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4 Xの場合
放火および殺人の容疑で千緑誠(せんろくまこと)が逮捕された。
四〇代の男で自営業を営む傍ら、犯行に及んだとみられている。
自宅倉庫からは本件に使用された凶器が数点見つかっており、指紋鑑定等の結果、犯人と断定された。
「私は正しいことをした」
連行される際、彼はこう言ったという。
少なくとも四件の放火および殺人事件に関与しているとして、現在も慎重に捜査が続けられている。
取り調べには素直に応じており、容疑については大筋で認めているものの、放火に関しては強く否認している。
犯行の連続性や関連性からしてK市での放火事件にも関与している可能性が高いと捜査班は見ているが、確たる証拠は出てこない。
千緑は既に大量殺人犯あるいは連続殺人犯として報道されている。
世間を震撼させた現代の切り裂きジャック、というのは些か大袈裟な表現だが、実際に彼が手にかけた人数を勘定すればあながち的外れでもない。
現時点で明らかになっているのは須貝新一、黒波隆盛、黒波豪鉄、黒波文江、灰谷守、鈍川和人の六名に対する殺人容疑である。
時間も場所もばらばらの事件であったため、彼の逮捕はさまざまな憶測を呼んだ。
“神出鬼没のシリアルキラー”
“大胆不敵で残忍な手口!”
“劣等感から生じる殺人衝動か?”
センセーショナルな見出しでこれでもかと飾り、各メディアはこぞって千緑誠容疑者を取り上げた。
その過熱ぶりは凄まじく、捜査員顔負けの取材攻勢は事件の本質に迫るという口実で彼に関する一切を暴き出そうとする。
近隣住民へのインタビューは言うに及ばず、出身校への突撃、同級生への聞き込み、作文や卒業文集の分析等、彼に纏わることなら何でも調べ上げた。
しかし殺人犯に繋がる情報は何ひとつ出てこない。
近所ではきちんと挨拶し、地域活動にも積極的に参加する柔和な人物で通っている。
同級生は彼を頭が良くて目立たない人間だったと口をそろえて評し、卒業文集にも将来の夢は人の役に立つことがしたいと書く、ごく普通の感性の持ち主であった。
もっともこれはこれでかまわない。
むしろ凶悪犯からは程遠い人物であればあるほど、そのギャップが際立って面白い記事に仕上がる。
二面性ともいうべき千緑の光と闇。
このコントラストを強調したい各社は、犯人擁護と受け取られかねないくらいに彼を善人として扱った。
こうしたある意味では通常どおりの報道が繰り返される一方で、ネット界隈では逮捕直後から千緑についてある共通点が注目されていた。
掲示板を中心に囁かれている、Xという人物だ。
遡れば一之瀬ユウキがいじめを苦に命を絶った後、巡谷たちが殺害されると同時にこのXなる人物が、“成敗完了”という不可解なメッセージを投稿している。
その数週間後、鶴間ミキが同級生から暴行を受けて死亡した事件では、主犯である烏丸宅と鷲羽宅が放火されている。
寝室で寝ていた二人は家族ともに焼死。
もうひとりの関与者、鵞門も絞殺されており、この時にもXと名乗る人物が同様の書き込みをしている。
さらに白矢徹のいじめ自殺を発端にした事件では黒波一家が惨殺され、灰谷、鈍川も相次いで遺体で発見された。
例によってXは報道されるより先に書き込みを行っている。
千緑誠こそXだ、という説はネットの中で爆発的に広まった。
早速、事件をまとめて時系列表にする物好きが現れる。
どの段階でどのような報じられ方をしたか、加害生徒の個人情報はどのように拡散されたかを分析し、Xの犯行時刻と書き込みのタイミングを付け加える。
この分析がなかなかに精緻で、些細な矛盾に目を瞑れば説得力もあったことから多くがこの説を支持した。
これが事実であれば彼は一〇人以上を殺害したことになる。
だが実際には六名を殺害していると報じられており、巡谷や空木の件に関しては今も関与を否認している。
このことからXとは千緑ではなく、殺人集団の名称だと主張する者もいた。
単独で全ての殺人を計画実行するのは不可能だろう、という理屈だ。
これに便乗するように秘密結社の陰謀論を推す声や、人工知能による人類への宣戦布告だという主張等、不謹慎ながら彼らは一連の事件の解明に盛り上がった。
核心に迫る推理から荒唐無稽な憶測まで雑多な意見が飛び交う中で顕著なのは、Xを支持する声が圧倒的に多いことだ。
殺害された者は因果応報だと冷ややかに一蹴される。
つまり加害生徒の言動は遺書や報道で明らかになっているから、同情されるようなことはない。
いじめという言葉では片付けられないそれらの行為が残忍であればあるほど、大量殺人というXの行為は肯定され賛美される。
テレビではXと千緑を結びつける報道は控えられてきたが、大衆を引きつける要素が出てこないことに業を煮やしたマスコミは、ついにネットの声を拾って両者を同一人物だと決めつけるような特集を組み始めた。
普段はネットを利用しない視聴者層にもこの説が流布し、Xの犯行の是非について巷間の話題をさらうことになった。
こうした世間の動きを待っていたように、千緑は新たに次のような供述をした。
『世の中には天にも法にも裁けない罪がある。だから私がそれらに代わって裁いた。罪人には罰を与えなければならない。正道を歩む者が報われる社会を』
彼は直截的な表現はしなかったが、誰もがこの供述を敵討ちと読み取った。
被害者遺族といじめを認めない学校を主に扱うメディアと異なり、市井は少年法や人権を拠所に手厚く保護されている加害生徒やその親への不満を募らせている。
本来罰せられるべき者を隠し、追及すべき相手をすり替え、遺族に追い打ちをかける現代の風潮を疑問視する者は多い。
不条理に対する憤懣は、重傷や死につながるいじめだけとは限らない。
教師への暴行、店を廃業に追い込むほどの万引き、線路への置き石、小動物への虐待、警察や救急へのいたずら電話……。
どれも罪深い行為だ。
ことによっては多額の損害や多数の死傷者が出るおそれもある。
取り返しのつかない悪質なものばかりである。
だがこれらの行為が“子どもだから”という理由で有耶無耶にされる。
大人がやればテロと見做されるような行動が、出来心のいたずらとして処理される。
人を殺しても、物を壊しても、秩序を乱しても。
未来を担う希望の卵は、あらゆる罪業への免罪符となる。
そんな子どもたちに目をつけられた犠牲者は、しかし報復することも叶わず、悪鬼羅刹がすくすくと育つ様を指を咥えて見ていることしかできなかった。
被害者遺族の心情を慮る声は多く、そして小さい。
彼らの想いは水面下で傷を舐めあう程度の力しかなく、社会を革めるには遠く及ばない。
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