第1話 沢野家の長男たち

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「週末は大忙しだな」  笑いながら武虎の稽古鞄を引き寄せ、テキストを開く。ミミズが這ったような文字で書かれたアルファベットの横に、犬か猫かよく分からない手描きのキャラクターがいた。「GOOD!」と書いてあるから、恐らくは今日会ったあの講師が描いたのだろう。 「あの英語の先生、良い人そうだったな」  呟くと、武虎が教科書をテーブルに置いて音読を中断し、目を輝かせながら言った。 「蒼汰先生、すごい面白くてかっこいいんだよ。みんな先生のこと大好きだし、次の教室の時、みんなにお菓子くれるんだって!」 「何で? 俺もお菓子欲しい」 「つばさはだめだよ。教室のみんなと先生で、カボチャのパーティーするんだから」  得意げな顔で言われ、納得した。来週の金曜日は丁度ハロウィンと被る日だ。 「ゲームしたり、みんなで歌ったりするんだって。それから、お化けの格好して来ていいって先生が言ってた」 「何だよ、そういうことはもっと早く言えって。あと一週間しかないじゃん」 「おれ考えたんだ。いつも布団に敷いてる白いシーツあるでしょ、それに紙で作った目玉と口を貼って、被って行くの。これが一番お化けっぽいと思うんだ」  その発想に思わず笑ってしまったが、本気でそれを実行させる訳にはいかない。恐らくはドラキュラや悪魔や魔女などの完璧な衣装を着てくるであろう他の生徒達の中に、シーツを被っただけの武虎がいるなんて想像しただけで泣けてくる。 「それは、前が見えなくて危ないから駄目じゃないかな。家でやる分にはいいけどさ、動きにくいからゲームする時も大変かもしれないし」 「そっかぁ。じゃあトイレットペーパーをぐるぐるに巻いて、ミイラみたいにする」 「どうしてそう、斜め上を行くかな。ミイラ可愛いけど、トイレットペーパーだと少し動いただけで破れちゃうだろ」  どちらにしろ俺には裁縫の技術はないから、それ用のものを買いに行かなければならない。この時期ならどこのパーティーグッズ売場にも子供用の仮装衣装が売っているはずだけど、あともう一週間しかないとなると、残り物しかない可能性の方が高い。 「日曜日、サッカー終わったら一緒に見に行こうか。いろんな服があって楽しいぞ」 「でも、トイレットペーパーが」 「もしも一度見てみて着たい服が無かったら、その時はミイラにすればいいじゃん」  そうか、と武虎が納得してくれたのを横目に、俺は小さく安堵の溜息を吐いた。 「あとな、つばさ。お願いがあるの」 「何だ」  俺の顔色を伺うような上目遣いで、武虎が言った。 「おれ、自転車ほしい」 「自転車? 急にどうした」 「大ちゃんとか賢ちゃんと遊ぶ時、おれだけ自転車ないの。二人とも誕生日に買ってもらったんだって。おれも自転車乗って遊びたい」  友達と遊ぶ時に一人だけ走っている武虎を想像し、胸が痛くなった。しかし……  自転車か。いくらするんだろう。
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