その名は、幻魔文庫

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「この時代、まだ、そんな年ではないでしょうに、先生」そういうのは、井沢郁江”嬢”である。  彼女も、もう”嬢”というには、いささか以上の年齢になってしまったが、しかし、いまだに往年の”美少女”であることには変わりはない。 「先生、引退しちゃうんですか」口調も、仲間内でいるときは、そのままだ。 「引退、誰が?」 「だって、そういうことでしょ?違うんですか」 「うん、ぜんぜんないよ。どうして郁姫は、そう思うようになっちゃったのかな」初老の美おっさん、東丈が茫洋とした口調で言った。  ここは、東京の吉祥寺駅近くの某マンションの一室。彼の実家は近いが、仕事部屋兼居住区だ。実家は姉の三千子と成長した姪っ子の美惠子に預けた格好になっている。どうにも、成長した美惠子と一つ屋根の下で暮らすことが、彼の心理的負担になっていたからだ。  東丈は、大学卒業後どこかの会社に勤めることもなく、一念発起して超常現象研究家としての人生を歩みだしていたのである。それももう、何十年も昔の話であるが。 「どうしました?少し会わないうちに、何があったのですか、なんか、ちょっと感じがかわってしまって」 「まあ、いろいろとあったのさ。人間、生きてみるものだねえ」 「そうなんですか」 「うん、そうなんだ。改めて、君たちの出自についても、知ることが出来たし」 「私たちの”出自”・・なんですか、すりゃあ」 「郁姫、君たちってGENKENのメンバーだったんだね」 「・・・ええ」 「”向こう”で君たちにあったんだ」 「え・・・」 「君が出張中に、いろいろあったんだよ、いろいろね・・まあ、超常現象研究家が、そんな経験をしたなんて、なかなかいおおっぴらにはできないので、困ってしまうのだけどねえ」  井沢郁江、有能な外交官の父を持ち、最後に彼はアメリカ大使までになった人で、その赴任先で作った人脈相手に、個人的宝石デザイナーとして、隠然としたファンを作ったのだった。彼女の言う出張とは、その宝飾品販売の旅のことである。  その意味では、彼女は東丈には想像できない次元の大金持ちであり、人脈の持ち主なのだが、根っからの超常現象研究好きで彼の著作のファンでとして、いつのまにか、ファンクラブの管理の主翼を担ってもらっていたのだ。  余談ついでで言えば、東丈は西欧のように超常現象研究を大学でも教えられるような学問として確立しようという意欲のもとに、その研究者としての道を歩みだしたのだが、この年になっても、どこかの大学から声を掛けられるどころか、マスコミの”際物”番組などのキャラとしての扱いで終わっている。 「はあ、で、そのおおっぴらに出来ない話、私には、してもらえるんでしょうか」「いや、あなたたちみんなに聞いてもらいたい話なんだ。実際に経験した僕でも、あれは、今でも夢だったのじゃないかと思うのだけど」 「そんな経験をしたのですね、先生は」
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