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「なあお前ら聞いたか?先生方が引退するらしい」
僕、100円玉は月も眠る深夜2時、グラグラと揺れる振動で目をさました。
地震ではない。ポール・〇ミスの財布の中で、500円玉が、小銭入れの壁に体当たりして財布ごと大きく揺らしていた。
「なあに、500円玉。起こすならもうちょっと静かに起こしてよ……」
眠い目をこすりながら、たしなめるがすぐに、僕は500円玉に改善を求めるのを諦めた。500円玉はきょとんとした顔をしながら、揺らし続ける。 硬貨最高額を誇るだけあって、見た目も態度も大きく、人の話を聞くようなやつではないことは知っていた。
「100円玉!聞いてくれよ!先生方がついに引退するんだって!」
「へ?」
「紙幣のデザイン刷新だよ!時代が変わるんだ」
500円玉は、ふんと鼻息荒く胸を張った。金属なのだから、反れる胸も無く見た目に変化はないが、なぜかそうしているように見える 。
「そして俺は2色になるらしい。俺、すげえ」
「あんさん、それが言いたかっただけやろ」
10円玉が、小銭入れの中からギザの溝にある汚れを取りながらゆっくりと起きあがる。銅の色が変わっても、刻まれたギザと平等院鳳凰堂の手入れだけは忘れないようで、同じ財布に無造作に入れられているレシートを手に取り、丁寧に体を磨き始めた。これは10円玉の日課で、飽きもせず丹念に磨く姿は、まるで職人のようだった。
ずっと前のデザイン変更のときもこうだったな、と僕は過去に思考を飛ばす。500円玉はふんぞり返っていて10円玉は我関せずと銅を磨き続ける。
硬貨兄弟きってのプライドが高すぎる二枚が揃ってしまった。これは、面倒くさくなるぞ。
仕方ない、ここはより面倒くさそうな500円玉の機嫌をとっておこう。僕は500円玉の話を聞いてあげることにした。
「2色の硬貨って今まで見たことないから、どうなるのか楽しみだね」
「ふふん、これで、俺はますますイケてる硬貨になるわけだ!」
「そうだね、格好いいね、 さすが500円玉」
「俺は硬貨兄弟の最高額だからな!偽造防止措置も当然のことよ!」
気分があがるように持ち上げていたら、すっかり機嫌がよくなったみたいてますます鼻高々と、ふんぞりかえる。
硬貨の中では、製造開始が最も遅い新参者のくせに、という言葉は飲み込んだ。
僕の中に唐突に湧いた蔑みの言葉に、僕は嫌になる。こんなことを考えたかったわけじゃない。僕だって、500円玉よりは数十年早いだけで、新参者にはかわりない。
白銅で作られた僕の体に、あるはずのない穴が空きそう。僕は沸き上がった黒い感情を隠すように500円玉から目をそらした。
「イケてるっていう言葉のセンスを持っている時点で古い」
そうこうしているうちに、50円玉が起きてきたらしい。50円玉と僕は見た目がとても似ているが、平和主義の僕と違って、思ったことをはっきり言う50円玉とは、性格は真逆と言ってもいい。いつものように毒を吐きながら500円玉につっかかる。
「え……イケてるでもうだめなの?めちゃめちゃイケてる!とかいうじゃん」
「め○ゃイケはとっくの前に終わったっての」
え、嘘だろ?とうろたえる500円玉をよそに、5円玉も小銭入れから顔を出してきた。頭は半分寝ているのだろう。足取りがおぼつかない。
「英世先生たちも、ついに引退か。つい最近まで漱石先生たちから変わったばっかりだというのにねぇ、お金の移り変わりは早いねぇ。これもご縁だねぇ」
5円玉は神様ありがとうと言いながら、別の部屋にある仏壇に向かって手を合わせた。手を合わせる方向が間違っている。
平等院鳳凰堂に息を吹きかけながら、10円玉はしみじみとつぶやいていた。
「ほんまに、野口英世先生がいらっしゃったのも昨日のことのような気がしますわ」
「10円、さすがに脳みそ古ぼけすぎだろう」
50円玉がキラリと光る。誰に誰に対しても容赦なくつっかかる50円玉は、毒をはくときが一番輝いて見えるのはなぜだろう。
「それはあたしに喧嘩売ってます?言い値で買いますよ?」
「あ?10円で何が買えるんだよ」
「それはあんさんも一緒やろ。50円玉はん」
「残念でした。俺はブラック○ンダーが買えちゃいます」
「わいかて10円ガムくらい買えるわ」
「はいダウトー。消費税あるから10円じゃ 無理でーす」
「あんさん、本気でわいを怒らせにかかってますな?」
「ちょ、ちょっと二枚とも……」
何かと反りのあわない二枚はじりじりとメンチの切りあいを続け、口喧嘩の勢いそのままに、ついに取っ組み合いを始めた。
やめて!50円玉と10円玉、そんな些細な金額が争っても意味ないよ!
50円玉が10円玉に押されはじめる。どうしても10円玉のほうが体格が大きく、体当たりしか技のない硬貨同士の取っ組み合いではより大きい10円玉が有利になってくる。
50円玉が後ろにあわや倒れこみそうになったとき、カラン、と硬貨の中でもひときわ軽い音が響いた。
いつのまにか1円玉も起きていたようで、 タイミング悪く、50円玉の下敷きになってしまったようだ。
「あ、1円玉。わ、わりぃ。気づかなくて……」
これにはさすがに二枚とも肝を冷やしたようで、取っ組み合いをやめて、1円玉に向き直る。
1円玉は、倒れこんだまま、目から滝のように涙をあふれさせていた。
「みんな、僕なんか必要じゃないんだ……」
あ、しまった、と誰もが思った。どこかにお祈りしている5円玉を除いて。
「いいんですよ僕なんて……。おつりの調整要員でしかないんです……1円を作るのに2円かかるから製造をやめろと言われるくらい僕の価値なんて全然ないんです……。潰されても当然なんです」
あぁ、 まずいぞ。
1円玉は最古参の硬貨ではあるが、時の流れにともない、何も買えない、ただのお釣要因になりつつある。平成の終わりの頃にはほとんど作られることもなくなった。
お金なのに、何も買えない。じゃあ、自分の存在する意味はなんだろう。
1円玉は、とてもとてもこじらせていた。
一度、感情の防波堤が決壊すると、際限なく落ち込み続ける。それが、とてつもなく面倒くさい。50円玉は、1円玉に肩をかけ、慰めはじめた。
「そ、そんなことない1円。商品の値段を399円と表記して お釣りにお前を渡すだけでおくだけで、300円台に見せられる魔法のような硬貨だ。お前は自分のことをもっと誇っていい!」
「そんなの、馬鹿しか引っ掛からないですよ。ちょっと詐欺っぽくて僕は嫌です」
50円玉はあっけなく負けた。僕も1円玉の機嫌をとりにいく。
「そうだよ1円君!ドン・〇ホーテだって、君がいるからレジ時間が短縮されて効率化が図れたって聞いたことあるよ」
「そのド○・キホーテの1円の役割もプリペイドカードの導入で消え去りそうですけどね」
日々、アイデンティティーを問い続けている1円玉は、現状の認識も的確だった。
「どうせ、女子会では『1円単位で割り勘する男まじありえない』って言われるんだ!」
「うわぁ、もう、そんなに卑屈にならないで。1円玉もいいところあるでしょ!」
「適当なことを言わないでください。僕の百倍の存在価値があるくせに」
キッと、1円玉は、僕を睨み付けた。
「まだ買えるものがある硬貨に、僕の苦しみはわからないですよ」
僕は、口を閉じることしかできなかった。
「そうだぞ。1円玉を落ち込ませるな、100円玉。お前は黙ってろ」
「ブルータス!」
予想外のフレンドリーファイア。50円玉、君は一緒に1円玉をなだめてたんじゃないのか?
「お前と一緒にされたくない。とりあえず100円玉のやることにはケチをつけたい」
「君はイギリス嫌いのフランスかよ」
「もううんざりなんだ!100円玉と間違われるのは!100円玉出したと思ったら50円玉だったからお会計足りませんでした、みたいな目にはあいたくない!」
「はぁ?どっちかっていうと、君が僕に色も大きさも似ているんからだろ?もっと穴強調したらどうだ」
100円玉も、50円玉も、同じ白銅で作られている。ついでにいえば、大きさもほとんど同じで、側面には同じ溝がある。
僕も、財布の上から覗いただけじゃ、50円玉なのか100円玉なのかよくわからないと言われていた。50円玉の気持ちも、十分にわかる。
「できる!もんなら!やってる!金額をわかりやすく表示しつつ、穴を広げるには限界があるんだ!」
50円玉は精一杯、腹をつき出す。白銅のコインのなかにぽっかり空いた穴の奥から、仏壇にお祈りをしていた5円玉が、のぞきこんでいた。
「それに穴なら僕も持っているからねぇ。これも神様のご縁だねぇ」
50円玉と5円玉の二枚分の穴の奥から、また自分磨きを終えた10円玉がのぞきこんでいた。
「50円玉はん、穴も、色も被ってますがな」
「うるせえ!一番気にしていることを!」
50円も倒れ、さめざめと泣き始めた。深夜に二枚分の泣き声が響いている。
1円玉と50円玉は泣き、5円玉、10円玉、500円玉は我関せずと、好き勝手やっている。
収集のつかなくなってきたこの状況を見渡して、大きくため息をはいた。
一つ、勘違いしないでほしくないのは、硬貨兄弟は、基本的にみんな仲がいいのだ。ただ、何十年と一緒にやってきたら、遠慮も何もなくなってしまったが故に口と態度が悪くなっているだけで、この暴言のような言葉の応酬の中にも、しっかり愛情はある。お会計時には協力して端数を支払うのもままある。
ただ、僕は、疲れてしまったようだ。
「……僕、お札に戻りたいな」
僕だって、今じゃ硬貨兄弟の2番目の金額に甘んじているが、昔は紙幣だったのだ。
紙幣であること、それすなわち、100円がその社会で高い価値を有することの証だ。
聖徳太子先生、板垣退助先生、どうしてあなた方は消えたんだ。どうして僕は硬貨に成り下がってしまったのだろう。
あぁ、僕がいれば家が買えた時代が懐かしい。
「……僕、お札に戻りたい」
「懐古厨、乙」
いまだに目に涙を貯める50円玉の頭を強めにはたいた。
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