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サチの奴、本当に呼んで来ることができるのだろうか。ここは人に畏れられている稲荷神社だから難しいのではないかと思うのだが。誰が流したのか人生を転落させると吹聴されて以来ほとんど参拝者が来なくなってしまった。
間違いとは言えないが、転落人生と化してしまったのは参拝者の欲深さが原因で我の責任ではない。
つまり参拝者次第で良くも悪くも人生が変わるってことだ。直接、我の言葉が伝われば問題がないのだろうが、そんな人はほとんどいない。しかたがないことだが、どうにもむず痒くなってしまう。
我はただ皆に幸せになってもらいたいだけだというのに。
この稲荷神社の名前がいけない。なぜ、こんな名前をつけたのやら。鳥居に記された稲荷神社の名前を見上げつつ吐息を漏らした。
『転運稲荷神社』か。我もまた『運転がしの狐神』だと呼ぶ者もいる。
運転がしとはイメージが悪くはないか。手玉に取っているようではないか。
願いを叶えることで運命が変わることもあるのは事実だが、『運転がしの狐神』はどうかと思う。叶えるとは言っても、そう簡単に運命を好転させるわけではない。いろいろとやってもらわねばいけないことがある。
一番大事なことが信じる心だ。
勘違いしている者がいるかもしれないが賽銭箱にいれる金額が多ければいいってものではない。心だ。その者の心が我に伝わるかどうかが問題だ。
賽銭だって百円あれば十分だ。
なんと言っても我は百という数字が好きだ。だから百円でいい。なぜ百の数字が好きなのかと問われるとはっきりと答えることは出来ない。なんとなく好きなだけだ。
百円で願い事が叶うとなれば安いものだろう。なんて、そんな簡単ではない。約束事がきちんとある。
百項目ある約束事を実行してもらわねばならない。それができない者は運気を上昇させることは難しいってことだ。楽して願いが叶うと思うなかれ。そういうことだ。どんな約束事だったか忘れてしまったが、あそこにあるおみくじの機械を引いてもらえば裏面に百項目の約束事がしっかり書かれている。
今までで本当に百項目の約束事を実行した者は正直なところ少ない。それでも叶えてやる者もいた。
我も甘いものだ。我のことを心から信じてくれたら叶えてやりたくなるものだ。そうだろう。そういえば、お百度参りをした者もいた。その者は約束事など関係なく叶えてやった。我はその者の心根に感動して涙してしまった。我ながらどうにも情に脆くて困る。
ふとサチのことが頭に浮かぶ。
狐神は小さく息を吐き、昔のことを思い出す。
あの子も欲深い大人の犠牲者だ。
幸せな家庭を持ちながら、もっともっと金が欲しいと大金を手にして楽な暮らしをしたいなどと戯けたことを口にしていた。そういう者には例外なく魔が取り憑きやすい。強欲オヤジもそうだった。幸せの歯車が軋み出して一気に奈落の底へ落ちていった。
この神社の前を通り掛かったというのに素通りしやがって。それも魔の者の影響だったのかもしれない。
宝くじ一等を引き当ててしまったのが不幸の始まりだった。
一歩でもいいから鳥居を潜ってくれていたら、救えたかもしれないというのに残念だ。いや、わかっていたのだから手を差し伸べるべきだったのかもしれない。いやいや、無理だったろうか。強欲オヤジに取り憑いた魔の者は強力であった。神域より外では我の力も通じなかったかもしれない。
サチはあのオヤジの強欲さに巻き込まれてしまった犠牲者だ。あんな父親を持ってしまったせいで……。
突然、大金を手にした者の行く末がどうなったかは想像がつくだろう。
ろくに勉強もせずに店を開業し株や投資に手を出した結果、借金まみれ。その末、一家心中。
今更言ったところでどうにもならない。
そうだ、このことがなぜかこの稲荷神社のせいだと誰かが噂し始めてここが寂れてしまったのだ。我はそんなことは絶対にしない。狐神は怖いというイメージが人にはあるようだが、狐神くらい親身に話を聞く神はいないのだ。声を大にして言いたい。
自ら公言するなという声が聞こえてきそうだが実際そうなのだ。確かに怖い狐神もいるのも事実だが、そういう狐神がいたら伏見稲荷の狐神に話せば解決してくれるってことも伝えておこう。我ら狐神の頂点にいるのが伏見稲荷の狐神様だからな。
こんなこと話したところで誰も参拝者がいないのだから。我の声は届かないだろう。
あれ、そうだサチの話をしていたはずが脇道に逸れてしまった。
あんなにも酷い人生を送ったというのにサチはまったく恨むことなく座敷童子となる人生を選んでしまった。あの世でゆっくり過ごす人生もあったろうに。サチは最初からこうなる運命であったのか。
酷い父親だろうが死を選ぶ前にここへ願いに来てほしかった。サチのことを考えるとついそう考えてしまう。そう思っていたせいなのだろうか。魂となったサチがここへ顔を出したのは。
なぜサチはあの世へ行くことを拒んだのだろう。
「キツネさんといる。いいでしょ」
そんなサチの言葉が蘇る。
あの子は父親に似ず人の幸せを願う優しい子だ。
「サチ、ここにいたければ座敷童子にでもなるか」
冗談まじりに伝えた言葉を迷うことなく頷いたサチ。口にした我が目を見開いてしまったのを思い出す。あのとき、我は思わず「馬鹿な。座敷童子になどすぐになれるものではないぞ」なんて返答してしまった。サチは天国に行くべきだと思っていたせいでそう話してしまった。だが、サチは「じゃ、サチお百度参りする。だからいいでしょ」だなんて言いやがった。
まさか本当にやりきるとは思ってもみなかった。凄い子だ。
狐神と座敷童子。
妙な取り合わせだがなかなか面白い暮らしをさせてもらっている。
おや、もうサチが戻って来たようだ。サチの足音が聞えてきた。早過ぎるのではないか。
「キツネさん、いい人みつけたよ。この人の願いを叶えてあげて」
いい人ね。どれどれ、どんな人だろうね。
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