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#終章・観測者-noside-(4/4)
-epilogue-
俺こと羽村リョウジはぐだぐだと、またしてもマクドでバーガー齧ってだらけていた。目の前で赤い髪の相方が告げる。手の中の、食べかけのバーガーを恨めしそうに見下ろしながら。
「羽村くん……わたし、このビバリーヒルズバーガーの美味しさだけはちょっと、理解に苦しむよ……」
「そうか? この酸味感は悪くないと思うんだが」
ラストがアボガドソースとはまた、イカしてる。本当に今回のバーガーシリーズはトリッキーだった。窓の外は真昼日、いつもと何も違わない青空の縁条市。アユミの背後では、隣の席の子供三人が騒がしくやっていた。
「しかしまぁ、グランドキャニオンバーガーほどじゃないのは認めるさ。ああ、大したことねぇな。あの肉感に勝るのは後にも先にもない」
「うげ……あたし理解不能。あんなの食べきれるかっちゅーの」
アユミの背後からひょこりと顔を出した、金髪ツーテールの少女がゲンナリしている。その背中にぴょこりと顔を出す白天使。
「チーズバーガー、単品でおなかいっぱいだよ?」
「お前はもうちょい食え優奈。そんなんじゃ戦えない」
「…………腹が減っては音楽もできぬ……でも、優れた音楽はお腹いっぱいにすることも可能……」
優奈の背後で、不穏なことを呟く仄暗少女・香澄。全員がどんよりした。誰か止めろ。
「そういえば、銀一君が美空ちゃんを探してるって言ってたっけ? 見つかったのかな」
「ああ。今朝方、何故か公衆から電話掛かってきた。なんかあったらしいが、無事に解決したとさ」
と言いつつ、何度か裏方として事件解決に協力した俺ではあるが――思い出したくもない。あの、冷たい真空じみた空気を纏った死神。銀一もろくなものに関わっていない。
「さて……仕事するか、アユミ。何の調査だっけか」
「正体不明の謎の影。赤ん坊の鳴き声がどうとか、また嫌な予感がするね」
嘆かわしい。どこまで言っても現世は地獄か。もっとも、その地獄を押しとどめるために狩人がいるのだが。
「よし、がんばろう羽兄! あたしたちも協力するよ!」
「いらん。帰って遊んでろ」
「そうだよ雛子ちゃん、羽兄は私の翼で運ぶから任せて」
「お前もだ優奈。あと香澄も。こっそり姿を消そうとするな」
「…………ぎく」
神出鬼没の尻尾を掴んだ。無表情で何かを訴えられるが、気にしない。
「いいか、お前らが首突っ込むと、俺が先生に殺されるんだ。ちなみに言っとくが、この殺されるっていうのは比喩でもなんでもない。嘘ですらない」
「知ってるよ。先生さん、ヤバイよね……」
「ねー……」
雛子と優奈が日陰になって頷き合っている。うちの師匠はみんなのトラウマであるらしい。そんな気怠いやり取りをしながら、マクドナルドを後にする。
「ありがとうございましたぁー」
慣れ親しんだアルバイトたちにも別れを告げて。マクドの外壁には、しばらく続いていたイベントのポスターが貼ってあった。
「このバーガーキャンペーンももう終わりか……」
「そうだね。これでやっとバーガー中毒も卒業かな?」
奇しくも、いくつかのここ最近の事件を思い出した。脳裏を巡る光景は。
「――――――…………。」
俺の隣には、山田でも朱里でも銀一でもなく、アユミがいる。そのことが何故だか、随分と久しぶりのように思えた。そんなのは錯覚だ。俺の隣にいるのはいつも、相方であるアユミなのだから。
不意に、すぐそばを美しい色の蝶が翔けて行った。水色の蝶なんて珍しい。すれ違うように、俺たちはまったく別々の道をゆく。
†
また、眠りに就いていた。
『……………………』
微睡みの中では、懐かしい光景が広がっていた。緑広がる山の景観。鳥の音と梢だけで満たされた清涼な感覚。涼やかな風に吹かれて、肌に心地いい。そんな風景が遠ざかり、極彩色の世界で目を覚ます。
『………………あぁ、』
記憶の海に身を浸していた。無数に、虹色の蝶が舞う。ここは異界、ここにある記憶全てが私の一部。永い永い時間を、私は此処で眠り続けている。
『帰ったの、ですね』
手の甲に、水色の蝶が留まった。ゆらゆらと羽を動かしている。羽が輝き、記憶の海に記録を還した。フィルムの形をした光が、砂のように溶け落ちる。現代の街。そこに生きる、たくさんの人々。それを識るために記録者を派遣し、私はここで待ち続けていたのだ。収められた情報。五つの物語と、その想いの記録を確かに受け取った。
『成る程…………』
吟味する。かねてから思案していた問題に答えを出さねばならない。私の周囲を、心配そうに水色の蝶が舞う。そんな私の思考を遮るように。
――――答えは出たか、という意味合いの言葉を誰かが投げかけてきた。
『……………また。あなたですか』
影が現れた。それは闇の塊だった。私でも、水色の蝶でもない第三者。おぞましい、言いようのない邪悪な目をしたそれは、現代の定義に則るなら恐らく『魔女』と呼ばれる存在だろう。
何者かは知らない。勝手に私の空間に現れ、口出しをしてくるのだ。今回の記録を提案してきたのもこの魔女だった。
――――やはり、滅ぼすには早計だと感じたのでは?
魔女は言う。五つの物語の記録。彼女らの想いは汲んで然るべきだろう。確かに懸命に生きていた。その価値は決して無ではない。
『ええ――確かに。早計なのかも知れませんね』
――――では、
『ええ』
私の結論は決まっていた。縁条市。遠く見える街の風景を投射し、そこに生きる人々の記録を指先で撫でる。なんて愛おしい人々。私はとても穏やかな心境で、結論を下したのだった。
『やはり、滅ぼしてしまおうかと思います』
ぴた、と魔女が停止した。構わずに私は率直な感想を告げる。
『確かに、切実な物語だった。彼女らが懸命に生きていたのも分かります。けれど、それこそがそもそもの間違い――あこまで彼女らの人生は追い詰められている。人々は苦しめられている。他でもない、現代のこの街に。街という怪物に。』
何故、人間は苦しまなければならないのか。そこに痛切な願いがあったとしても、地獄を肯定することなど出来ない。むしろ、痛切であればあるほど急がなければならない。
『かいぶつは、狩らなければならないのでしょう? ――では、私が“街”という最大の怪物を、みんなを苦しめている害悪をまるごと退治してさしあげましょう。それこそが苦しみながら生きている人々への最大の救いとなる』
さあ、さあ。早々に救済を開始しなければ。彼女らを救わねば。彼女らを救うために、そして二度と彼女らのような苦しみが生まれないために、その芽を決定的に摘んでしまわねば。
『悲劇を終わらせます。地獄を飲み干します。それこそが救い。それこそが結論。答えは出た。もはや誰にも私を――――“冥鬼の扉”を止めることなどできはしない』
異界が、蠢動を始める。蝶が、台風のように舞う。いままで静かだった指向性を持たない記憶の海が――――意思を持ち、底なしの呪いと成って動き始める。天まで染める壮大な渦。この世の何よりも多くを孕んだ囁きの渦。何千万人もの記憶が、息をしている。その物量だけで現実をねじ曲げられるほどの絶望的な意志力。
『…………喜びなさい、死者たち。縁条市は冥鬼の扉が頂くことにしました。あなたたちが奪うのです。』
無尽蔵の声が、歓喜の大合唱を響かせる。意識を破壊する呪いの渦の中心に立たされて、魔女は立ち尽くしていた。
―――――…………。
私の特殊な眼が、魔女の全身に絡みつく紫色の光を幻視する。それは結末。数秒後に魔女の身に起き、命を終わらせる終末。這い寄る死に気付かぬ魔女が、この期に及んで巫山戯たことを口にする。にたりと唇を歪めて。
―――手伝いはいるか? という意味合いの言葉を口にする。
『結構です。死になさい』
幻視の通りに、魔女は全身を引き裂かれて死んだ。私が念じたままにねじ切れて死んだ。血が吹き出し、内臓が散る。けれど気配だけが逃げていく。殺したはずの魔女の笑声が、いつまでもいつまでも聞こえ続けていた。
『……………………逃げられましたか……』
足元に転がっていた死体は、まったく別人の死体だった。きっと人形として取り憑き、操っていたのだろう。だが、構わない。追うまでもない相手だ。
『……………』
時が満ちるまで、私はまた、記憶の海に身を浸すことにした。眠りに落ちる寸前。
『……………………羽村……リョウジ……』
何故だかあの狩人の少年の目を思い出していた。底のない、夜そのもののように真っ黒な眼。五つの物語を乗り超えた彼は、私の前に立ちはだかるのだろうか。笑ってしまう。きっとあっさりと蹴散らすことが出来る。その瞬間を思うと、哀れなくらいに可笑しかった。
『ふ、ふ…………』
逃れられはしない。彼の周囲で渦を巻く、“紫の光”がきっと少しずつカタチになりかけている。それがどのような形を取るのか――いま暫くは、そんな物思いに耽っていよう。
無数の声が渦を巻く。死者の思念で満たされた、異界の大気。死者たちの賛美歌がオペラのように響き渡る。再び現世の地を踏めることを。恋しき地へと舞い戻り、生者の世界を略奪できる喜びを。記憶の海が、津波と成って飛沫を上げる。高い高い逆流の水柱を形成して世界を染める。
逆さまの視界の中で、そびえ立つビルより巨大な黒鳥居。これより向こうが現世、これより内が黄泉の国。これこそがこの場所の核にして、また私自身でもある。狂喜するすべての死者たちを率い、門は忌まわしき街――縁条市へと、もう間もなく降臨しよう。
――――私の名前は“冥鬼の扉”。幾百万の死者を封じる、黄泉の国へと続く大門。
/the no-side in our life
斬
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