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「こんにちは」
窓の大きな部屋だ。奥に扉があるのは、その向こうが寝室だからなのだろう。
この部屋自体には、真ん中に低めの机が置かれていて、その上に高く本が積み上げられていた。床のあちらこちらにも本の塔が築かれている。
リュシアンは比較的無事なソファに座って、手招いてきた。
「全部リュシアンの本なの?」
歩み寄りながら訊いて、頷かれた。
ほうっと溜め息をついて、背表紙を眺めれば。
普通の小説や鉄道についての本に混じって、国中の有名な建築物に関する本もある。
「もう、勉強が始まっているのね」
横に腰掛けると、香水の匂いが漂ってきて、指先が絡みあう。
「大学は来月からなのよね。わたしは明日から働くことになったわ」
言うと、リュシアンは僅かに眉を寄せる。
「頑張るわ。ただ――」
と、舌を出す。
「今週末は帰ってきなさいって、父様母様に言われているの」
卒業が決まるなり即、ジェレミーの手配した寮に越したのが痛くお気に召さなかったらしい。
――当然よね。すぐ帰ってきて安心させるって思っていたんでしょうから。
「だからまた、一泊で行ってこようと思っているんだけど。アルフォンスがね、あなたを連れて行けって……」
曰く。男がいれば、婿を迎える気があるのだと良く解釈してくれるだろうということなのだが。
言ってから、クロエは頰を赤くしてそっぽを向いた。
――いやね。これって、わたしから結婚してくださいってお願いしてるみたいじゃない。
うう、と唸っていると、後ろから抱きすくめられた。
そして、頰に口づけ。
掌に小箱を押し付けられる。
「なぁに?」
振り向くに振り向けないまま、問う。
「開けていいの?」
首の横で蜂蜜色の髪が揺れる。
布張りの、紅色の箱。ゆっくり蓋を持ち上げて、息を呑む。
煌めいたのは、銀の指輪。
震える指先で添えられたカードを取る。
――愛しいクロエ。
四年、僕が大学を卒業するまで待ってほしい。
そうしたら、君が背負うドゥワイアンヌの未来を共に背負わせてほしい。
君となら、どんな苦しみも乗り越えていくと誓う。
だから、僕の妻になってくれませんか?
リュシアン――
喧騒を貫いて、汽車が鳴く。
風に煽られたボンネットをしっかりと両手で押さえて、振り向く。
「行きましょう!」
今日はドゥワイアンヌまで。途中駅、これからの人生への通過駅だ。
クロエが笑うと、リュシアンはしっかり頷き返してくれた。
見つめ合う。
指輪が輝く手と手を繋ぐ。
二人で乗り込んだ列車は力強く走り出した。
(了)
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