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折り畳まれた二枚の万札を俺のパーカのポケットに入れ、蒼汰がにやりと笑う。もはや初めに教室で会った時とは、口調も目付きも変わっていた。
「しかし、武虎の兄貴がこんなチョロい奴だったとはな」
「俺だって、あんたがこんな人だと思わなかった」
夕方、教室で会った時の朗らかな笑顔なんてどこにもない。俺も、目の前のこの男も。お互い自分の欲望のために相手を利用したのだ。しかも……割と、最低な手段で。
「結局、人は見かけに寄らないってことよ。……だけどお前、こんな時間に公園で、一人で何してたんだ?」
咥えた煙草に火を点ける蒼汰。俺はそれを横からぼんやりと見上げて、「別に、気分転換」とだけ言った。何だか酷く恥ずかしかった。
「翼くん受験生だったっけ」
「違うけど、たまに外出したくなるんだ。夜だと静かで誰もいないし、遠出できないから、ここしか場所がなくて」
「ふうん。よく分かんねえけど、色々溜まってんだな。ただの気分転換なら、もっとストレス発散できるような遊びをしろよ。友達とカラオケ行くだけでも違うんじゃねえの」
「遊んでる時間ないし、……友達もいねえもん」
「まずいこと言っちゃった?」
「別に」
夜空に紫煙を吹きかけて、蒼汰が笑った。
「コッチでは俺も友達いねえから、一緒だな」
「蒼汰先生、こんなことしてる暇あるなら友達作った方が良かったんじゃないの」
気まずそうに蒼汰が苦笑して、短くなった煙草を横の灰皿に落とす。言い過ぎたかもしれない。俺は視線を地面に落とし、両手を擦りながら小さく息をついた。
「いつもこんなことしてる訳じゃねえ。今日はちょっと、な」
「何か、苛々してたとか?」
「まあ色々とな。大人はいつも何かに苛々してんだよ」
「俺も苛々する時あるよ」
「へえ、例えば?」
俺は身を乗り出して膝に頬杖をつき、唇を尖らせた。
「武虎がぐずって風呂に入らない時と、父さんが酔っ払ってリビングで寝る時」
「はは」
「……それから、一日終わって寝る時。今日も昨日と同じだったなって思うと、少し焦るんだ」
「今日は、昨日と違う日になっただろ」
蒼汰の手が俺の肩に触れた。途端にその部分だけが熱くなり、心臓がドクンと音を立てる。
「悪い意味で、だろ」
「厄介事が増えたって顔すんなよ。別にこれを理由に強請ったりしねえし」
「………」
「俺達だけの秘密な。これでも俺、生徒の母親達の間では好青年で通ってるからさ」
「知ってる。俺も騙されかけたよ」
「だから本当の俺を見せたのは、翼くんだけ」
意識せずとも秘密は増え、共犯者としての黒い絆が少しずつ固まって行く。俺は蒼汰の整った横顔を盗み見ながら、この奇妙な関係の始まりに胸をざわつかせていた。背後の闇はそんな俺達をまとめて取り込むかのように濃い。
それは、二人の秘密をたっぷりと含んだ瑞々しくも禍々しい濃さだった。
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