硬貨兄弟

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「君ら、騒ぐのはいいが、人間を起こさない程度にしなさいな」 「あ、諭吉先生。おはようございます」  僕たち、小銭入れとは別の、VIPルーム(お札入れ)から四角い影が出てきた。  未来を見据える目が、日本の将来を説く。日本最高額の紙幣、福沢諭吉先生だ。  日本の人間にものすごく愛されている諭吉先生。  残念ながら、諭吉先生が日本のみんなを愛している訳ではないが。  泣いていた1円玉、50円玉も含めて、わらわらと諭吉先生の周りに群がる。硬貨兄弟はみんなお札の先生が大好きだ。 「先生たちが引退って、お札じゃなくなるの?」 「いいや、人が変わるだけだ。1,000円、5,000円、10,000円の札自体は残る」 「後任は誰になるんですか」 「それぞれ北里柴三郎、津田梅子、渋沢栄一になるそうだ」 「……知らない、その人たち」 「……勉学が足りんな」 「はい、すみません」  諭吉先生が喝を入れる。  天は人の上に人を作らず。人に差が生まれるのは、勉強していないから。  この人は世の中を平等なんか考えていない、ものすごくシビアな世界観を持っている。特に、勉強ができるのにやらない人にはものすごく厳しかった。  同じく、野口英世、樋口一葉先生も出てきた。500円玉が大きく揺らしたせいで、先生方も起こしてしまったらしい。  これで日本のお金たちが全員集合したことになる。合計16,666円。ちょっとした電化製品も買えるくらいの力が集まった。金は、権力だ。 「まったく…………」  一葉先生は黒く艶やかな御髪を直しながらじとりと、500円玉をにらみつけている。500円玉が財布ごと揺らしていたから、先生たちも大きくゆらされたらしい。 「そ、そうだ一葉先生から5,000円札が女性になる慣行が続くんですかね」  少しでも怒りを和らげようと、僕は別の話題をふった。  一葉先生は、若くして亡くなった天才女流作家として有名だが、幼少の頃から才女であったらしい。  時折、鋭い知見を披露してくださるので、僕は一葉先生の話を聞くのが好きだった。 「お札に女性を入れるという慣行は続くでしょうが、5,000円札だけでしょうね」  一葉先生は静かに言った。 「どういう意味ですか」 「女性はまだ、1,000札にも、10,000円札にも、なれそうにないってことよ」  それ以上は語ることはないと、一葉先生は、いつも携帯しているネタ帳に何かを書き始めた。  一葉先生の後ろから、英世先生が一葉先生のネタ帳を覗きこんで、きつい裏拳をくらっていたのは、幻だきっと。 「私たちも、形があるだけまだ存在価値があるというものだ。いつか私たちは消えてしまうのかもしれないんだぞ。今はやりの……なんだっけ」  英世先生が話す。鼻のあたりを押さえながら。 「キャッシュレスよ、英世おじいさん」 「あぁ、今流行ってるね。百億円キャンペーンとか」 「私も、そろそろ研究に落ち着きたいと思っていたのだ。毎日使われるのは疲れる。私にとっては嬉しいことだね」 そういう英世先生は、何度も折られくたびれていた。日常的に諭吉先生を使う人は少ない。庶民の取引の主戦場を駆け巡る英世先生にしか、毎日使われる紙幣の大変さはわからないのだろう。 「キャッシュレス推進しているのに、お札は変えるんだね。変なの」 「偽造防止のためだろう。紙幣を作る側の技術も、模倣する側の技術も年々上がっていく」 「だから僕も変わるんだよ!なんたって高額硬貨だから!」  500円玉が反応し、胸を張るも、だれも反応しない。500円玉の扱いは、硬貨の間でもこんなものだ。お札の先生方も彼のことはもて余し気味である。  僕も、何も言う気にはなれなかった。  硬貨のくせに、紙幣のようにデザイン変更を享受しやがって。僕らも10円玉のようにマイナーチェンジはあれど、硬貨に大掛かりなデザイン変更はほとんどない。  僕は、君の次に高いのに、君のようには変われない。  硬貨の状態ですら、変われない。なら、僕は。  口から、思いもかけず言葉がこぼれる。 「……僕が、お札に戻る日は……」 「……100円玉、おまえ」 「僕……お札になりたい。高額って言われたい」  諭吉先生は、優しく微笑んだ。まるで子供をあやすように。  いつも勉強しろとうるさい先生のこんな笑顔を見たのは、僕ははじめてだった。 「お前もわかっているんだろう。そんな日は来ないと」  胸の奥がつきんと痛んだ。 「本当はわかっているんだろう、100円玉。もう君だけでは買えないものが多くなっていることを」    マク○ナルドのハンバーガーは、15年前では、80円で買えた。いまじゃ120円だ。安い価格で安定していたガリ○リ君だって値上げした。スーパーに並ぶお菓子は、もう100円で買えるものを探すほうが難しい。値段は据え置きでも、内容量が減った。おやつは300円までだっていわれても、300円じゃ子供の満足する量は買えない。 辺りを見渡す。500円玉は置いといて、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、みなうつむいていた。 彼らは、今、買えるものがどんどんなくなってきている。  そして、僕も……もうすぐ、そうなる。  ……僕も本当は、わかっているんだ。お札になんか戻る日はなくて、ただ僕の価値は下がっていくだけだということを。 「うん……わかってる。それでも……僕はみんなに使われなくなるのが」 なんで、こんなに僕はお札に戻りたいんだろう。  どうして、そう問いかけた直後に降ってわいたその答えは、ずっと僕の中に浸透した。  ずっと、僕の中にあったのだろう。 「……さみしくて」  100円で買えるものは減った。100円が大事にされる時代は終わりつつある。  僕はさみしかったんだ。お札だった時代もあったのに、僕が生活の基本単位ではなくなって、どんどん英世先生に居場所を奪われている感覚がして。  さみしかったんだ。  僕は、まだ、人と一緒にいたい。  日々忙しなく働き、世の中を回す、人の活動を見ていたかった。  100円が紙幣になる日はもう来ない。物価はあがり、僕はだんだん必要とされなくなる。  決して逆行はしない。  だんだんいらなくなる。  これが、硬貨の運命。  両目から流れる滴が床を濡らす。  そっと、一葉先生の細い指が、涙をぬぐってくれた。 「私たちは、使われなくなることを喜ぶしかないのよ」 「……いつか喜べる日が来るかな、一葉先生」  世間は景気が悪いと言いながらも、日々成長している。物価はあがる一方で、下がることはない。  いつか100円でガ○ガリ君すら買えなくなる日が来る。僕の役割は、僕で何も買えなくなるときまで、日本でお金を使う人のそばにいることかもしれない。  そのとき、僕はどんな気分なんだろうか。 「今でもおつりが面倒くさいと言われるんだもん。真っ先に、僕が消えるんだ!」 「あらまぁ1円はん、泣いて飛び出して行ってしまったがな」 「おい、お前が余計なことを言うから!追いかけるぞ」 「え、やだ。眠い」 500円玉、10円玉、5円玉は小銭入れの中に戻ろうとしていた。追いかける気はないらしい。 「君らはどうしてそんなにマイペースなんだ。使われなくなることが寂しくないのか」 「ほら、俺高額硬貨だし。2色だし。まだまだ現役だから」 「わいは、スクラッチや脱出ゲームで活躍の場はまだまだありますから。唯一の銅ですし理科の実験でも使えますわ」 「僕も初詣では沢山ご縁があるからね」  あぁもう!硬貨格差!  500円玉はともかく、他は対価としての使い道以外に意外なアイデンティティを見いだしている。  それがなんだか羨ましくて、僕は1円玉を追いかけた。 「ほら!1円玉!消費税が8%になったおかけで百均でも使われるようになったじゃないか!」 「どうせすぐ10%になりますよ!そしたらもう僕はいらない子です」 「100円玉、余計なこと言ってんじゃねぇよ!」     「硬貨たちは元気だの」  走り回る硬貨たちを遠くにながめ、福沢は温かくほほえんだ。 「長い間変わらないでいられるのは、金属の強みだもの。(私たち)とは 違う」  野口は、何度も人の手に渡り、折れ、くたびれている。それは、樋口も、福沢もかわりない。  破れるし、燃える。すぐにくたびれる。紙幣は硬貨のように長期保存には向いてない。  三人とも、体に限界を感じていた、 「紙はそろそろ後進に席を譲る時がきたということか」 「これでやっと研究に没頭できる」 「引き継ぎ資料作っとかなきゃ」  お札も意外と大変だぞ、と樋口は言う。  福沢は、部屋のなかを見渡した。家具、家電、本、服……金で買ったものがたくさんある。  いつもどこかで、誰かは金を使っている。 「人の営みがあるかぎり、まだまだ経済は回り、金は巡る。紙幣の人がかわろうと、それはかわらない」 「いつか、誰かが、わしらが紙幣だった時代を思い出してくれる人がいるさ」  
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