ラルフとシェリー

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ラルフとシェリー

 その夜、貧民街の散策を終えたレンは今夜の寝床を確保しに馴染みの宿屋に足を運んでいた。宿屋の付近まで来ると大人たちの喧噪が大きく聞こえるようになる。それもそうだろう、宿の一階部分は酒場となっており漁村であるこの村の海の男達が毎夜騒ぎ倒すのが常だ。  宿の入り口には大きく看板が掲げられており、『力こぶの盛亭』と荒々しい字が躍っている。 「何度見てもネーミングセンスのかけらもねぇーな……」  首都には老舗の格調高い有名宿がありその名を『精霊の森亭』というのだが、それにあやかった名前を付けたかったらしい。しかしまったくあやかれてないのが恐ろしい。なぜ森が盛になるのか、海の男の筋肉の盛り上がりを表現したとか説明されても理解したくない。  宿のオヤジに名前の由来を問うた時にはそれを聞かされて爆笑したものだ。  思い出し笑いを噛み殺しつつも入り口の扉を開けて中に入ると、今日も中々の盛況のようだ。ホール内は人がごった返し熱気にあふれている。  どのテーブルにも酒と料理が山盛りになっており乾杯の音頭をとる者や漁の話を熱く語る者、流れの芸人がチップをもらって音楽を奏でればそれに合わせて踊ったり歌ったりする者など様々だ。共通しているのは皆一様に騒ぎ倒しているということか。  だがそんな雰囲気はレンも嫌いではない。暗い顔でしっとり酒を傾けるよりは全然マシだろう。そんな人々の間を抜けながらカウンターにいる人物に視線を向けると、そこには初老の男が料理をせっせと作っている最中のようだった。  汗で光を反射する頭にはすでに毛髪は分かれを告げてしまっているし鼻の下に生やした立派な髭は真っ白であるからその男を初老と表現してはいるが、がっしりとした体躯に盛り上がる肩や腕の筋肉は初老の言葉が相応しいのか悩むところだ。 「よう、シド。俺にも何か食事とエール酒をくれないか。あと宿も取りたいんだけど」  レンはカウンターテーブルの椅子に腰かけながら初老の男――シドにそう声を掛ける。するとシドは料理を作る手を止めレンに視線を向けた。厳つい顔の上に眉まで剃りあがっている為凄まじい威圧感だ。 「二階の部屋だ。使え」  そして鍵をテーブルに投げ寄越した。このオヤジは口下手なのが欠点だ。ただでさえ怖ろしい風貌をしているというのにこれでは気の弱い者なら泣いて逃げ出すだろう。だが長い付き合いであるレンはその辺りの事も重々承知している。  礼を言って鍵をポケットに突っ込むとシドが早々に出してくれたエールに口をつける。疲れた体(主に子供たちとの遊びで)には染み渡るようだ。 「レン……?レン!久しぶり!」  ホールの奥からひと際大きな声が上がると声の主は大急ぎで駆けよって来る。両手に持つトレイには料理がたらふく載っており、それらが零れ落ちないのはさすがというべきか。 「や、やぁシェリー。元気だったかな」  彼女はシドの一人娘でこの酒場の看板娘のシェリーだ。健康的な褐色の肌に大きなエメラルドグリーンの瞳が活発な印象を与えている。長いダークグレーの髪を高い位置で結い上げて、衣装はこの店のウェイトレス服を纏っている。ちょっとスカートが短めでスラリと長い脚が目のやり場に困ってしまう。  もう少しで成人となる彼女はつぼみが花開くように日々美しさに磨きがかかっているようだ。シェリーを目当てに店に通う人も居るくらいの人気ぶりらしいが、レンは彼女を小さい頃から知っているので娘か妹のような感覚だ。昔は昼間遊んだ子供達と同じようによく遊んだものだ。  そしてその可愛らしい小さな顔をレンに近づけて畳みかけるように話し始めた。 「レンは今回は何しにきたの!?ううん、いつまで泊まっていけるのかな?明日どこかに行くなら私も連れてってよ!あ、お腹すいてる?これ食べてって!」  矢継ぎ早に質問と要求を突き付けられた後、ドンと目の前にシェリーの持っていた料理がそのまま出される。これは違う人が注文したものでは?と疑問が過るが、まあいいやと諦めた。  シェリーは幼い頃からレンによく懐く女の子だった。彼女は幼い頃に友達と村はずれまで探検に行った際に魔獣に遭遇してしまい、それを偶然助けたのがレンだったのだ。特に懐くようになったのはその頃からだろう。  それ以来、彼女の口癖は『私はレンのお嫁さんになる!』になったのだが、レンが結婚報告をした時には泣かれたものだ。今の彼女の口癖は『奥さんと別れたら私がもらってあげる』に変わっているのだが。 「料理ありがと、ありがたくもらうわ。で、今回来たのは魔獣素材の採取のためで、今夜ここに泊まったら明日は帰る予定だから、明日は真っすぐ帰るだけでどこにも行かないよ」  積まれた料理に手を付けながらそう答えるとシェリーは残念そうに肩を落とす。しかしちゃっかりレンの隣の席に腰かけてしまっている。 「えぇ~、たまには首都に連れてってよー。こんな汗臭いボロ酒場じゃなくて綺麗で美味しいレストランとか可愛いカフェとか行ってみたいわぁ」  キラキラと擬音が付きそうな目つきでレンの腕にしがみついておねだりしてくるが、レンとしては気が気じゃない所だ。だってカウンターの向こうにいるシドから殺意の波動をひしひしと感じるのだ。恐ろしくて視線すら向けられない。 「い、いやシェリー、ここの料理は首都の高級レストランにだって負けないぐらい旨いぜ?」 「そんなわけないじゃん、魚は新鮮だけどそれ以外の素材は大したことないし、お酒も安物じゃない?」  そう何の悪気も無くレンのフォローをバッサリと一刀両断してくれた。カウンター超しの殺意の波動がクライマックスに達し何かが生まれようとしているのを感じてレンの血の気が引くが、ちょうどその時ホール入り口の扉が開き誰かが入ってくる。  それは背の高い男だ。ウェーブがかったブロンドの髪に元は白かったであろう日焼けした肌。鋭い眼光と厚めの唇は肉食系のワイルドさをアピールしている。鉄製ではあるが動きやすそうなブレストメイルを着込み、背にはボウガンを背負い腰に二刀のブロードソードを下げていた。  男はカウンターに座るレンを見つけると、人懐っこい笑みを浮かべて片手を上げて挨拶を送ってきた。 「久しぶりだな。下町の聖人様はご機嫌いかがかね?」 「ラルフか!その呼び方やめろよな。マジで蕁麻疹でそうになるわ!誰だよそんな名前つけたやつは!」  ラルフがレンのあだ名を弄ってくるのに対してレンも楽しそうにリアクションを返していく。二人はよくコンビを組んで魔獣狩りに行く事が多く、気心の知れた仲だ。  ラルフは魔獣ハンター業を専門にしておりこの村に住んでいる。レンは魔獣合成の素材が必要な際は自ら剣を取って採取しにいくのだが、一人では討伐難度の高い魔獣に対する場合にはいつもラルフに依頼を掛けていた。 「シド!俺にもエール酒を1つくれ!」  そう告げながらシェリーの反対側のレンの隣の席につく。 「ちょっとラルフ!今は私がレンと話をしてるんですけど。他にも席空いてるんだからそっちにいきなさいよ」  レンと楽しく時間を過ごしていたのを邪魔――レン的にはシドの怒りをやり過ごせて助かったのだが――されてご立腹なのか、シェリーが口を尖らせる。 「おっと、ここからは酒を楽しみながら話をする大人の時間だぜ?シェリーお嬢ちゃんは帰ってネンネしな」  ラルフは基本的に相手をからかって面白がる所のあるやつだ。それに対してシェリーはすぐキレる――もとい、感情豊かであるため、どうもソリが合わないらしい。この三人でいると両者を宥めるのがレンの役割になりつつあった。  とはいえ、ラルフだってシェリーを幼い頃から知っているのだ、時折り気にかけているようだったし可愛い妹だと思う感覚はレンとそう変わらないだろうとレンは思っている。 「はあ!?あんたみたいな年中呑んだくれてる不良中年に言われたくないわよ!」  子供扱いされたことに身を乗り出して抗議するが、ラルフはどこ吹く風とでも言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべて見せる。ああ、これは完全に面白がってるなぁとレンは心の中で呟くがそろそろ止めた方がいいかもしれない。 「早く寝ないと成長ホルモン不足になるぜ?主に平べったい胸あたりがなぁ」  次の瞬間、ラルフの目前を光る何かが高速で通り過ぎたかと思うと、フォークが壁に突き刺さっていた。というか、ラルフが避けなければ確実に命中していたところだ。 「あら失礼。手が滑ったわ」  フォークを投擲した姿勢のまま言い放つシェリー。が、ラルフの目は相変わらず楽しそうにそれを眺めている。ちょっと止めに入るのが遅かったと冷や汗をかきながらレンはようやく仲裁に入った。 「まあまあ、二人とも久しぶりに会ったのに喧嘩すんなよ。楽しくやろうぜ」  その言葉でシェリーは不満げだが矛を収め、ラルフは少し真剣な表情となって言葉を続ける。 「ところでレン、最近魔獣の発生頻度が高くなってきていることに気付いているか?」 「ああ、今日おやっさんの所でもそんな話をしてきたところだよ。原因まではわかってないようだったけど、警戒するよう注意された」  ううむ、と顎に手を当て何やら考え込むラルフ。ハンターを本職にする彼にとっては重要な問題だろう。 「他のハンター仲間の話によると、どうやらこの付近だけじゃなく広範囲で同じような事が起こってるらしいんだが――」 「考えられるのはどこかで強力な魔獣が発生した……とかだろうな」  ラルフの言葉に継ぎ足すようにレンはそう答えながら眉を顰める。一般的に魔獣が増えたり減ったりする時に多いのがこの現象だが、そうなるとどこでそんな強力な魔獣が発生したのかという事になる。場合によっては地域住民たちの命に関わる問題なのだ。過去には縄張り争いに負けた魔獣が村を襲い村が全滅の憂き目に合うなどの凄惨な事件もあった。 「そうなるよなぁ。まあ、もし何かわかったら俺にも教えてくれや」  ラルフが一番危惧しているのはこの村の安全だろう。この村が魔獣に襲われた場合、防げるのは魔獣ハンターであるラルフ以外はおるまい。 「あぁ、もちろんだ。何かわかればすぐに知らせる」  そう約束して乾杯すると、今度は他愛ない話で三人は盛り上がるのだった。夜も更ければ酒場の端ではいつものように酒に飲まれた人々が酔いつぶれ、酔った男達がどうでもいいことで喧嘩を始める。  ラルフはそれを見物して囃し立て、シェリーは相変わらずレンにばかり懐き、シドは喧嘩を穏便に(腕力で)仲裁する。そんないつもの流れをレンは眺めて笑い、『このままずっと楽しい時間が続けばいいな』などと考えていた。
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