身辺調査

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身辺調査

「先生? どうかしましたか」 「な、なんだ?」  キサヤに問われてから自分がぼんやりしていたことを自覚してロンは咳払いする。彼らは一体何を知りたかったというのか? キサヤが三宮と同禽していることは誰もがなんとなく分っているのではないか? いちいち確かめる必要も無い気がする。そういうことじゃないならキサヤの何が問題なのか? これは調べてみなければならないとロンは密かに思った。 「ど、同禽って……」  声に驚いて目の前のキサヤを見ると彼が真っ赤になっている。なんで考えたことが分ったのか……もしかしてと恐る恐る聞く。 「口に出していた?」  浅く何回もキサヤは頷いた。今日の先生はおかしい。遅れてくるのも初めてだが、授業中にぼんやりしたり、変なことを口走ったり。 「口に出していたなら仕方ない。それで本当はどうなんだ。君は三宮さまとそういう関係なのか?」  もうまわりくどいことは止めたとロンは開いていた教本を閉じる。どうせ、今日は全然身が入ってなかったのだ。 「そ、それは……お答えできかねます」  赤い顔のまま、キサヤは書卓に手を揃えてロンを見上げた。その必死な顔を見て、関係があるとロンは確信したのだった。  宮中の人事の書類関係がある礼部の人事院に立ちよったロンは、三宮で雇われている官吏、女官、雑役夫などの書類の中にキサヤの身上書を見つけた。  出身地は南の片田舎、そこに昔からある土着豪族の妾腹の子ども。それくらいしか記述が無い。  宮中で働くにはそれなりの後ろだてやら、保証というものがいる。帝の御在所に勤めるということはそれなりに身辺調査も厳しい。  科挙で上がってきた官吏なら、出身省の省長の署名と印鑑が押されているし、貴族や高官の息子ならその家長の署名と印鑑が押印されている。  それは、女官や雑役夫も同じで、保証人が署名、捺印している。  それなのに、キサヤの書類にはここに来た経緯を読み取れる証が何も無い。突然二年近く前、二宮に今の帝付きの侍従の一人として記入がある。  いきなり、宮さま付きになることなどあるのか? 官吏としてなのか、ただの雑役夫なのか、身分もあいまいでいざ調べてみるとキサヤは謎だらけの人物だ。  正式な書類には何も書いてない、それならば何を調べればいいのか? ふと指が出身地を指していた。  いそいで、同期の官吏の中で故郷が近い者がいなかったか、考えを巡らせる。一人、確か近い場所から来た男がいたと思い出してロンは部屋を出た。 「なあ、ロン・ウェンユウ、今は呼び捨てにさせてもらうぜ」 「仕事以外ならいつだって呼び捨てでいい」  同期で入った仲で歳も近く、自分と違って豪胆な性格のリュウとは馬が合った。確か一年ほどは一緒に働いていたが、何せどんどんと出世してしまった今はなかなか会うことも無い。 「ロン、おまえは都会の商人とは言え、金持ちの息子でこんな話は聞いたことが無いだろうけど」  リュウがごつんとロンの肩をこづく。痛いと文句を言ってやると「おまえって柔だよなあ」となぜか嬉しそうにリュウが笑った。 「地方のさ、金はそこそこあっても地位が低い貴族や地方の官吏たちにとって、自分の家族から中央の官吏が出るってことは一大事なんだ」 「そんなことは言われなくっても分る」  自宅に招いていた教師に「お宅の御子息は神童です。科挙を受けることを考えてみては?」そう言われた時の両親の顔が忘れられない。跡取りなんてことが頭からすっぽ抜けるくらい大騒ぎになったからだ。 「だが、どんなに金をかけて都から高名な学士を呼んで勉強させても皆が皆、頭が良くなるわけじゃない。俺の故郷の住人にとって、都会者のおまえには想像もつかないくらい中央は遠い存在なんだ」  リュウが淡々と話をつづける。 「知ってるか? もう一つ、家柄以外で中央の官吏になれる道がある」 「何?」 「これは、貴族社会では広く知られている話なんだ。皇太子の婚姻には二人の妃が腰入れされるが、実はもう一人『飾りの妃』という妃がいる」 「『飾りの妃』?」 「ああ、儀礼的なお飾りの妃らしい。見目麗しい少年を集めてその中から選ばれた者が婚姻の儀式の時だけ『飾りの妃』として参加する。その後は任を解かれて官吏になるらしいぞ」  リュウの話にロンは納得した。二年前といえば一宮さまの婚姻があった年。キサヤは一宮さまの『飾りの妃』だったに違いない。  キサヤのあの類まれな美貌の訳は理由があったのだ。  そして、あの部屋にいたのは一宮の母親である先宮妃。あの年、錯乱した一宮が先帝を殺害し、止めに入った侍従を刺して火を放ったということになっている。宮の半分が焼け、内務殿まで類焼が及んだ。  ――内務殿?  内務殿には確か宗人府があった。宗人府は皇族の儀式を取り仕切っている上に管轄する省を置かない独立した機関だ。そのせいでロンも宗人府の官吏を考えていなかった。では、あの官吏は宗人府の者なのか。  そして、これは噂だが一宮のとどめをさしたのは三宮だと言われていた。 「そうか、そこに繋がるのか」  一宮の『飾りの妃』だったキサヤが二年前から三宮と何かあったのかもしれない。あの事件は裏がある。 「ロン、何を黙り込んでいるんだ?」 「いや、リュウ、大変参考になった。ありがとう、君も仕事をがんばってくれ」 「お、おいっ」  リュウは走って出て行くロンの背中にため息をついた。 「親交を温めるとかいう気持ちは無いのか、あいつ」  仕事といっても、毎日上がって来る地方からの嘆願書の山をどこに持っていくか、より分けて部署に送るそんな仕事だ。いつになったら頭を使う仕事につけるのかとロンの出て行った方に視線を向けた。 「シュンランさまのお云いつけ通り、ずっとレンリンを見張ってたんですけど」 「で、なんかあった?」  三宮で掃除をしている女官たちの一人を廊下の端まで引っ張っていってシュンランが聞く。 「いいえ、ここと自分の宿舎との往復だけです」  そばかすの散った顔で若い女官が答える。 「……そう、ありがとう」  自分の考えすぎだったのか。 「でも、レンリンったらもう良い男性(ひと)がいるみたいなんですよ。シュンランさま」 「いいひと?」  そうそうと小鼻をふくらませた女官がぷうと口まで尖らせた。 「夜に宿舎の横でこそこそ話をしていたんですよ。あれはきっと宗人府の官吏だわ」 「何でそんな事が分るの?」 「だって、官服の襟を止める飾り紐の色が白ですもの」  言われて、そうかとシュンランは頷いた。女官らは、仕えてる主人の儀式の用意を当然することになるので、宗人府の官吏を見かけることは珍しくない。 「ありがとう、もういいわ」  笑って女官を仕事に帰しながら「宗人府」とシュンランは呟いた。キサヤと宗人府がどこかで繋がっている。それを突き止めなければとシュンランは決意した。
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