都橋探偵事情『瘡蓋』

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「いや、大丈夫です」  徳田は鍵の束から二本を片山に渡した。 「細長いのがドア、小さいのが金庫、金庫のダイヤルは八一九一。金はそれなりに入っている、あとは客の個人情報だ」 「いいんですか、たった今来た僕を信用してもらって」 「人を見る目は養われたなこの稼業で。金庫破りしてとんずらするような馬鹿には見えない。そもそも金になるようなネタは入っちゃいないがね。それに本名と歳がばれてりゃこっちはプロだからな、もしこれが君の悪戯だったら捜し出してお仕置きぐらいはする」 「今日は戻りますか?」 「明日の午後来る。留守番してなくたっていいぞ、ただ朝九時と午後一時には必ず顔出せ。ところで君、なんか特技はあるのか?」 「これといってありませんが、学生時代短距離をやってました」 「ほう、すると足が速いな、この商売には役立つ」  徳田はどぶ川にせり出した廊下を海に向かって歩いて行った。探偵という職業に憧れはあるが実際に危ない仕事もあると言われると片山は不安になった。客の八割がやくざだと徳田が言っていた。黒いダイヤル電話機で緑区の実家に電話した。たった一人の身寄りである兄には役所を辞めてから連絡を取っていなかった。区役所に合格した時は父も兄も自分のこと以上に喜んでくれた。そのことを想い出すと言いづらかったのである。幼いころに両親は離婚し父親と近所に住む叔母に育てられたが、一昨年父親は脳梗塞で倒れ死亡した。四つ上の兄は高校で教師をしており父の死とともに家族四人で実家へ移った。必然的に片山の居場所はなくなり井土ヶ谷駅裏のワンルームマンションを借りて暮らしている。 「もしもし、姉さん、兄貴居る?」 「智也君、たまには遊びに来てね、あなたの家なんだから。ちょっと待って」  義姉は智也の存在を考えて実家への移転を躊躇していた。片山は兄夫婦が実家に移り父の後を継いでくれることを強く望んだ。父の遺産相続権はすべて兄に譲ると一筆書いた。兄夫妻はこの実家の半分はお前のものだからいつでも勝手に出入りするように言った。現に二階の一室は出て行ったまま使用せずに義姉が掃除をしておいてくれている。 「井土ヶ谷に電話したけどずっと留守電だった」  弟は兄からの留守電は確認していた。兄も弟が居留守をしていることに感付いていた。居留守は元気の証と義姉の心配を紛らしていた。 「しばらく留守にしていたんだ。就職決まったからとりあえず伝えておこうかと電話した」 「今更遅いけどもったいないな中区役所、今は景気がいいから役所勤めなんて人気がないが、再来年あたりから相当景気が悪くなるらしいぞ。評論家の話だからあてにはならないがな。それで新しい仕事先は?」 「うん、野毛の小さな会社で電話番みたいな仕事。まああんまり条件はよくないけど、しばらくここで頑張ってみる」
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