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策略
「で、どうしろと言うんだ」
不貞腐れたみたいに書卓に両肘をついて顎をのせた三宮のまん前にシュンランは茶器をばんっと音をさせて置く。
「何回言わせる気なんですか。キサヤを寝所に呼ぶのは御控えください」
「嫌だな」
「嫌ってね、あのねハオメイ、わたしに言ってないことがあるでしょうっ。レンリンに何を見られたの?」
さっきから何度も頼んでいるのに頑として三宮は首を振らず、シュンランは思わず、口をすべらせてしまった。
一方いきなり、幼名ですごまれて三宮は目を見開いた。そして、やっぱりキサヤの獣化した姿を見られていたのかと分り青くなった。
「そ、それで、シュンラン。一体あの女官はどう言っているんだ」
「わたしに言ったのならいいのよ。だけどあの子はわたしに言ったんじゃないわ」
じゃあ、誰に?
こんなとこで座っていられないと立ちあがった三宮の腕をシュンランが掴んだ。
「離せ、シュンラン」
「どこに行くつもりなのよ。話はまだ終わってないわよ。早合点して突っ走ってへたを打つのは止めて欲しいわ」
――わたしったら、三宮に話せばこうなることは分っていたのに。焦って下手を打ったのは自分だったとシュンランは唇を噛んだ。でもこうなったら是が非でも行かせないわと掴んだ腕に力を込めた。
「キサヤは一宮さまの『飾りの妃』だったのよね」
「……なんで知ってるんだ」
なんで皇族の秘密を女官が知っている? どこから情報が漏れている? これがどんどん他に知られたらキサヤは捕えられるかもしれない。シュンランの言葉に一瞬三宮の体が固まった。
「シュンラン、一体どこでこの事を知ったんだ?」
「……痛いわ」
シュンランの抗議に我に返ると三宮はシュンランの腕を捻り上げるように拘束していた。
「す、すまない。で、でもどうして」
「みんな知ってるわよ……な訳ないでしょ。宗人府の書庫に忍び込んだのよ。あのねえ、言っとくけどこれはキサヤのためよ。で、キサヤは何を見られたの?」
焼けたと思っていた宗人府はまだ『飾りの妃』の記録を残していたのか。ではまだ、セイアは命を奪われる危険があるのではないか?
『飾りの妃』は自分の主が死んだ時点で後を追わされる定めだ。先帝の『妃』だった彼を宗人府は虎視眈々と狙っているのではないか。
――そして、キサヤが一宮の『飾りの妃』候補だったのが分ったら……いや、獣化しているのを知られたら秘密を死守する彼らはキサヤを殺す?
「どいてくれ、シュンラン。わたしはキサヤを守らなきゃ」
「だめよ、ここは大人しくして……」
「ごめん、シュンラン」
当て身をして崩れるシュンランを抱いて長椅子に寝かせると、三宮は急いで部屋を出ようと戸を開けた。
「おや、三宮さま、どこにお出かけですか?」
扉を遮るように、そこに居たのは宰相の趙だった。
「そこをどけ」
乱暴に避けようとしたが、趙はにこにこ笑いながら三宮を押し戻すように部屋に入って来る。
「何なんだ?」
「ええ、ちょっと三宮さまにお手伝いしてもらおうと思いまして」
「そんな暇はっ」
「二宮さまのお達しにより参上したのですよ、無下になさいますな」
「兄上の?」
勢いを削がれた三宮を前に趙はさっさと椅子に座ると三宮を見上げた。
「立ったままでは腰が痛いのでね、三宮さまもお座りください」
二宮の用事となれば無視できないと三宮は嫌々椅子に座る。目の前の趙はお茶でも飲んで休憩しているかのように悠然としている。
まだ四十代のくせしてやけに年寄ぶっているが、異例の若さで科挙に合格した趙がこの宮中に上がったのは十五歳だった。科挙に十歳の子どもが受かったなどと言うことはこの国始まって以来のことで、今や伝説になっている。
「用があるなら早く言ってくれ。わたしは忙しい」
「おやおや、わたしが忙しくないとでもお思いに?」
ふんわり笑う趙に三宮はむかっ腹が立つが、宰相という地位がどんなに忙しい身なのかを知っているので反論できない。
「三宮さま、この宮中の暖房はどうなっているか、ご存じで?」
「はぁ?」
いきなり思ってもみなかった問いをぶつけられて三宮は戸惑うように趙を見つめた。何を一体言うつもりなのか? いや、これは二宮の言付けに関することだ。
「知らないが、それがわたしに何の関係がある?」
「ここの建物の床下には陶器でできた管が縦横に埋められ、夏は地下水を通し、冬はお湯を通しております」
「そうか、それはすごいな。そう言えばいいのか? じゃあわたしはこれで……」
立ち上がろうとする三宮に趙が静かに言った。
「宗人府の建物の辺りも勿論配管は通っております。点検はしているでしょうが、何せたくさんある管全てを見て回るのは時間がかかります」
「だから?」
「痛んでいる管から漏水することもあるでしょうね」
この狸がと三宮は座り直した。宗人府の近くの管を壊して宗人府の書庫を水没させる気なのだ。
「計画を教えろ、趙」
「宗人府に仕掛けを致します。本日、先宮から宗人府に大きな観賞用の壺がニ対送られるのを利用させていただきます。中身は金銀が入っているようですが、それを抜いて代わりにたっぷりと黄燐の化合物をたっぷりと仕込みます」
「黄燐?」
「はい、黄燐は室温で蓄熱し、自然発火いたします。そこで壺の底に塗った火薬と反応し、床を破壊する算段になっております」
穏やかにお茶の入れ方を教授しているような趙の話しっぷりだが、内容はもの凄い物騒な話だった。
「床が抜ける前に宗人府の官吏が気付いたらどうする?」
すぐに宗人府の府長が中身を改めたらすぐに気が付かれるのではないのか? 三宮の危惧に答えるように趙が話を続ける。
「皇族が特定の省官に金を贈ることは原則禁止されておりますので夜間まで中身を改めることなど無いと思われます」
賄賂の横行を防ぐために省庁間でも禁止はされているが、それならと芸術品など高額な物を贈ることが頻繁にあり、二宮はこれも禁止するように法案を作成中だ。そして、その物品の中に宝飾品や、金が入っているのも今までは黙認されていた。つまり、壺が贈られると聞いたら中に何か金目の物があると相手は思う――のが当然ということだ。
「火がついた時点で気付かれ、消火されたらどうする」
「黄燐は気化すると毒を発生します。気付いてもどうにもできないかと」
つまり、夜間省長が中身を出そうと忍んでくれば、それはそれで都合がいいと趙は言っているらしい。まったく恐ろしい奴だと三宮は唾を飲み込んだ。
「壺を骨董商から購入している書類を店側から押収しております」
「そんな見え見えなことじゃ先宮妃はあっさり否定するだろう?」
そうですねと趙はくすりと笑った。
「見え見えだから良いのです」
「何で?」
意図が分らず、三宮は首を傾げた。
「帝にたてつくとどうなるかが先宮妃に分ればいいのです。宗人府と繋がっていることを知っていると分らせるのが大事なのです。壺の出先をいくら否定しても構わない、そういうことです」
黄燐は水をかけて消火したとしても乾けばまた発火する。有毒なガスのせいで燃焼中は中に入れないだろう。そして火薬による爆発で床を爆破し、配管を壊す。地下に流れ込んだ水で『飾りの妃』に関する書物が置いてある書庫を水没させるつもりらしい。
「だけど、そんなに上手くいくか? 水没させても後に回収できたらどうする?」
「実はその頃には、『飾りの妃』関連の重要書類はそこには無いので大丈夫。これにはもうすでに無いということを誤魔化す意味もあるのです。いや、なんだか喋りすぎて喉が渇きましたな」
喉を押さえて趙は立ち上がると、長椅子の方へ視線を向けた。そこにはシュンランが気を失って寝かされていた。
「おや、三宮の女官はお休み中でしたか。ではわたしが淹れてもよろしいですか?」
どう言い訳しようと思っていた三宮は気抜けして、ああと頷くと趙はお茶を器用に入れ始めた。
つまり、中身を先に抜いていながら書庫も潰すということらしい。見せしめ……ということがきっと大きな目的に違い無い。
趙にせよ、二宮にしろ、表面が優しげな方が実は恐ろしいのだと敵対する側は宗人府に限らず思い知ることになる。
「美味しいですね。やはり皇族の方は良い物を嗜んでおられる」
満足そうにお茶をすすって趙は三宮にもお茶を勧めた。
「書物の方はロン・ウェンユウに運ばせていますので、三宮さまには壺のほうをお願いします」
「は?」
危険と言ったのでは無かったのか? 毒性があると言わなかったか?
「『飾りの妃』の秘密を知る者は少ないほうがいい。三宮さまには先宮に潜入して中身を入れ替えてもらいます。一人でとは言いません。助手を一人つけますのでお願いしますね」
「それは兄上の意向か?」
「はい、どうせ動きたくって仕方ないのだから、使ってやると仰ってましたね。黄燐は扱いやすいようにいくつかに分けて梱包しておりますが、念のため作業の際は口を覆い、手袋をしてください。それと中身には絶対触れないでくださいね、火傷したようになります」
すっかり言い終えると趙はよいしょと年寄りじみた言葉を発して立ち上がった。
「壺は先宮妃の居室にあります。今は宝玉さまの立戴式の予行が行われるために皇族の皆さまも清涼殿にお集まりです。三宮さまの事は上手く言い繕いますから今から行ってください」
「い、今から?」
「リュウ、入りなさい」
趙の言葉にがちがちに緊張した面持ちの男が入って来た。皇族に会うなどと思ってもみなかったらしいのと、背中の荷物が彼を緊張させているらしい。
「彼は各省に該当の書類を運ぶ仕事についております。なので、彼が宮中をうろうろしていても誰も不信に思う者はおりません。と、いうことで三宮さまもお召し変えをお願いしますね」
自分だけ言うべきことは言ったと趙はさっさと部屋を出て行った。
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