4 Xの場合

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 署名を終えた八鷹コウは改めて渡されたビラを見た。  Xを無罪だと主張する根拠は何か、について書かれてある。  文言はやや感情的で一面的だが、だからこそ強いメッセージ性があった。  特に、“被害者は苦しめられ続けている”という一文は印象的だ。  大切な家族を奪われながら、加害者は守られる。  度重なる取材を受けることも、それを通して想いを伝えたところで現実が変わらないことも全て、遺族にとっては苦痛である。  この主張には無関係の人間にはなかなか気付くことのできない繊細さがある。  ビラは他にも数種類あり、被害者の惨状を羅列したもの、法改正を訴えるものが大半だ。  特に後者は判例や弁護士の見解も引用されており、丁寧な構成となっていた。 「本当に許せないことですよね」  八鷹は看板を支えている女に言った。 「ええ、同じような想いをしている人がたくさんいます。本来はそんな人たちが守られるように法律があるべきなんですが」 「おっしゃるとおりです」  八鷹は微笑して続けた。 「卑劣ないじめがなければXが現れることもなかったでしょうね。彼もまた、社会に一石を投じたかったのかもしれません」  彼が言うと女は感心したように何度も頷いた。 「私もそう思ってたんです。判決がどうであれあの人が刑を受けて終わり、では世の中は何も変わりません。Xが犯罪者なのには違いありませんが、他の事件と同様に裁くべきではないと――それが私たちの考え方なんです」 「よく分かります。僕も同じように考えてましたから」  意気投合した二人はしばらく話し込んだ。 「すみません、あまり長居しては邪魔になりますね。そろそろ失礼します」  通行人が増えてくると、興味を持って近づいてくる者も増える。  なかなか署名に結びつかないが、根気強く説得を続けると数十人に一人は応じてくれた。  もっとも、請願書を完成させることだけが会の目的ではない。  まずは被害者の痛みや苦しみを知ってもらうこと。  一般には報じられることのない事件の裏側に触れてもらうことで、表面的な理解から深層への理解につなげる。  そしてそれが共感に至れば、やがて社会を変える大きな力になる。 「ああ、そうだ。よければこの広告、何枚かいただけますか? 知人にも見せたいので」 「何枚でもお持ちください。より多くの人の声が集まれば、きっと結果につながります」  彼女の言う、“結果”とは千緑が罪に問われないことを指すのだろう。  そう思った八鷹は、 「大丈夫ですよ。Xは不滅ですから」  なかば確信を持って言うとその場を後にした。  駅前で軽く食事をすませ、ついでに旅行会社のパンフレットを適当に手に取る。  ここしばらく神経を使う作業が続いていたから、温泉にでも行こうと思い立ったのだ。  金にならない仕事の繰り返しだったが貯蓄はある。  これを機に一週間くらい旅行を楽しんでも罰は当たらないだろう。  パンフレットをめくりながら帰路につく。 「八鷹コウさん」  目の前の角を曲がれば数メートルで自宅というところで、背後から声をかけられる。  振り向いた彼はその姿を認めると嘆息した。  刑事だった。 「K市で起こった連続放火殺人について――」 「僕は何も知りません」  やり過ごそうと踵を返すが時は既に遅かった。  前方にも数名の刑事がいた。  八鷹の一挙一動を見落とすまいと鋭い視線を向けている。 「捜査は――進んでいるんですか?」  彼は意味のない質問をした。  自分とK市の事件を結ぶ線はなにも無いハズだ。  通勤ルートでもないし、近くに親戚や友人が住んでいるワケでもない。  それに観光地でもないから何ら縁のない者が赴くハズがない。  そんな人間はこの近辺にはいくらでもいる。  その中から自分を選んで声をかけてきたのが刑事とあらば、唯一の関係性――つまり烏丸宅と鷲羽宅に火を放った事実を突き止められたということだ。 「証拠も確保しています。あなたがあの夜、あの場にいた証拠です」  刑事は顔色ひとつ変えない。  彼らはほとんど無表情のまま任意同行を求めた。  どうにも言い逃れはできない状況らしい、と八鷹は悟った。 「……分かりました、全てお話しします」  狭い通路で挟まれてしまっては振り切ることもできない。  それに自宅を知られている以上、逃亡は一時しのぎにもならないだろう。  報道によれば逮捕時の千緑誠は潔かったという。  取り調べに素直に応じ、捜査にも協力的なのは彼の性格によるものであろう。  ならば自分もXとして彼に合わせようと八鷹は思った。  ここでみっともなく足掻いてはXの名に傷がついてしまう。  弱きを助け、悪を裁く正義のヒーローは高潔であるべきだ。 「でもその前にひとつ。これだけは言っておきます」  イメージは大切にしなければならない。  少なくとも自分の他にもう一人いるハズのXとこれから先、自分たちと同じく義憤で動く同志のために、これだけは必ず言っておかなければならない。 「僕は正しいことをしたんです」    終
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