嫁にするのも悪くは……ない?

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嫁にするのも悪くは……ない?

「おい!」  その声とともにお尻をピシャリと打たれた衝撃に驚いて目を開くと、目の前に俊輔の顔があった。 「あ?」  わけがわからず、頭をぐしゃぐしゃと掻き毟りながらぼーっとした頭でいったいどうしたことかと考えてみたところ、コーヒーを飲み、ソファで休憩していたはずが、寝てしまっていたらしいことがなんとなくわかってきた。 「大丈夫か?」  俊輔の顔は、いかにも寝起きなそれではなくて、スッキリとしている。着ている服も昨日のスーツではなく、いつどこから湧いて出たのか、見覚えの無いカジュアルなシャツとジーンズに変わっている。 「え? 何時?」 「もう九時過ぎた」 「わっ! やばっ! 仕事しなきゃ! あっ!」  慌てて飛び起きた拍子に、勢い余ってソファから転げ落ちてしまった。 「馬鹿。おまえ、なにやってんだよ」  俊輔が呆れて笑いながら、私の両腕を抱えて転がった体を起こしてくれた。座り込んで床に手をついたまま顔を上げると、すぐ目の前に奴の顔がある。 「な、なんでいるの?」 「寝ぼけてるのか? 俺、昨夜からいるだろうが」 「そうだっけ? あ、そうだった……?」 「すっげーな……目の下のクマ」  俊輔は両掌で私の頬をすっぽり包み込むと、親指で目の下をそっと何度もなぞっている。そうこうしているうちに転がり落ちたショックから立ち直った。 「あ、ありがとう。仕事しなきゃ」  その手をそっと払い除け、ソファの座面に肘をついて力を入れ体をずり上げるようにソファに座り直した。 「朝飯用意してるから、先に顔洗ってこい」 「う……ん?」  俊輔はまるで自分の家にいるが如くごく自然にキッチンへ消えていく。私はその後ろ姿を見て目を瞬かせた。いったいどうなっているのか、わけがわからないのは、まだ目が覚めきっていないからだ、ということだけは、自覚できた気がする。  よろよろと洗面所へ行き、歯磨き粉を絞り出して歯ブラシを咥えると、ペパーミントの刺激でスッキリと頭が冴えてくる。そうだった。あいつは昨夜は家へ帰らずに、私のベッドで勝手に寝ていたのだ。服が変わっているのは、私が寝ている間に一旦帰って着替えてきたからだろう。律儀に戻ってこなくてもいいのに何を考えているのだか。  顔を洗い終え、リビングへ戻ると、朝食の用意がされていた。トーストに縁がちょっと焦げた目玉焼きとソーセージ。レタスを微妙な大きさにちぎっただけのサラダらしきものには、たっぷりとマヨネーズがかかっている。 「立派なコンチネンタルじゃない」  オレンジジュースをサーブしながら、俊輔はドヤ顔で私の呟きに頷いている。 「さっさと食って仕事しろ。家事は俺がしてやる」 「へ?」 「へ? じゃねーよ。この荒れようじゃ放っとけねえだろ? 心配するな。家事はねーちゃん仕込みだ」 「ねーちゃん? 美咲ちゃん?」 「あいつは人使い荒いからな。子供の頃から炊事洗濯掃除と一通りのことは仕込まれた」 「へぇー、なんか意外。してもらってるばっかりだと思ってた」  俊輔のひとつ歳上のお姉さん美咲みさきちゃんとは、小学校の頃、よく遊んだ仲だ。共働き家庭の長女である彼女はしっかり者で、家事全般なんでもこなす。弟の世話は彼女の仕事だったから、俊輔は彼女に育てられたと言っても過言ではない。それ故か、二言目にはねーちゃんねーちゃん。美咲ちゃんには頭が上がらず、立派なシスコンに育ってしまったようだ。 「そんなわけねえだろ? 美咲だぞ? あいつはいっつもなんでも俺に命令してやらせやがった。これからの時代は、男も家事ができなきゃもらい手が無いんだと。逆らったら飯抜きだからな……鬼だよあいつは」  チビだった俊輔が背の高い美咲ちゃんに説教され家事を仕込まれている図を想像してニヤニヤしながら、フォークを手に取り、レタスのマヨネーズをすくって皿の脇に避けた。 「なにニヤニヤしてんだよ? キモチワルイ……」 「ばーか。マヨネーズかけ過ぎだってーの」 「うるせえ。文句言わずに食え。食ってさっさと仕事しろ」  俊輔はプイッと膨れてリビングから出て行った。家事って何をする気だろうと少し心配にはなったが、まあいいか、変なことをしたらそのときに文句を言えばと、とりあえず作ってもらった朝食をかき込んだ。  何をしているのかは知らないが俊輔の立てる物音が気になったのははじめのうちだけ。仕事に集中しているうちにその存在すら忘れてしまった。
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