坂の途中

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 旅館の奥に母屋が建っており、そこが、花達一家の居住スペースとなっている。  そこは何年か前に建て替えて、近代的な一戸建てに変わっていた。  子供の頃に来た、祖父や祖母との思い出は、今や旅館の中にしか存在しないように思えた。 (庭とかは、変わらないのになぁ・・・)  母屋の廊下から庭を見渡し、感慨に耽っていると後ろから叔母に肩を叩かれた。 「憲ちゃん、ちょうど良かった!お昼用意してるから!花と食べて!」 「ああ、ありがとう。おばちゃん、今回も暫く世話になるね」  叔母の後ろた姿に礼を言うと、ひらひらと手だけで返事を返して、廊下の向こうに慌しく引っ込んだ。 「忙しそうだな」  後ろ手にドアを閉めながら、ダイニングテーブルで昼食にかぶりついている花に話し掛ける。 「ああ、珍しく団体さんの予約が入ってんの。会社の慰安旅行らしいよ」 「へぇ、やっぱり不景気なんだな」  椅子に座り込んで、失礼な返事をしつつ、目の前の料理に合掌した。 「そういやお前、何でこんな時間に居るんだ?学校は?」 「テスト中。もうすぐ夏休みだよ。」 「ああ、いいな夏休み」 「うん!今年もガッツリ手伝いするつもり!」  嬉しそうな声を上げて、花が笑う。 「ホントに継ぐつもりなんだな」  花の夢はこの旅館の跡を継ぐ事だ。  それは、子供の頃からで高校生になってからは、立派に仲居として家を手伝っていた。 「うん!一人娘だし。あたし祖父ちゃん好きだったしさ」  食べ終わった皿を手早く片付けると、花は台所へと消えていった。シンクに水を流す音がする。 「憲兄ちゃんもちゃんと流しに片付けておいてね~」と声だけで注意を促すと、花は早々に自室へと籠ってしまった。  一人になって、憲吾は目の前の昼食に視線を落とした。  何故だろう。元々一人で食べる予定であったはずなのに、急に味気なく感じてしまった。本当は、一人になんてなりたくなかったのかもしれない。  黙々と食べ物を口に運びながら、ふとそんな風に思った。食べ終わると、再び合掌して皿をシンクへと運ぶ。  水に浸けとかなくては・・・と考えてフッと笑いが漏れる。  中学生の頃母親が亡くなって、父親と二人で暮らすようになった頃、カレーやら何やらを水に浸けておかずに酷く苦労した。 (明日は行ってやらなくちゃな)シンクの中の皿をサッと濯ぐと、客室へと足を向けた。  それからは、夕食も断って仕事に没頭した。その為にここに来たのだ。 時間も忘れて珍しく書き進めていると、カタンと引き戸が開いた。 「よう!」  振り向くとそこにはニヤケた顔を此方に向け、叔父が立っていた。 「付き合え」と厨房から持ってきたのであろう。瓶ビールを片手に庭を顎でしゃくった。  憲吾は叔父に促され、中庭まで来ると近くにあった縁台へと座る。 「で、今回はなんだ」  憲吾の横にドッカと座り、団扇で扇ぎながら叔父が聞いてくる。 「え?別に、仕事しに来ただけだよ」持たされたグラスを椅子の端に置きながら答えると、「カッコつけんなよ」と叔父が笑いながら瓶ビールの栓を抜いた。  流石に子供の頃から世話になっているだけの事はある。隠し事が通用する相手ではなかった。  叔父がニヤニヤと此方を伺いながら、煙草、とポーズで催促をしてくる。溜め息で返事を返して、ポケットから煙草を取り出し、叔父へ一本突き出した。 「ライター」 「ん・・」と投げて寄越す。 ゆっくりとした動作で火をつけ、ふぅっと満足げに吐き出した。憲吾の言葉を無言で促す。 「色々有り過ぎて、どっから行くか」自分も煙草に火を点け、気持ちを落ち着かせるために ゆっくりと一度吸い込む。フーっと長く吐き出すと、幾らか決心もついたようだった。 「環に・・彼女に逃げられた。で、彼女の部屋を出てきた」 「それは驚かん」 「ひでえな・・・」 「むしろ五年間もお前を支えてくれたんだ、感謝しかないだろ。で?後は?」 「オヤジが倒れた」 「・・・宗佑さんが?」流石の叔父もこれには驚いた様子で、ニヤケた顔が一気に引き締まった。 「お!流石に驚いたな」 「茶化すな。何で言わなかった!で?容態は?」 「安定してる。でなきゃ、こんなとこいねえよ。でも・・・」 「何だ」 「介護が必要になる・・・ここには、最後の仕事をしに来たんだ」  そう、今抱えている読みきりを最後に、作家と言う職業をやめようと憲吾は考えていた。  どうせ売れてはいないのだ。 「宗佑さんは何だって?お前の事応援してただろ」 「反対されたよ?」  グラスの中のビールを一気に飲み干すと、憲吾は父親との間にあった事の詳細を、ゆっくり噛み締めるように話し始めた。
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