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全5/13エピソード・連載中
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 再び環がスーパーに向かったのは、それから二日後のことだ。  あの日、昶にのど飴をもらったことが、なんだかもの凄く嬉しかった。大胆な恋愛以前に人とのふれあいに飢えていたんだな、と思った。  このエピソード、漫画に使えないかな。  しょうこにはまた「地味」と言われてしまいそうだったが、とにかく久し振りにモチベーションが上がったのはいいことだ。このまま一気呵成に新しいネームを――と思って思い出した。イラストの締め切りがふたつ詰まっていることを。  文庫の表紙と挿絵の仕事は、印税でなく買い切りな分一枚当たりの単価は高い。ので、なるべくなんでも受けるようにしているのだが、そうすると締め切りが重なるのが頭の痛いところだった。各社人気作家をぶつけるものなのだろうか。  ともかく、仕事があるのは有り難いことだし、次にも繋げたい。それに編集を通じて「作者さん凄く喜んでましたよ!」と感想がもらえることもあるから力も入って、結局ぶっ続けで作業をしてしまったのだった。  二日目はほぼ飲まず食わずで作業だった。ファイルが無事編集部に届いたことを確認し、ようやくよろよろと部屋を出る。  空腹を感じていたが、いきなりヘヴィなものは食べられそうになかった。冷蔵庫は壊れたままだから豆腐も茶碗蒸しも冷凍うどんも買えず、結局ゼリー飲料とお粥のレトルトパウチをかごに入れる。  レジに向かうと、昶が面を上げた。空腹と睡眠不足のせいか今日はより一層嬉しそうに尻尾を振る犬のように見えてしまう。  だがかごの中身を見るなり、昶の顔は曇った。 「風邪ですか?」 「あ、ううん。ちょっと仕事が押してて」  今日もまだ列は出来ていないから、事情を細かく説明してもいいだろう。 「ご飯何食か抜いちゃって、それで――」  あれ、と思ったときには空っぽのはずの胃の底からなにかがせり上がるような感覚に襲われていた。蟻走感のようなそれはやがて寒気に変わる。  やば、  思ったときにはもう、視界が暗転していた。 「……狭いところですが、どーぞー」  靴を脱ぎながら告げると、昶は身を縮めるように狭い戸口をくぐった。 「おじゃまします」  一旦しゃがんで靴を揃えている姿に、ああ、こんな礼儀正しい大学生さんにまたご迷惑おかけしちゃったよ……という思いがこみあげる。  あのあと、気がつくと、すっかりおなじみになってしまった飲食スペースで休まされていた。飲み物とゼリー飲料を腹に入れてしばらくおとなしくしていたら、メンタルはともかく体はすっかり良くなったのだが、昶が「荷物、持っていきます」といってきかなかったのだ。いやいやバイト中、ともちろん断ったのだが「俺ずっと入ってるから、融通きくと思います」といって、本当に早退をとりつけて来てしまった。  買ってきたものを適当に片づけて、お茶を淹れる。昶は小さな折りたたみテーブルの前で正座していた。 「古くてごめんね。寝室と作業場わけたくて、俺の稼ぎだとこうなるんだよね」  2Kのアパートで、昶を通した部屋に作業机とテレビ、それに書棚を置いている。本は置ききれなくて寝室の壁も全部書棚にしているが、基本起きてる時間は本もこっちの部屋で読む、と決めていた。勤め人ではないから、どこかでスイッチのオンオフを決めておかないと際限なくだらだら寝てしまう。 「いえ。自分でお話作って、それでお金もらって、お部屋借りてるんですよね。……凄い」  資料などを入れてある、作業机の脇の書棚を見上げながら昶が感嘆する。ああ、そこにはちょっと見栄張って(誰が来るわけでもないのに)難しい理論書も入ってるけど、全部使いこなせてるわけじゃないですぅ、と内心落ち着かない。 「お菓子とか持ってくる」 「この辺、ちょっと見てていいですか?」  律儀に訊ねる昶に「いいよいいよー」と軽く応じたことを、数秒後後悔した。昶の手には大昔一冊だけ出た環のコミックスが載っていたからだ。 「これ、環さんが描いたやつですか?」  吉良環。  たまき綺羅。  ――そりゃあ気がつくよねえええええ。            いや、だが、漫画を読んだことのない人には漫画はどれもこれもみんな同じに見えるって言うし。さりげなく取り上げてジャンプコミックスと交換すれば、まだリカバリ可能だ。 「あ、そうだ、最近出たジャンプのやつ、読む~?」  質問は聞こえなかったふりをし、あくまでそれとなく話を振ったつもりだったが、語尾は震えていたかもしれない。 とどめを刺すように、昶が正座したまま帯の文字を読み上げた。 「〈ゲイ作家が描く胸きゅんラヴ&したたる特濃エロス! 学園ボーイズラヴの新たなる金字塔〉」  ――詰んだ。
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