新たな旅立ち

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新たな旅立ち

 遠くに聞こえていた賑やかな祭りの音も聞こえなくなった頃、レンは最後の別れをシェリーに告げていた。  ベッドに横たわらせ、汚れてしまった顔を綺麗に拭いてやる。  まだあどけなさの残る顔。これから成人し、誰か生涯の伴侶を見つけて明るい未来を作っていくはずだった。  シェリーとの思い出を振り返ろうとすると、浮かぶのは明るい笑顔だ。  いつも子供のようにレンに懐いてきた。酒場の看板娘でよく気が利く子だった。 『私はレンのお嫁さんになる!』  幼い頃に、小さな体で大きく胸を張ってそう言っていた事を思い出す。 『俺はもう、ヴァンパイアの力なんかには負けないから』  固くそう誓う。あのままヴァンパイアに呑まれてしまってもおかしくなかった。それを救ってくれたのは他でもないシェリーだから。 『レン、あなたは強い人だから、きっと乗り越えられるわ』  その言葉が耳朶に残っている。その声に必ず応えて見せる。  レンは感傷に浸るのを止め、顔を上げた。行かねばならない。  ここに寝かせておけば、近いうちに誰かが探しにきてくれるだろう。そして、最初にここを見つけるのは恐らくシドだ。その時の事を考えると胸が痛んだ。  いつかあの世で会えたなら、どんな制裁も受けよう。だがそれはやるべき事をを果たした後だ。  レンは船を降りる。  まずは家に帰らねばならない。盗賊達はレンの研究成果報告が入った封印庫を盗んでいった。  だが、盗まれた封印庫にはランドルフに前回報告した報告書以外は入っていない。ヒトに対する魔獣合成の詳細については机の下の隠し扉に眠っている。  封印庫は魔法陣で強力な鍵がかけられている為、暗号を解読して封印庫を開けるのにひと月はかかるだろう。  あれからもうすぐひと月が経つ。ならば、敵はまだ本命の研究成果が別にあることを知らない可能性もある。 『まだ、見つかっていなければいいが』  最悪は、既に本命の封印庫が敵に見つかり持ち去られている場合だ。レンの頭の中では、復讐の為の計画が練られている。そのためには、研究を更に進める必要があるのだ。  それ以外にも、封印札を取りに帰らねばならない。ヴァンパイアの意思の力に抗いきれない状況に陥る可能性も否定できない。封印札があれば、力を制御しやすくなるはずだった。  レンは洞窟から歩いて外へ出る。ここはハクビ村から近い場所にあり、レンの家までは馬で半日程度の距離だ。歩けば2日程度だが、レンの義足では3日はかかるだろう。  皮肉なことに、シェリーの生命を吸ったレンの体は今、生命力で満ちていた。力が溢れてくる気がする。頭脳も活性化し、脳が覚醒している。今まで生きていた間は、脳が寝ていたのではないかと思うほどだ。  体の活性化を感じたのは、シェリーに別れを告げた後だった。一番の変化は髪と目の色だ。黒髪黒目だったのが、銀髪赤目になり、よりヴァンパイアの特性が強く出ている。  レン自身がこの変化に一番驚いた。窓に写る自分を見たときに誰だか一瞬わからなかったほどだ。これも合成の副作用という事だろう。  夜の闇の中を歩き出す。空には美しい満月が全てを見通すように、明るく大きく輝いている。  レンが歩む道は、光か、闇か。 王都付近の森――  中天に差し掛かろうとしている太陽はその力強さを見せつけ、新緑の森はそれを受けて燃えるような生命力を放っている。  その森の中で、一人の男が馬に跨り辺りを警戒していた。ブロンドの長い髪は風に流されて光の波を作り、身に着けた同じ色の鎧が神々しく輝きを放っている。背に纏った白い外套には金糸で刺繍(ししゅう)が施されており、男が近衛騎士であることを示していた。  まるで天に遣わされた騎士の如く、絵画からそのまま抜け出てきたような姿だ。彼の名は、ラグナ=セントリウス。近衛騎士団の中でも最強を誇る光龍の魔獣能力者だ。  ラグナの後ろには同じく近衛騎士である二名の騎士が付き従っている。 「ラグナ団長」  そこへまた一人、馬を駆って合流した近衛騎士が、金の鎧を着た男に声を掛けた。 「何かあったか?」  声を掛けた近衛騎士はラグナが斥候として周辺の見回りに出していた者だ。馬を駆けさせて報告に来たという事は良からぬことがあったという事に他ならない。 「少し先の海辺で人が倒れているのを見つけたのですが……」  報告しに来た騎士がそこで言い淀む。何か異変を見つけたが、決定的な問題かどうかを判断しあぐねているといった所か。 「ありのままを言えばいい」  判断は自分が責任を持って行う、それを言外に込めて話を促す。 「様子がおかしいのです。どうやら何かの魔獣能力者かと思われます」  その予測がもし当たっていたとしたら、危険性が高い。暗殺者の可能性もあるが、一般人だったとしても正しい指導を受けて魔獣能力を制御できなければその危険性は魔獣と大差ない。  近衛騎士である彼らが警戒に当たっている理由、それは現在この森で行われている王族と貴族の交友会の警護の為である。  年に一度、国王や王妃は参加しないものの、王子やそれに連なる公爵、更にその傘下の大貴族達が交友会に出席する。目的は国政や周辺領地についての意見を忌憚なく発言し合う場、という建前であった。  今はその公友会のイベントで森まで狩りをしにやってきている所なのだ。万が一にも魔獣が出て王族や貴族に被害が出てはならない為、こうして近衛騎士の中で最高戦力であるラグナが出張っている。 「私が直接行こう。お前達はフレデリック王子とリシャール王子の警護にそれぞれ就け」  ラグナは背後の近衛騎士二人に対し、王子の護衛任務を与えた。そして自らは報告を上げた斥候と共に馬を駆り現場へと赴くことにした。  ヴァルキュリア王国には二人の王子が居る。第一王子であるフレデリック=ドゥ=ヴァルキュリアと、第二王子のリシャール=ドゥ=ヴァルキュリアだ。  この公友会は二人の王子を取り巻く会といっても過言ではない。第一王子派と第二王子派に分かれ、その権力闘争に水面下で火花を散らしている。  フレデリック王子は現在十五歳であり、あと数年で成人となる時期だ。聡明で人望に厚く、彼が王座に就けば次の代でも王国は安定するであろうという下馬評に対し、二歳年下のリシャールの評価は低い。  リシャールは頭脳明晰ではあったが、強欲であり他者を蔑む傾向が強く、その性格も相俟って兄であるフレデリックとは犬猿の仲であった。  一方、ラグナ達の動向に気付いた男がいた。リシャール派閥の末席にありながら、派閥内での地位向上を虎視眈々と狙う貴族――グラム=アッシュ伯爵だった。  その鋭い瞳で近衛騎士達の動きを見守り、何かがあったと嗅ぎ付けた。 「ラルフ。近衛騎士達がどこへ行ったのか見てこい」  側に控える銀仮面を付けた黒鎧の騎士へ告げる。貴族達はそれぞれ、自らの護衛を一人連れている。ラルフはグラムの護衛としてこの会に参加している。 「了解」  感情を感じさせない無機質な声でそう答え、馬首を返すとラグナ達を追いかけていった。  ラルフは、レンの襲撃事件の後に約束通り騎士に推挙され、王国より下級騎士を叙任されることになった。まさか約束が守られるとは思っていなかったラルフは驚いたが、それを受け入れて現在は騎士としてグラムに仕えている。  何か大きな手柄を立てて王国から士爵位を賜る事ができれば、マリーとの正式な結婚すら夢ではない。そう考えてラルフはグラムの元で働いていた。  ラグナ達の目指す場所はそう遠い場所ではなく、馬を掛けさせればわずか数分という場所であった。  その場所へラグナ達が到着すると、それを追いかけていたラルフがわずかに遅れて到着する。ラグナは誰かが後から付いて来ている事にはもちろん気づいていた。それがどこかの貴族の護衛であることもわかっている。 「付いて来て頂かなくとも、我々だけで問題ないが」  馬を寄せてきたラルフに対し、そう牽制する。王族護衛の任務で、万が一にも何か問題が起きれば大事(おおごと)だ。それがもし何らかの形で貴族の勢力争いの種にされては迷惑なのだ。 「悪いがこちらも仕事なのでね。手は出さないので安心してくれよ」  そう興味が無さそうに答える。本来であれば伯爵貴族の下級騎士が、王族直轄の近衛騎士にぞんざいな口を利くなどありえない。その証拠に、斥候を務めている騎士はラルフの敬意の無い話し方に眉を(しか)めている。 『確か、この男はグラム=アッシュ伯爵の推挙で騎士になったラルフ=シュタイナーだったな』  そう記憶を掘り起こす。騎士叙任は王族が行う為、叙任式には警備としてラグナも出席したのだ。その時に他の若い騎士達とは一線を画した雰囲気を纏うラルフは目立っていた。 「まあいい、大人しく見ているだけにしてくれ」  ラルフを問い詰めようと口を開きかけた斥候の騎士を、手を上げて制してそう告げる。ただの礼を知らぬ愚か者か、それとも裏表の無い人物なのか、それを見極めるには情報は少ないが、今はそんな事は後回しにするべきだ。  海岸線に視線を移し、斥候の言っていた問題の人物を探す。  そしてそれはすぐに見つかった。
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