家族

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家族

 ハクビ村でラルフやシェリーと邂逅してから一週間後――  新緑の草原が美しく輝き、海が遠くまで見渡せる小高い丘の上。柔らかな風が心地よく吹き抜け、命を育む土の香りを運んでいる。どこまでも抜けるような青い空の頂点から、太陽が優しく暖かな光を投げかけていた。  丘の上には一軒の家が建っている。煉瓦作りで三角屋根のその家は大きくはないが玄関のドアや柱が白で統一されており煉瓦とのコントラストが映え、慎ましくも美しい。  その庭には同じく煉瓦で造られた花壇があり、かわいらしい花が活き活きと咲き誇り風に揺られている。家の傍には青々と緑を繁らせた大樹があり、その枝の間にはハンモックが吊るしてあった。  どこからか飛んできた小鳥が大樹の枝に止まり、可愛らしく声をあげた。その声に反応したのか、ハンモックで居眠りをしていた人物が眠たそうに瞼を開ける。 「う……ん……」  気持ちの良い陽気の中、ハンモックでまどろんでいたのはレンだ。しかしその額には汗が浮かび髪が張り付いている。 「また、あの夢か……」  茫然と夢の中で見た両親の面影を思い出す。昔から何度も見た夢だ。しかし最近はしばらく見なかった苦い思い出に思わず歯を食いしばる。だがその時、パタパタと軽快な足音が近づいてきた。  家の裏口の戸を開けてハンモックに近づいてきた足音の主は、年の頃は9歳くらいの少年で麻の白いシャツと膝までの同じく白いズボンを履いている。活発な子供らしい動きやすそうな服装だ。うなじの辺りで切りそろえた栗色の髪を揺らしながら、今はその顔に困ったような表情を乗せている。  小さい顔に大きくつぶらなスカイブルーの美しい瞳を持つ可愛らしい顔をしていた。どうやら少年のお目当てはレンのようだ。 「父さん、そろそろ起きないの?母さんに叱られちゃうよー?」  そう言いながら、ハンモックの横からレンの顔を少年が覗き込む。 「ん、クリスか……」  少年の声に反応した彼は、仕方なく上半身をだるそうに起こす。寝ぼけた頭を覚醒させるかのように黒髪を手で掻き、その後両手を大きく上げて体を伸ばした。そしてクリスと呼んだ少年の栗色の髪を優しく撫でた。 「本を読んでいたらいつの間にか眠ってしまっていたようだね。起こしてくれてありがとう」  ハンモックから片足を下ろして少年に温かな視線を向ける。頭をなでられたのが嬉しかったのか、クリスはニッコリと満面の笑顔で笑った。 「ううん。もうすぐお昼ご飯だって。母さんが言ってたよ?」  起こしに来た理由を告げるクリスに頷き返してレンはハンモックから降り、クリスのまだ軽い体を抱き上げた。 「そういえば父さんも腹が減って来たよ。一緒にウチに入ろうか」  二人は微かに香ってきた昼食の匂いにつられるように家の玄関を目指した。  玄関をくぐった室内は白を基調とした明るい壁紙で統一されており、壁には草花で作られたリースが飾られてラベンダーの爽やかな香りが仄かに鼻孔をくすぐる。だが今はラベンダーの香りよりも腹の虫に訴えかける匂いに誘われながらレンはキッチンの扉をくぐった。  そこには匂いの元であろう湯気のたつ鍋をかき回している女性が一人。そして傍らには小さな可愛らしい女の子が女性のスカートの裾を握って調理の様子を興味深そうにのぞき込んでいた。 「うまそうな匂いだね、ミーシャ」  ミーシャと呼ばれた女性が振り返り、笑顔をこぼした。美しい栗色の髪が肩まで伸び、大きなスカイブルーの瞳が印象的なのはクリスと同様だが、猫のようなアーモンドアイと美しくも大きめの口が闊達さを感じさせる。 「んもう、やっと戻ってきたのね。もうすぐご飯できるからちょっと待ってて!」  レンが読書や仕事に没頭して時間を忘れてしまうのはいつもの事だ。そして、仕方ないなぁと諦めたような困ったような表情をまぜながらも笑顔で許してくれるのも日常であった。  キッチンに繋がるダイニングには簡素な木のテーブルを挟んで向かい合わせに4脚の椅子があり、テーブル上にはすでにパンやサラダが用意されている。あとはミーシャがかき混ぜていた鍋の中身を並べたら完成といったところだろう。  クリスを椅子に座らせた後、レンも椅子に腰かける。 「ああ、ありがとな」  そう言いながらレンはテーブルに置いてあるバスケットからパンをひとつ手に取りかじった。自家製の石窯で焼いたパンは少し固めではあるものの、香ばしく後を引く味だ。  ちょっとしたつまみ食いのつもりが食欲が促進されてパンをひとつ食べきってしまいそうになっていると、ミーシャの足元にくっついていた女の子がレンの足元に走りよってきた。  背はまだレンの腰高程度で、ミーシャと同じ栗色の髪は背中まで伸ばしている。瞳の色も同じスカイブルーだ。まだ幼女ではあるがつぶらな瞳や母親似の顔の造形から、将来はさぞ美人になるだろうなと親ばかな考えを抱かせるには十分な可愛らしさを持っている。  レンは女の子の目線に合わせるよう背を屈ませながら、頭に手を乗せて優しく話しかける。 「レティ、いい子にしてたかな?」  そしてニッコリ微笑んで、レティを抱き上げた。すると彼女の顔が綻び嬉しそうな声をあげた。 「うん、私、母さんの料理のお手伝いをしたのよ。母さんにほめられちゃった」  その笑顔にレンも微笑みを返しながら抱き上げたレティを膝の上に乗せ、パンを小さくちぎって「あーん」と言うと、レティは口を大きく開ける。レンはクスクス笑いながら、それを口に入れてやると、モグモグと一生懸命食べ始めた。 「もう、お行儀の悪い」  レンを窘めながらもミーシャがシチューの入った木製の皿をテーブルに並べていく。 「まあ、ちょっとぐらいいいじゃんか」  苦笑いしながらレンが答えた。そしてミーシャとレティもテーブルにつく。今日もいつもと変わらぬ平和な一日だ。 「あーあ……」  昼食を摂り終えたレンはミーシャの入れた紅茶を片手に嘆息していた。紅茶の表面に映る自分の困った顔を見ると更に追加でもう一つ溜息が出た。食器を片付けているミーシャの背中を眺めながら、心底嫌そうな声で呟いている。 「もうすぐ研究成果報告会かぁ……」  クリスとレティはキッチン奥の子供部屋で遊んでいるようで時折楽しそうな声が聞こえてきており、それだけがレンの心の慰めてくれているようだ。  ミーシャは片付けをする手を休めないまま、憂鬱そうなレンを横目で見やる。 「研究、捗っていないの?」 「うーん、もうちょっとのところまで来てるんだけどなぁ。魔獣合成の理論は確立したはずなんだけど、実証例が足りなくて……まだ研究成果として報告できる段階にはなっていないんだよね」  こんな風にレンの研究の愚痴をミーシャが聞いてくれるのはいつもの事だ。研究者ではないミーシャには説明しても内容は伝わらないはずだが、いつもレンの話を興味を持って聞いてくれる。  おかげでネガティブな思考に陥ってしまいそうな時に何度も助けられてきたのだ。そして今日も溜息交じりの夫を励ましてくれている。レンは口には出さないがとても感謝していた。 「とまあ、こうやって俺の理論が正いことを証明できれば、大儲けできる――じゃなくて、人々の助けになるはずなんだ」  研究の内容を簡単になぞるように説明した後、ふぅと一息つくとレンは少し心が軽くなったような気がした。 「研究成果報告会までにはまだ少し時間があるから、それまでに出来ることをするだけさ」  そっか、と呟くと洗い物の手を止めてミーシャは振り返り、その大きな瞳でレンと目線を合わせた。これもいつものことで、レンのやる気を出させる最後の決め台詞がくるのだ。 「大丈夫!頑張れレン!」  パン!と背中を軽快に叩かれると、やる気が溢れると共に照れくささも伴った優しい気持ちも溢れてくる。照れ隠しに背中をさすりながらレンは席を立った。 「はは、そうだな。報告資料を完成させてくるわ」  家族の期待に応える為にも研究を成功させようと意気込み新たにレンは自室へと足を向けたのだった。  自室兼研究室である部屋は、雑然と置かれた実験器具や所狭しと積み上がった学術書や報告書、はたまた合成に使用する素材などが乱雑にちらばっており混沌としている。しかし部屋の主としてみればこれが最善の配置と主張するのが常である。  そんなわけで掃除も行き届かぬ(実際にはミーシャが掃除をしようとするとレンが断固拒否するのだが)部屋にはうっすらと埃が舞い上がりカーテンの間から射す陽光を煌めかせていっそ幻想的な雰囲気に仕上がっていた。  そこにやってきた部屋の主人は部屋の中央に置かれた小動物程度なら捕えておけそうな檻の前でしゃがみ込み、黒い瞳を眇めさせ檻を覗き込む。 「さて、ラット君の調子はどうかなと」  覗き込んだ視線の先には一匹の鼠がおり、警戒するように鼻をひくひくと動かしながら檻の中に敷かれた藁の間に潜り込んでいる。その動きや皮膚の色、爪の伸び方や体の大きさなど細かく観察した結果を羊皮紙の束へと手早く書き込んでいった。 「合成後十二時間経過しても特に変化なし、か……」  またもや盛大な溜息をつき羊皮紙の束とペンを机に投げ置いて、自身は近くの椅子に勢いよく身体を預けた。落胆の入り混じった視線の先には机の上に置かれているガラスの小瓶があり、小瓶には薄く光を放つコバルトブルーの液体が詰められている。  小瓶の中身は討伐した魔獣から採取した血液であり、現在はそれを投与した被験者(鼠ではあるが)の様子を観察しているところだ。レンの落胆の様子から結果は言わずと知れよう。 「この調子じゃ報告資料なんて机上の空論でしか書けないし、とにかく何か変化が見えるまでは粘るしかないな」  そう独り言つと気を取り直して机に向き直りレポートの作成に着手し始める。実験結果まで書けずともまずは現状報告はせねばならない。レンはレポートの題名に『ヒトに対する魔獣能力の人工的付与』とペンを走らせた。  レンが研究に没頭している『ヒトに対する魔獣能力の人工的付与』とは、過去にも幾多の魔獣合成師が挑戦し夢破れたものだ。  この研究に言及するにはまず魔獣能力者について知らねばならないだろう。  この世には神でもない人の身でありながら奇跡の力を持つ者が時折り生まれることがあった、それが魔獣能力者と呼ばれる人々である。  彼らは人間でありながら魔獣の力をその体で発現することが出来た。ある者は灼熱の火炎で天をも焦がし、ある者は天空を風のように駆け、ある者は剛腕の一振りで大岩をも割るという。  能力が開花するのは人により年齢差はあるが成人までには発現する。そしてそれは生来生まれ持ったものであり、後天的には身につかないというのが現代の常識となっている。  その天賦の才ともいえる能力開花は血筋によるものでもなく突然に現れる事から正に神からの祝福であろうと言われ、その希少性も相俟って能力者であるというだけで、国から驚くような優遇を受けられた。  しかしだ、『ヒトに対する魔獣能力の人工的付与』の研究がもし結実するのであればその常識は覆る。誰もが魔獣能力者のように能力を得ることができるはずなのだ。人類進化の大きな一歩と言って差し支えない。  だからこそ同じ夢を胸に抱き挑戦した数多くの研究者がおり、しかしながらその奇跡の業に辿り着けずに夢破れていったのである。  相変わらず被験者に変化は見られない。レンは眉間の皺を深くしながら椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰ぎながら自身に問いかける。 「俺は間違ってんのかね……」  これまで何度もぶつかって来た疑問。自分の夢を追いかけて研究を続ける日々はレンには願ったり叶ったりの環境だ。研究には魔獣素材が欠かせない為に街から離れた辺鄙な土地に居を構え、自ら魔獣を狩ってはまた研究に没頭するそんな毎日。  しかし、愛する家族にとってはどうだろうか。街に住めば子供に良い教育を与えられるし、遠くまで買い出しに行かなくても済む。違う仕事も出来るかもしれない。魔獣と戦う事で命を落とす可能性も無くなり、魔獣合成師のような収入が不安定な職で家族に心労をかけることも無くなるのだろう。  でも、それでも―――俺はこの研究を成功させたい……  心の中でそう呟いたが、反面で自分の我儘ぶりに呆れる思いだった。  長時間のデスクワークで凝った体に鞭を入れるように動かし椅子を離れ、レンは壁に掛かっている一振りの長剣の前に佇み黙祷を捧げる。 「父様、母様、どうか俺を見守っていてください」  黙祷を捧げている長剣は父の形見だ。鞘には流麗な炎の鳥が描かれ、その羽から延びる猛き炎は剣の柄部分へと優美に流れる装飾が施されている。この部屋にはそぐわない価値があるのは誰が見ても自明な逸品であった。  レンはまだ幼い頃に住んでいた村に起きた悲劇により父を亡くした。その後母と二人で暮らしていくはずだったのだが、父亡き後の母は病に伏せてしまい、その命は長くなかった。  その絶望は幼い心には筆舌に尽くせぬ苦しみであったが、父の友と名乗る騎士に養子として迎えられ、成人するまで貴族と変わらぬ高度な教育を受けることが出来たのは幸いであっただろう。結局レンはアルケミストになると宣言しその家を飛び出してしまったのだが。  レンの研究への情熱はそこにあった。自分には魔獣能力が開花しないと分かった時、レンはまた絶望したのだ。あのような(わざわい)により不幸な人をこれ以上生み出さない為には力が必要だ。だが自分にその力は与えられなかったのだから。  心のどこかで禍の原因に対する復讐心が執着となり心に巣食っているのだ。レンは鞘に彫刻された炎を見るたびに思い出す。あの日、村を焼いた炎を重ねながら―――
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