1 一之瀬家の場合

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 報せが届いたのはその日の夜おそくだった。  捜索願を出してから約二時間。  ユウキが見つかった。  中学校の男子トイレで首を吊っていた。  戸締りをする際に教師が点検に回った時には異変がなかったことから、閉門後に忍び込んで事に及んだとみられる。  学校側はすぐに保護者会を開いた。 「ご父兄の皆さま、夜分に申し訳ございません。お集まりいただきましたのは……その、ご存じかと思いますが一之瀬ユウキ君のことでございまして――」  動揺する保護者らを落ち着かせようと、校長の百瀬典弘は慎重に言葉を選ぶ。  だがどう取り繕ってもひとりの生徒が死亡した事実には変わりはない。 「それって自殺じゃないんですか?」  百瀬がせっかくオブラートに包んだ表現を台無しにしたのは、三宮という女性だ。  娘のヒカリは学年でもトップクラスの成績で、周囲からも教育熱心で知られている。 「それはまだ……警察の捜査が進まないことにはなんとも」  同時に口うるさいことでも有名だったので、百瀬はどうにかやり過ごそうと思った。 「私も今回の件には心を痛めております。保護者の皆さまにあってはなおのことと思います。また、同級生が亡くなられたということで、お子様にも動揺が広がるでしょう」  明日はひとまず休校とし、後日カウンセラーを常駐させると百瀬は宣言した。  傍にいた教頭も、最初の対応としてはこれで充分だとみていた。  実際、父兄らは騒ぎ出すようなことはなく、百瀬の話を静かに聴いていた。  号泣する者や激しい口調で詰め寄る者がいなかったので、この学年はやりやすいとさえ感じていたのだった。  百瀬の舌もいくらか滑らかに動くようになり、学校として誠意を持って事に当たる旨を伝え、ひとまず保護者会はお終いにしようとした時だった。 「一之瀬君が自殺したのはいじめが原因じゃないでしょうか」  控えめに、しっかり通る声でそう言う者がいた。 「今の段階でそういった発言は……」  余計なことを言ってくれるな、と叫びたいのを百瀬は堪えた。 「警察の捜査が進めば判明すると思います。ですのでそれまでは推測や憶測での発言は控えていただけると――」 「子どもが自殺する理由なんて、いじめか虐待くらいしかないじゃないですか」 「ですから……」 「捜査は警察がすると仰いますけど、いじめだったら調べるのは学校ですよ」  どうもこの保護者は原因をいじめにしたいらしい。  返答に詰まった百瀬は教頭に助けを求めた。 「教頭の九頭です。ご指摘の件ですが担任からはいじめがあったとの報告を受けておりません。心無い噂の種になりかねませんので、不用意な発言は慎んでください」  鋭く射抜くような目の九頭の口調に抑揚はない。 「加えて申し上げます。明日には騒ぎを聞きつけたマスコミが取材に来るでしょう。当然、その矛先はご父兄にも及ぶと思いますが、捜査に支障をきたす恐れがありますのでノーコメントでお願いします」  やや早口で言い立て、彼は再び百瀬に場を譲った。 「と、とにかく今はお子様に寄り添ってあげてください。多感な時期です。学校としても全力をあげてケアに努めます」  これ以上、保護者につまらないことを言わせないように百瀬は強引に保護者会を切り上げた。  そもそも今夜の集会は一之瀬ユウキの死と、学校の対応を伝えるために開いたものであって、質疑応答の場とするつもりはなかった。  いくつかの疑念と憶測を残しながら解散した保護者たちは、道すがら話し合った。 「私はやっぱりいじめだと思う」  と口火を切ったのは、先ほど百瀬に食ってかかった女だ。 「だって一之瀬君、一時期は登校拒否みたいになってたじゃない。勉強できる子が学校をサボるなんて考えられないわ」 「僕も同感かな。最近のいじめって陰湿だから表に出にくいっていうし」 「何でもかんでもいじめに結び付けるのは良くないと思うわよ。ちょっと揶揄(からか)われたりすることなんて誰にでもあるじゃないの。そんなことまでいちいちいじめにしてたら、キリがないわよねえ」 「本人同士は軽い悪ふざけ、ってこともありますもんね。あ、もちろんいじめはやっちゃダメなことですよ! でも、やられた側が過剰に受け止めちゃったら、ただのじゃれ合いもいじめってことになっちゃいますよ」  学校関係者がいないこともあってか、彼らは好き勝手に言葉を交わした。  一之瀬ユウキが自殺した理由は何なのか、から始まった井戸端会議は徐々に話題を変え、いつの間にか進学させるならどこがいいかという話に広がり、気が付くとこの場にいない父兄の噂話に転じていた。  誰も彼も身勝手で、そしてある意味では無関心でもあった。  自分の子が通っている学校で生徒が自殺したが、死んだのはよその子である。  彼らは不安がり、面白がり、一刻も早く原因を突き止めてほしいと願う者もあれば、この騒ぎを引っ張って楽しみたいと思う者もあった。  中には若干の正義感と大部分の興味本位から推理ごっこに興じる者もいた。  一之瀬ユウキの遺書が自室から発見されたのは、この保護者会の二日後のことだった。
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