シュンラン

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シュンラン

「シュンランさん」  堂室を掃除する女官たちを監督していたシュンランの前に一人の文官の成りをした若い男が飛び込んできた。  裾を端折ったり、腕まくりしていた女官たちが黄色い声を上げて仕事の手を止めて一斉に服を直し始める。 「仕事を続けなさい、あなたたち」  シュンランはため息をついて女たちを騒がしている元凶に目を向ける。若い女官らの目が呼吸の一つまで見逃さないようにぴったりと文官に向いているのに気付いてシュンランは苦笑いした。 「キサヤ? 一体どうしたのよ。今勉強中でしょ」 「だって」  放っておくと、このまま赤裸々に喋り出しそうな相手にシュンランはキサヤの腕を取る。このままだと仕事が滞ってしまうと、女官たちの刺すような視線を感じながら堂室を出た。見送る女官たちは仕事に戻る者が誰もいない。 「シュンランさん」 「何、キサヤ」  空いた部屋の中、キサヤがシュンランの手を振りほどいて肩を掴む。この一年でキサヤはまた大きくなった。男の十七歳はまだ育ちざかりなのだとシュンランは改めて思う。もう少し横にも大きくなるといいのだが、三宮はそんなことは思っていないのだろう。  なんだかんだ言って、三宮はキサヤを守る立場にいたいお子様なのだ。 「一緒に華南に行かないって本当なんですか?」  ああ、そのことと言ってシュンランはキサヤを見上げる。ついこの間まで、まるっきり女の子みたいな顔だったくせに。  すっきりとした小さい顔に大きい瞳。睫毛も長く高い鼻も細く、唇も赤い花のようだ。にも拘わらず、キサヤは最近大人の顔になってきていた。それに時折零れ落ちるように覗く色気。  女官たちの黄色い声が三宮に留まらないのを知らないのは本人だけだ。今では、大公になったセイアに負けないほどの隠れ親衛隊がいる。  まったくいい迷惑だわよとシュンランは自分とキサヤに刺さる視線を思い出して愚痴を零した。願うなら、三宮の最近の本音と同じく後宮に閉じ込めておきたい。ただし、三宮と自分とは理由が違う。  前年の暮れ、一宮の正妃が男の子を産んだ。それは即ち三宮が継ぐ宮を解かれるということで、このまま大事無く誕生日を迎えることになったあかつきには、三宮は華南省の省府長として赴任することになる。  シュンランも一緒に行くのだとばかり思っていたキサヤは、驚いて勉強を放りだして走ってきたのだ。 「シュンランさん、何で一緒に華南に行ってくれないんです? シュンランさんがいないと寂しすぎます」 「ちょっと、キサヤ」 「大好きなのに」 「ちょっ、大声でそんなこと言うの止めてよね」  堂室から出て本当に良かったとシュンランは心底思った。あの中で「好きだ」なんて言われたらこの先、仕事がやり辛くて適わない。女のやっかみくらい恐ろしいものは無い。しかも、これはあきらかに濡れ衣だ。  ため息をついてキサヤの額をぺたんと叩く。 「後から行くわよ。三宮の後始末と連れて行く女官の選定とか結構仕事あるのよ、わたしも」  大半は現地で新たに採用するにしても、ずぶの素人ばかりになると仕事が立ちゆかない。しかし、女官にしても僻地への転勤は誰もが二の足を踏むだろう。 「女を統率するのは、骨が折れるのよ。しばらくは我慢しなさい。あのね、わたしは三宮さまのこと好きだったのよ」 「えっ」  シュンランの言葉に目を丸くしてキサヤは固まる。それを見てシュンランはふんと鼻を鳴らした。 「そんなに驚かなくてもいいでしょう? わたしの初恋の相手は三宮さまだもの」  急におろおろして自分を見るキサヤにシュンランはため息をつく。こんなに思っていることが丸分りでこの先、大丈夫なんだろうか。 「だから、前はよ、前の話。だけどね、わたしを無害なお母さんみたいに思ってるんなら、大間違いよ、キサヤ。三宮さまをないがしろにしてたら、わたしが取っちゃうわよ」 「そ、そんな」  キサヤを捨てて、自分を取るなんて選択肢が三宮にあるわけが無い。なんせ、べた惚れなんだから。分ってないのはキサヤだけなんだけど、教えてやるほど自分も大人じゃないとシュンランは思う。 「いいこと? わたしが行く前にしっかり足場を固めててよ」 「はい、でもシュンランさん早く来てくださいね」 「キサヤ」 「はい?」  何か毒でも吐いてやろうと思ったが、キサヤの顔を見ていると何も浮んでこない。キサヤが可愛くて仕方ない。相手はいい歳の男でしかも恋敵のはずなのに。だけど、そう思ってしまうんだからしょうがない。あたしも随分枯れてしまったもんだ。それにしても、神様はなんでこうも美醜に関しては公平さが無いのだろうとシュンランは思う。  男にどこぞの国の姫君めいた美貌なんか要らないんじゃないの? それを百人の娘たちに分けてくれりゃあいいのに。  思えば思うほどキサヤが可愛いんだか、憎ったらしいんだか分らなくなる。 「何でもないわ。分ったらさっさと部屋に戻って勉強しなさいよ、キサヤ」  三宮の侍従としてキサヤが働きだして、表に出るようになると、その容姿であっと言う間に宮中で知らない者はいないくらい有名になってしまった。  前はセイアに夢中だった女官たちも、大公という立場になってしまった彼に黄色い声を上げるわけにもいかず、次の追いかけ先がおのずのキサヤに向けられていた。 「分ってないのは本人だけなんだから」  キサヤの後ろ姿を見ながらシュンランは大きくため息をついた。
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