281人が本棚に入れています
本棚に追加
探索
一方、ロンは書庫に降りていた。さすがに帝が背後にいるというだけあって鍵は渡され、書庫に入るのにも周りには一人しかいなかった。
その一人というのが……。
「ちょっと早くそこに積んだ書物を確かめてよ」
やいやい言われて顔を向けると、三宮の女官長が腰に手を当てて立っていた。
「あのな……」
シュンランの足元を見てロンは絶句する。やたらめったらに積まれている書間綴りの山がいくつも出来ていたのだ。
「手当たり次第に書棚から降ろすのを止めろ。ここの書物を根こそぎ見るつもりなのか?」
この山を確認するだけでも大事になる。まったく考えなしに行動しやがってと諌めるロンにシュンランは「何よ、見るのはあなたでしょ?」と言い放った。
おいおいとロンは額に手を当てて、この助手の暴走をどう止めるかと思案にくれる。『飾りの妃』関連の書物は古い物が多い。持っていた綴りの表を眺めて墨の色の違いに気づく。
ある年代からの墨には防腐剤や、発色剤を混ぜているために退色の度合いが格段に違う。「赤茶けた色に変色している表書きの綴りを選んでくれ。君は古い文字は読めないだろうから」
「早くそれを言ってよね、腰が痛くなるわ」
途端に批判めいた声が返ってきてロンの口が歪む。
――いい加減にしろよ。
先にどんなものを探せばいいのか、普通聞くもんだろう? 言い返したいがこのところのシュンランとの言い合いに勝ったことが無いロンは早速白旗を上げる。
無駄な戦いをしている場合じゃない。論理的に相手を打ち負かせというならいくらでもするが、とにかくシュンランの思考は無敵なのだ。
「悪かったな、じゃあそこに留意して探してくれ」
「分ったわ」
どさっとどこかの書物の山が崩れる音がした。どうして助手がシュンランなんだとロンは憂鬱になる。こんなときに官吏だったら字面を追って勝手に探すだろう。結局自分が中身を確かめなければならないなんて。
「ロン先生、ちょっと、ねえ」
もっと系統的に探さないとだめだ。この前見つけた『飾りの妃』の名簿は回収できたが、入口付近にあるのは新嘗祭やら大きな神事の類だし……。なんで名簿は見えやすい棚にあったのか?
最近ここに『飾りの妃』の名前を確認するために入ったものがいるということだろう。急いで慌てていたために元の場所に戻し忘れていたのだろうか。
「これを見てって言ってるのよっ」
――ああっもうっ、うるさい。
「なんだよ、どれだ?」
「これよ、ここに古い墨を使った書物が何冊もあるわ」
シュンランがごっそり抜いた書棚の下段の奥が二重になっていたらしい。驚いてロンは四つん這いになってそこに潜りこむ。
「どうなの?」
「……ん」
何冊か取り出して目を通すと、やはりそれは『飾りの妃』関連の書物だった。婚礼の儀式等の手順が書かれている。ぱらぱらと目を通していたロンの手が偶然ある項で止まった。それはある行為を図解したものだった。
手足を寝台の四隅にある杭から伸びた紐で括られた裸の少年の周りにいるのはここの官吏だろうか。足元にいるのは君と書かれている。
「君とは、皇太子のことか……で、でもこれって」
婚姻の床入りなどというものではあり得ない。これは……これは名簿にあった十代の少年を一方的に凌辱するための準備。
これが『飾りの妃』の現実――なのか。
震える手で項をめくっていたロンの手がぱんと叩かれる。
「目当ての物があったのか、どうだかはっきりしてよ。あったのならそれを運び出さないとダメだし、違うのなら他を当たらなきゃ。何、のんびりしてるのよ」
まったく勉強ばかはこれだからとロンが持っていた書物を取り上げようとして、シュンランはどきりと動きを止めた。
ロンの頬がきらりと光ったからで、それは思いもよらないことだったから。
――泣いてる? え? 何で? ロンの持っている本の開かれた場所に目がいく。
「これって、何なの」
言葉が分らなくても意味は分ってシュンランは絶句した。キサヤは、あのシャオロンという少年は、このためにここに連れてこられたって……そんな……酷い。
「ここにあるのがそうだったらしい。君のおかげらしいな。運び出すから手伝ってくれ」
何も無かったようにロンは事務的に言うともう一回棚へと潜りこんでいく。頬に一筋零れているのを指摘しようとしてシュンランは止めた。
言い訳を聞きたいわけじゃない。本当の理由なら見れば分る。男って大変だ、悲しけりゃ泣きゃいいのに。
こんな大きな秘密を抱えて生きてきた『飾りの妃』たちを可哀そうだと思ったって、それはおかしいことじゃない。
「なんだよ、じろじろ見るな」
「結構、良い人なんだって思ったのよ」
「な、何だって?」
真っ赤になったロンの手から書物を奪い取りながらシュンランはくすりと笑った。
「早くしてよ、運ぶのはそれだけなの先生?」
棚の奥から煩いと言った声が裏返っていた。
「レンリン、今晩三宮さまがキサヤを寝所にお呼びになるわ。大丈夫なの? できそうにないなら無理しなくていいのよ」
シュンランを前に新人の女官、レンリンはいいえと縋るように首を振った。
「いいえ、是非やらせてください。シュンランさま」
「そう……ではしっかりね」
この熱意は三宮への忠誠では無いのだと思うとシュンランはため息をつきたくなる。この堂室から出たら一目散に宗人府へ向かうのだろうか? それとも先宮へか。
いずれにしても、華南省に連れて行く女官については気をつけないとならない。キサヤの正体を知られるわけにはいかないということは勿論だが、どこかの間諜を紛れ込ませる危険について考えなければ。
「ああ……なんでわたしがこんなことに頭を使わないといけないのよ。甘いものが食べたくなったわ」
シュンランの迷いはゴマ団子と桃饅頭どちらにするかということに移った。
最初のコメントを投稿しよう!