬金術師を持つ者が多い。  貴重なガラスを生み出せる錬金術師自身も、国では重宝されている。  錬金術は、武術や魔術のように、鍛錬して身につくものではない。  火・水・風・土という自然界を構成する要素と調和し、それらの力を借りて新たな物質を作り出す為には、生まれ持った素質を要する。その遺伝性も未だ解明されておらず、錬金術師は常に引く手数多の状態だ。  しかしアルは、王室や富裕層からの誘いを幾度となく断り、若くして森の奥の小さなこの小屋で隠居生活をしていた。  錬金術師は、そうでない者に比べて短命だと言われている。多少は個人差もあるが、物を生み出す代償だとアルは思っている。  だからこそ、命を削ってまで誰かの見栄や権力の為に力を使うのは馬鹿馬鹿しい。例えどんなに贅沢な暮らしが待っているとしても、それで心が満たされるとは思わなかった。  錬金術に目覚めたアルの両親が、アルの身を王室か公爵家、どちらにやるかと勝手に揉めた挙句、一家が離散してしまったことも、アルの人間不信に拍車をかけた。  湖の畔に建つ簡素な小屋。  居間と、寝室を兼ねた作業部屋。その二つしか部屋はない。そこでアルは暮らしている。  作業部屋の窓に嵌め込んだ自作のステンドグラスは、密かなお気に入りだ。様々な色のガラスを通して射し込む陽射しは、こんな森の奥にも光が届くことを教えてくれるようで。  時折市場へ買い出しに出掛ける以外、基本的に森からは出ない。足りないものは、森にある素材を使えば大抵作り出せる。  誰かと口を利くこともないまま、森での暮らしは既に五年を超えていた。  このまま静かな森の中で、ひっそりと老いていくのだろう───そう信じて疑わなかったアルの生活に大きな変化が訪れたのは、半年ほど前のことだった。  誰も訪ねてくることなどなかった小屋に、ある日突然、一人の男がやって来たのだ。  陽射しをその身に纏ったような明るいブロンドが、真っ先に目に飛び込んできた。  グランツと名乗った身なりの良いその男は、アルよりも三つ年若くして、町の領主を務めているのだという。  グランツは丁寧な自己紹介の後、アルにガラスを作って欲しいと言った。仰々しく、床に片膝までついて。  単なる仕事の依頼なら、例え跪かれようともさっさと追い返しただろう。アルがそれを出来なかった理由は、膝をついたままグランツが告げた言葉にあった。 「貴方に、町の教会に飾るステンドグラスを作って頂きたいのです」  グランツの治める町は難民や孤児も多く、教会はそんな人々の拠り所になっているらしい。そこをせめて華やかにしたいのだと、彼は語った。訪れる人の心が癒される空間にしたいのだと。  これまで錬金術師として何度も仕事や専属契約の話を持ち掛けられたが、そのどれもが依頼主の為だった。自分以外の為にアルの力を求めてきたのは、グランツが初めてだった。 「……高くつくけど?」  試すつもりで答えたアルに、グランツは「幾らでも」と躊躇いもなく頷いた。  頼まれたステンドグラスは十枚。  指定された大きさは寝台の半分ほどで、そう大きくはないが、それでもステンドグラスとなると多くの色のガラスが何枚も必要になる。一枚作り上げるのに少なくとも二週間はかかると伝えると、グランツは二週間後、相場の三倍の金貨を持ってやって来た。  彼の馬鹿正直さと、翡翠色の澄んだ瞳にすっかり毒気を抜かれて、アルは彼の依頼を最後まで引き受けることを承諾した。  ───その時からだ。アルの身体に、異変が起きたのは。  おかしくなったのは身体なのか、アルの使う錬金術なのか。そこはよくわからないが、正式にグランツと契約を交わしてからというもの、ガラスを作るたびに、同時に宝石が一粒、出来るようになった。  金や銀なら、純度は劣るが錬金術でも作り出すことは出来る。だが、宝石を作り出すというのは、少なくともアルは聞いたことがない。もしもそんなことが出来るなら、錬金術師そのものの希少価値は更に跳ね上がるだろう。  ガラスと共に生み出される宝石は、大きさも形も、そして種類もその都度異なっていた。  原因がわからないまま、アルは日々生まれる宝石を、自作のガラス瓶に詰めた。宝石になど興味はなかったのに、何故かそれらはアルだけの秘密の宝物として取っておきたいと思った。  棚に並んだ瓶詰めの宝石を眺めて、アルは小さく息を吐く。  未だにからくりは不明だったが、少なくとも今のアルは、その宝石が持つ意味に気が付いていた。  窓から差し込んでくる陽射しが、ステンドグラスを通って寝台に虹色の光を落としている。  ───そろそろか。  アルが、昨日完成したステンドグラスを居間に運び出したところで、小屋の入り口のドアがきっちり二回ノックされた。  開いてる、というアルの声を受けて、軋みながらドアが開く。 「失礼します」  いつものように丁寧に一礼して、グランツが小屋の中へ入ってきた。  ここまで馬を走らせて来たはずなのに、上質なジャケットや革のブーツには染み一つない。グランツが居るだけで、質素な居間が一瞬にして煌びやかな空気に染まる。 「これが九枚目ですか」  テーブルに置かれたステンドグラスを覗き込むようにして、グランツが満足そうに目を細めた。 「言われた通り、今回は青を多めに入れてる」 「理想通り……いえ、それ以上です。貴方に依頼して本当に良かった」  ありがとうございます、とアルに向き直って頭を下げ、グランツは革袋を差し出してきた。受け取ったそれは、ズシリと重い。今回の報酬だ。中身を見ずとも、やはり多すぎる額だというのがわかる。 「……どうも」  素っ気なく呟いたアルの心も、同じようにズンと重くなった。その胸の内を察したかのように、グランツが少し眉を下げた。 「次は、いよいよ十枚目ですね」  そう、次のステンドグラスが仕上がれば、グランツとの契約も終了だ。彼がここへ来ることは、もう無くなる。  ───明日は、サファイアあたりかな。  頭の隅でそんなことを考える。  ガラスと共に宝石が生まれ出るようになったのは、グランツに出会ってからだ。  毎日作業をしていて、アルは気付いた。  自分の為に錬金術を使っても宝石は出来ず、グランツに依頼されたステンドグラスを作っているときにだけ出来るということ。  宝石の色や種類は、アルの感情によって変わるということ。大きさも、感情の強さが関係しているようだ。  気付いたきっかけは、嵐の為にグランツが小屋へ来られなかった日だった。  それまでオレンジやイエローなど、暖色系の宝石ばかり出来ていたのに、その日初めて、涙色のアクアマリンが出来た。  翌日には、グランツの身を案じるアルの心の中のように、深い紫のアメジストが。  更にその翌日、予定より二日遅れて小屋へやって来たグランツの顔を見て安堵した夜には、胸が温まるような黄金色のトパーズが、作業台に転がった。この日のトパーズは、これまで出来た宝石の中で最も大きかった。  アルは、グランツの来訪を待つようになっていたのだと、このとき初めて自覚した。  これらの宝石は、きっとグランツへの『想い』だ。  誰かに頼まれて錬金術師としての力を使うのは御免だと思っていたのに、グランツに任されたステンドグラスを作るのは、不思議と楽しかった。  富や権力を見せ付ける為でも、自身を飾り立てる為でもないグランツの依頼が、アルの心に火を点したのは間違いない。  そしてそんな依頼を寄越したグランツ自身にも、アルは惹かれ始めている。  昨日出来たグランツの髪色のようなシトリンも、もうすぐグランツがステンドグラスを引き取りにやって来ると浮ついていた気持ちの表れだろう。  長い間人と関わらずに暮らしていたから、感情を上手く表現できないアルに代わって、アルの身体が宝石を作り出してくれているのではと思った。  金銭に執着はないので、これまでグランツから貰った報酬は全て手付かずで置いてある。ステンドグラスが全て仕上がれば、返すつもりだ。  二人の関係は、そこで終わる。  寂しい、という馴染みのない感情を認められないアルからは、冷たく青い宝石が生まれ出るような気がした。 「まさか毎回、こんな高額支払われるとは思ってなかった。もっと安く引き受けてくれる錬金術師なら、他に幾らでも居ただろ」  そもそも何故グランツは、わざわざこんな森の奥に住むアルの元を訪ねてきたのだろう。  こんなことならいっそ出会わない方が良かったと、投げやりな気持ちで問い掛けた。 「領主になる随分前に、貴方の作ったステンドグラスを見たんです」  グランツは、懐かしむように二重の目を細めて、そっとテーブルの上の作品を撫でる。アルよりも体格がいいのに、慈愛に満ちたその横顔は聖母のように神々しい。 「俺の作品?」 「町外れの小さな教会に、一枚のステンドグラスを寄贈されたことがあるでしょう?」  思いがけない問いに、アルは目を瞠った。  小屋に移り住む直前、住んでいた町の外れに建っていた古い教会に、アルは自らの意思で一枚のステンドグラスを贈った。  贈った、と言うよりは、置いてきたと言う方が正しい。  アルのように自ら拒絶することが無ければ、錬金術師の将来は保障されていると言ってもいい。  偶然生まれ持った素質にあやかって、ガラスや金銀を生み出すだけで暮らしていける自分と、薄暗く古びた教会で施しを受ける人々。  不平等で、残酷な世界。  けれどどんな場所にも光はあるはずだと、そう信じたい思いからだった。  だが、何故そのことをグランツが知っているのか。  呆然とするアルの表情からその疑問を汲み取ったのか、グランツが苦笑する。 「司祭様に教えて頂きました。私も、昔は孤児でしたから」 「孤児!? お前、領主なんじゃないのか?」 「恵まれた家庭に引き取って頂けたんです。今になって、私を領主に据える為だったのだと気付きましたが」  難民や孤児を多く抱えるという町。恐らく、治めるのはそう簡単ではないのだろう。 「厄介ごとを押し付けられたってとこか」 「最初の頃は戸惑いもありましたが、今はむしろ幸運だったと思っていますよ。こうして、貴方とのご縁が出来ましたから」  思わず目を細めてしまいそうな、眩しい微笑みを向けられて胸が鳴る。今なら、どんな宝石が出来ただろう。 「幼い頃ずっと世話になっていた教会へ、久しぶりに足を運んだ折に、貴方のステンドグラスを拝見しました。特別派手でも奇抜でもないのに、見ていると心に一筋、光が射し込んでくるようで……『心を奪われる』ということを、生まれて初めて経験した瞬間でした」  グランツは、歯が浮きそうな言葉を淀みなく並べ立てる。男に口説かれる女は、こういう気分なんだろうか。  背筋や尻がムズムズと痒くなる居心地の悪さを感じて、頰を掻く。同時に、だからグランツからの依頼を断れなかったのかと納得した。  錬金術師は身を削って物質を作り出す。同時に『想い』をも生み出してしまうようになったアルもまた、きっとグランツに心を奪われているのだ。 「司祭様にその場であのステンドグラスについてお訊ねしましたが、貴方の名前しかわかりませんでした。そこかしこの町を駆け回り、市場で森に住む錬金術師の噂を耳にして、この小屋へ辿り着くまで一年も掛かってしまいました」 「そんなに長い間、俺のこと探してたのか?」 「どうしても、貴方のガラスが良かったんです」  聞き分けのない子供みたいな台詞と共に、グランツは悪戯に片目を閉じる。昔孤児だったというのが信じられないくらい、お伽話の王子のような振る舞いがグランツにはよく似合う。 「変わり者だとお聞きしていたので緊張していましたが、実際にお会いすると随分愛らしい方で驚きました」 「愛らしい……?」  ここはどう反応するべきなのだろう。  困惑するアルの前に、初めて会った日のように、グランツが跪いた。 「アル殿。これは領主ではなく私個人の我儘ですが、私はもっと貴方の作るガラスを見ていたい。最後のステンドグラスが仕上がった後も、ここを訪れることをお許し願えませんか」  グランツが恭しくアルの手を取り、その甲へそっと口付ける。これではまるでプロポーズだ。  薄暗い小屋の中で、グランツの髪がキラキラと眩しい。アルには、小屋に射し込んできた陽光に見えた。  やはりどんな場所にも、光はあるのだ。  返事の代わりに、アルは小屋に届いた光を強く手繰り寄せた。  作業台の前に立ったアルは、大きく一度深呼吸をする。  錬金術を使う際にいつも行う、お決まりの所作だ。  耐火性に優れた特殊な台の上に、円を描くようにして素材を並べていく。  グランツに渡すステンドグラスの最後の一枚。そのデザインは、引き受けた当初から頭にあった。  グランツによく似た、地上を照らす太陽。  その要になる、黄金色のガラスを作る。  乾燥地帯で採れる白砂。  砕いた岩塩。  湖の底の土を乾かしたもの。  着色には、森に咲く花を使う。  それらの中央に少量の香油を垂らし、そこへ火を灯す。  甘い花の香りを放って揺らめく炎へ、渡り鳥の羽でやわらかな風を送ると、台の上で全ての素材が溶けて混ざり合っていく。  その上に翳した手を、太陽の円をイメージしてゆっくりと動かすと、消えゆく炎の中から、黄金色の丸いガラス板が現れた。  ホッと息を吐いた、その直後。  ゴトリ、と鈍い音がして、大きな塊が作業台の上に転がった。 「は……?」  ガラスと一緒に出来上がったのは、拳大ほどもある巨大な宝石だった。情熱的な、真紅のルビー。  これまでの宝石とは、比較にならない大きさだ。  瓶の口には到底入りそうにない特大のルビーを持ち上げてみると、思わず呻き声が漏れるほど重かった。  これは、アルのグランツに対する『想い』。  持て余すほど膨れ上がったそれに、我ながら呆れてしまう。  グランツを見習って、もっと雄弁になる努力が必要だ。しかも、出来る限り早急に。  毎回こんなものを副産してしまっていたら、それこそ命がいくつあっても足りない気がする。それに何より、自分の『想い』にここまで自己主張されるのは、途方もなく恥ずかしい。 「ああ、もうやってられるか!」  一人きりの部屋で、照れ隠しのように吐き捨てて、アルは出来上がったガラス板と大きなルビーを丁寧に棚へと並べた。  瓶に詰め込んだ『想い』は、いつ打ち明けようか。
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