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秘密
冗談じゃない、遊びに行くわけじゃないんだぞと言いたいが、揉めそうなので言葉を変える。
「誰か、来ないか見ていて欲しいから残ってくれ」
ロンにとってはぎりぎり譲歩したこの言葉にシュンランが大きく首を振った。
「見張りしてたって、こんなに下に降りるんじゃどうやって教えるわけ? 第一ここは行き止まりなのよ、どうせ見つかれば捕まっちゃうでしょ」
くそっ、確かにな。だから女は苦手なんだ。そう大きく舌打ちしてロンは再度手を差し出す。自分が追い込まれている展開にロンは体勢を立て直そうと心に誓った。
「わたしが先に行くから手燭を貸せ。いいか、音を立てるな」
「わたし、子どもじゃないわよ」
分り切ったことを言うんじゃないとばかりにシュンランは手燭をロンに乱暴に手渡す。こういう文官が一番扱いにくい。自分は選ばれた者だと自尊心が天井知らずに高い。そのくせ、勉強以外のことは何も知らない。
知らないと言えば。
「女の扱い方もね」
「何か、言ったか?」
「いいえ」
前を行くロンの肩に手をのせてシュンランは慎重に階段を下りて行く。ひんやりとしているのは壁を漆喰で塗り固められているからだろうか。やっと、足で探っても段が無くなった。ロンが手燭の火を壁にある蝋燭に点けていく。昼間のように明るい――とまではいかないが、部屋が見通せるようになってシュンランはほっと息を吐いた。
上の蔵書とは明らかに年代が違う、古い物がほとんどだった。シュンランは棚から試しに一冊取って開いてみるが、古い文体と表記で書かれているためになかなか読めない。
横を見ると、ロンが文面を指で追いながらぶつぶつと音読している。
「読めるの、これ?」
「科挙で上がった官吏なら、普通に読める」
当然だろと言う口ぶりにシュンランは苦笑いした。こんな事ばかり勉強してたんなら、他の事には手は回らないわよね。
「これは何? 名前かしら?」
「おい、勝手に触るな」
「自分だって勝手に触ってるんじゃないの」
シュンランの抗議にロンは黙ってシュンランの手に乗っていた分厚い書物を奪い取った。
「名前……だな」
「だからさっき、言ったじゃない」
だいたい、二、三十年ごとに出身地と名前、家族構成、歳が記入されている。だいたい十歳から大きくて十四歳くらい。名前を見ると男子らしい――。
これは、『飾りの妃』の名簿ではないのか? ロンはごくりと唾を飲んだ。一番新しい項までめくると、そこには郭 聖亜の名前があった。
「大公のセイアさまが『飾りの妃』?」
改めて思い返せば、あの美貌は『飾りの妃』以外の何者でもない。だが恐ろしく切れ者で政治家の印象が強かったために今まで思いつかなかった。
先帝の『飾りの妃』として宮中に上がった歳から計算して彼が四十手前だということを知ってもう一度驚いた。
自分といくらも違わない、もしかして同じくらいかと思っていた。しかし、噂どおり『飾りの妃』は任を解かれると官吏になっていた。
あまり知られたくない出目だろうが、先宮妃がなんでこだわるのが分らない。そして、一番新しいところは思っていた通り、凜 季彩の名前があった。が、そこには斜線が引かれ、紅 龍真の名前が書き加えられている。
「コウ・ロンシン?」
キサヤは一度『飾りの妃』に選ばれていたのに、降格されていた。そしてロンシンという十一歳の子どもが選ばれている。これはどうしたのか?
そして――セイア以前の『飾りの妃』だった者の名前以外ロンは聞いた事が無い。官吏になれると言っても容姿で選ばれただけでは要職に就くことはできない、そういうことなのだろうか?
そう思いながら名前の右端に目を向けると、そこにはもう一つ、名前のようなものが書いてある。
セイアのところには望天吼、キサヤのところには睚眦。そしてロンシンは嘲風とある。他の名前の右端にもそういった物が書いてあって何かの種別ではないかとロンは思った。
「何、それ。何て書いてあるの?」
「名前だ、コウ・ロンシン」
「コウ・ロンシン……ロン……そういえばあの子、シャオ(ちいさい)ロンってキサヤに呼ばれていたわ」
言った途端にロンに両方の肩を掴まれたシュンランはひっと声を上げた。
「知っているのか、一宮の『飾りの妃』を?」
「た、たぶんね。すごい綺麗な男の子だったわ。キサヤはシャオロンって言っていたけど」
今その子はどこにいるのか? セイアとキサヤ以外に『飾りの妃』だったらしい者は宮中にいないと思っていた。
「ねえ、ちょっとロン先生」
呻くようなシュンランの声。
「ん?」
「顔近すぎよ、先生」
言われて気がつくと、赤いシュンランの顔が目の前にある。驚いて立ち上がると書物はばさりと床に転がり落ち、項がめくられて一番初めの項になった。
「わ、悪かった」
とりあえず謝って、落ちた書物を拾おうとしたロンは開いた項に書いてある一つの名前に目を止めた。
「銀月?」
どこかで聞いたことがある――そう思った端からさっきの壁画を思い出す。銀月は初代皇帝の右腕だった者の名前だ。
そして、名前とその右端に書いてあったのは応龍。まさか、右端にある名前の意味って?
「出るぞ」
ロンは急いで書物を元の所に戻して部屋中の蝋燭の灯りを吹き消した。階段を上がり、戸を閉める。
大変な秘密を知ってしまったのかもしれないと恐ろしくなった。足元からぞわぞわと何かがまとわりついてくる気がする。
これは国の創始に関わるものではないのか。皇族の外見が他と違う理由。銀色の目や、背格好、全てにおいて皇族は国民と違っていることのわけ。人外の者との交わりが彼らを変えているとしたら。
『飾りの妃』は、キサヤは人間じゃないのかもしれない。
皇太子は成婚の時に人外のものを『妃』とする。それがただの形式的なものなのだろうか? 同じ男だとしてもなんらかの形で『妃』の妖力を取り入れているのではないだろうか。
益がなければ、そんな手間のかかることを永年に渡ってやってきた意味が無い。おそらく皇太子が婚姻する年齢に達したぐらいから、国中を探しているに違いない。それまでして人型に変化している人外の物を見つけていた。
その一端を先宮妃が掴んだということなら――これは大変な事になる。
「シュンラン、君は何でここを探そうと思ったんだ?」
そうだ、ここに三宮の女官長がいることが問題だ。
「それは……うちの入ったばかりの女官の様子がおかしいので、気をつけていたら宗人府に行きついたのよ。キサヤは『飾りの妃』じゃないかって思って」
「その女官の様子がおかしくなったのはいつからだ?」
「……そ、それは」
それはキサヤが三宮の寝所に侍った時だ。だけど、こんな事を三宮の者では無い文官に言っていいのか。事は三宮の評判にも関わると思うと口も固くなる。
「キサヤと三宮さまは……情を交わす仲、なんだよな」
さっきまで煩かったくせにぱったりと黙り込んだシュランに、ロンはかまをかけるように問いかける。
「知ってるの?」
シュンランの答えにやっぱりという思いと残念な気持ちが入り乱れるロンだった。だが、だとしたら。
「その女官は三宮とキサヤの何を見ておかしくなったんだろう」
「何って、そりゃ……」
「何だ?」
しつこく聞くロンに思わず答えそうになって、シュンランはロンの頬を思いっきりはたいた。
「な、なんだよっ、乱暴だなっ」
「あのねえ、キサヤと三宮さまは寝所に入ってらしたのよ。そこまで言って何をしてたか、はないでしょう! 鈍いのもいい加減にしてよ」
危うくそのままずばりと言いそうになったシュンランは怒り心頭でロンを見据えた。
いや、何をしてたか、じゃなくて、何を、って言ったんだけどとロンは胸の内で反論した。
女官が動揺するほどの「何」をキサヤは持っているのか。そして、それを先宮妃が探っているというのがきな臭い。
これはもう自分だけで動く時期は過ぎたのではないか? ロンはそう結論づけた。
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