下町の聖人

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下町の聖人

 ヴァルキュリア王国。この王国は大陸一の覇権を握り世界最大の領土と軍事力を有する大国である。その首都であるリヒテンブルグは世界中の著名な芸術家達に、その街自体が芸術であると言わせる程の優美な外観を誇っていた。  そのヴァルキュリア王国のとある森の中―――首都から馬で数日程度の距離だろうか―――、そこには駆ける青年の姿があった。  昼日中であるにも関わらず森の中は鬱蒼と茂った葉に陽光を遮られ薄暗い。時折り張り出す木の枝や草の蔦は彼――レンの足を隙あらば引っかけようとしてくるが、レンは慣れた足さばきで足音も立てずに移動している。その手には使い慣れた小弓を持ち、黒い双眸は獲物を捉えていた。  鋭い視線の先、そこでは猪のように見えるがそれにして大きすぎる体躯をした生き物が息を荒くして動物を貪っている。 『ワイルドボアか……』  声には出さず心の中で呟き、その魔獣から剥ぎ取れるであろう戦利品に思いを巡らせる。牙や爪は薬になるし肉も売れる部位がある。そこそこの稼ぎにはなるかと考えつつ、物音ひとつ立てずにスラリと矢を矢筒から抜き取り弓につがえた。 「呪うなら魔獣に生まれたことを呪ってくれよ!」  その言葉が紡ぎ終わる前にピュンッと軽い風切り音が発生し、次の瞬間にはワイルドボアの眼球に矢が突き立っていた。  グルオォォォウ!!  突然の激痛に魔獣は身をよじり悲鳴のような鳴き声を轟かせる。だがレンはそんな声などおかまいなしに木の陰から躍り出てそのまま腰に差している長剣を抜刀。明らかに人間を超えているであろう速度でワイルドボアに肉薄すると、数メートルまで迫った所で獲物の血走った目と視線が交差した瞬間に跳躍した。  魔獣の目にはレンが消えたように見えたかもしれない。そしてそれが最後の映像となっただろう。跳躍したレンはその勢いのまま頭蓋の頂点部分に剣を突き立てていた。瞬間、刀身が赤く煌めきジュウッと肉の焼ける音が微かに響く。それきり、ワイルドボアは動かなくなり地に横たわった。 「よし、狙い通り一撃で仕留められたか」  数呼吸程度の間、魔獣が再び動き出さないことを確認すると、剣を引き抜き刀身を拭ってそれを鞘に納める。  彼の名前はレン=バーミリオン。魔獣アルケミストを生業としている。年の頃はもうすぐ30になろうといった所だが、とてもそうは見えない容姿だ。  黒く艶やかな髪を肩まで伸ばし、瞳は吸い込まれそうな漆黒の黒。筋の通った高い鼻と形の良い少し薄い唇。白い肌が特徴的だ。さほど仕立ての良くないチュニックに灰色のズボンを身に着け、その上から簡素な皮鎧と革ブーツを着装している。ぱっと見では魔獣狩りを生業にするハンターと呼ばれる職業に間違えられることだろう。  一般人の認識では魔獣アルケミストとは主に部屋の中で夜な夜な怪しい実験を繰り返すような人物を想像するものだ。実際殆どのアルケミストはご想像通りのインドア派なので、間違っても剣を振り回して魔獣なんて討伐したりはしない。  そんな例外である彼はワイルドボアから戦利品を剥ぎ取り終わると、亡骸の前で手を合わせる。 「まあ、これも弱肉強食だ。悪いが潔く成仏してくれ!」  そんな成仏しづらくなるような台詞を残し、森の外へと歩き出した。しかも戦利品を換金した時の金額を思い鼻歌を歌いながら。           「んー、ざっとネーデウス銀貨3枚と銅貨2枚ってところだな」  先ほどの森に程近い村のハンター商会で、神経質そうな男がレンの持ち込んだ戦利品をじっくり鑑定しながらそう呟き、上目遣いで正面に座るレンの顔を見やる。 「はぁ!?嘘だろ!ワイルドボアの牙や爪は流通量が多くないし肝だって貴重な薬の材料になるはずだろ!俺にはかわいい妻と子供がいるんだ、そんな酷いぼったくりあるかよー」  レンは多少大げさにそう嘆き始める。ちょっと声量を大きめにして周りの客に聞こえるかどうかギリギリの音量にしておくのがコツだ。 「レン、おまえはいつもそうやって………まあいい」  一瞬腰を浮かせて怒るかと思われた男だが諦めたように嘆息すると銀貨を1枚追加してテーブルに乗せてやる。レンが妻帯者なのは本当だし、生活が楽ではないのも知っている。長い付き合いだ。 「あれ?どうしたおやっさん、熱でもあるんじゃないか。薬草やろうか?銅貨2枚だけど」  レンはおやっさんと呼んだ男の額に馴れ馴れしく手のひらを当てがいながら商売を始めようとする。いつもなら激しい値段交渉が始まるのにレンは少々意外であった。 「いらんわっ!しかも金とるんか!」 「はっは、冗談だよ。ジョーダン。しかしおやっさんがこんな気前いいなんて珍しいじゃん。マジでどっか具合悪いんじゃないかと心配になるよ」  その言葉におやっさんはふんと鼻を鳴らすと買い取った品物を整理し始める。 「近頃魔獣が増えてきているようでな。こんな時は稀に魔獣が狂暴化することがあるもんだ。『下町の聖人』が居なくなったら困るやつもいるかもしれねえし、餞別だ」 「『下町の聖人』ねぇ……。その呼び方やめてくんないかなぁ、こう背筋がムズムズしてくるんだよね」  レンは大仰に自分の肩を抱きしめて震えるようなリアクションをとるが、おやっさんは完全に無視して続ける。 「フローラ婆さんが最近かまどの火の付きが悪くなって困ってるそうだ。行ってやれ」  すると話は終わったとばかりに店の倉庫への扉を開けて荷物を運び始めてしまった。 「ふーん。まあ、茶でも飲ませてもらうついでになら、火の付きくらいは見てやるかね」  戦利品の代わりに得た硬貨を懐にしまいつつ、そんな悪びれた言い方をしたが、その顔には照れくさそうな微笑みが乗っていた。    レンはおやっさんの店を出ると村の中心地から遠ざかるように通りを歩いていく。舗装もされていない踏み固められただけの土の道、ここはハクビ村という小さな漁村であるが首都と同じように中心地から離れるほど社会的弱者が増えてくる。規模が違うだけでどこの街や村も同じようなものだ。  数分も歩けば、だんだんと商店が無くなり民家ばかりとなり、そのうち民家が途切れて掘っ建て小屋ばかりの場所に出る。レンはそんな小屋のうちの一つ、入り口に掛けられた薄汚れた布切れを片手で捌きながら声を掛けた。 「フローラ婆さん、いるかい?」 「おや、レンじゃないか」  そう明るく答えてくれたのは60も過ぎようかという老女――フローラであった。フローラは椅子に座って読み物をしていたようだったが、本を閉じるとレンを招き入れる。 「おやっさんに聞いたんだけど、かまどの火付きが悪いって?俺がみてやろうか?」 「そうなんだよ。村の商店に言ってもなかなか見に来てくれないし困っていたんだ。茶も入れられやしない。まったく村の連中は小童の頃から面倒を見てやったのに冷たいもんだよ」  そう憤慨するフローラだが、レンが来たことでどうやら上機嫌のようだ。レンはフローラの言葉に苦笑いを返すと、さっそく部屋の一角にあるかまどの中を覗き込む。 「あー、こりゃ着火用の魔器がいかれちまってるわ。多分直せるからちょっと待っててな」  レンは背負っていた鞄を下すとその中から赤みがかった小さな牙のようなものを取り出した。それを掌に載せてしゃがみこみ、かまどの下にあてがうと何やら小さく呟きだす。するとその手が淡く光りだした。 「いつもながら、見事なもんだねぇ」  目を細めて感心しながらフローラはその光景を見つめている。ほんの束の間が経過すると淡い光は収まりレンはふぅと息をついた。 「多分これで大丈夫だと思うんだけど、ちょっと火をつけてみてよ」 「はいよ、ホントにありがとうねぇ」  フローラはかまどの前に立ち手をかざしてみるとボッという低い音と共に小さな火がかまどの中に灯った。その火は徐々に大きくなりかまどが温まっていくのがわかる。   「よっし、問題なさそうだな!」 「さすがの腕前じゃないかい。湯を沸かすから茶でも飲んでいきな。外の話でも聞かせておくれよ」  フローラは辺鄙な村では滅多に手に入らない秘蔵の茶葉を取り出しながら嬉しそうに話し、レンもそれはやぶさかではない。村に来ればフローラの所に来るのはいつもの事だし、その度に話好きの老女はレンを引き留めるのだ。  レンはフローラの座っていた椅子の傍にある別の椅子に腰かけ、フローラに外での出来事を話し始めた。子供が大きくなったなどの他愛ない話から、最近倒した魔獣についての冒険活劇も含め、フローラはとても楽しそうに聞いてくれるのだった。        魔獣アルケミストについて少し詳細に説明しておこう。  魔獣アルケミストにはその特性によりいくつかの種類に分類されており、レンは魔獣合成師という分類にあたる。魔獣と魔獣を合成し、特殊な能力を持った合成魔獣を作り出すことを研究する者たちの事だ。  通常、魔獣は人間に懐きもしなければ意思疎通さえ難しい。しかし合成魔獣は強制的に行動を束縛する陣を合成時に埋め込むことにより人間が使役することを可能にしていた。  合成魔獣を使役することができれば、人間よりはるかに強靭な力を振るうことができ、尚且つ自らが傷つくこともない。人間が剣を持つよりもはるかに効率的ではあるのだが、生命を弄ぶ非道で危険な行いであると、この職業を嫌うものも少なからず存在している。  しかも魔獣合成は非常に成功率が低い。大抵の場合は合成した結果魔獣が死んでしまったり能力が失われてしまったりする事が多く、これも神の御業である生命を弄ぶ禁忌であるためと言われていた。それほど難しい分野だ。  有用な合成魔獣を生み出せれば一攫千金も夢ではないが、レンがこれまで合成に成功した魔獣にそれほど有用といえるものは残念ながら今のところない。  その為レンは副業もしてなんとか生活費を稼いでいる。その副業とは、魔獣ハンターの真似事であったり、エンチャンターの仕事だ。  エンチャンターとは魔獣アルケミストの分類の一つでアルケミストに最も多いのがこの職業である。魔獣の能力を道具や武器や防具に付与することを研究する者たちの事だ。付与する能力は幅広く、小さな火を起こす棒から、巨大な炎の玉を発生させる剣まで多種多様。  先ほどのかまどの火と同じように、この世界の住人にとっては生活用品として普及しており、もはや必要不可欠な存在である。  エンチャンターが精錬し、魔獣能力を付与された武器・防具・道具は総称して魔器と呼ばれている―――   攻守交替してフローラが最近の村の話をレンに聞かせていると、小屋の外から騒がしい声が近づいてくる。するとその声の主が小屋の入り口からひょっこり顔を出した。 「レン兄ちゃん!来てんの!?」 「レン~、遊ぼう~」  顔を出したのはまだあどけない少年と少女だ。近くの小屋に住んでいる彼らはレンに良く懐いていた。レンがここにいることがわかれば他の子供たちも集まってくるだろう。  フローラと話をしている最中であったためレンは少々困り顔になったが、当のフローラがそれを許してくれた。 「レン、私だけがあんたを独り占めするわけにもいかないさね。子供たちの所にいってやりなよ」 「フローラ婆さん、じゃあまた今度話しに来るからさ、その時を楽しみにしとく」  レンは軽く手を上げて感謝を示し小屋を出て行った。フローラはふっと笑顔を浮かべ、その背を目で追う。 「『下町の聖人』なんて格好良すぎるけど、まあぴったりだねぇ」  レンが聞いたらそんな恥ずかしい名前付けた奴は誰だと叫ぶだろうが、実際彼はこの貧民街といって差し支えないような場所にしょっちゅう出向いては困っている人に声をかけ、何かと世話を焼いていた。いつの間にかついたあだ名が『下町の聖人』だ。  その後レンは子供たちに合流すると今度は浜辺で魔獣ごっこに興じる羽目になったのだった。もちろんレンは魔獣役で子供たちに追い掛け回されるわけである。
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