海になりたかった雲

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「息してんのは、俺だけだと思ってたんだがな」 「俺も、俺だけだと思ってた」  その言葉に、右側の男が短く笑う気配がした。 「長い夜だったなあ」 「ずっと、起きてたのか?」 「いや──悪夢と地獄を行ったり来たりさ」  右側の男の答えに、思わず苦笑した。確かに、寝ても悪夢、起きても地獄だ。現実でないぶん、悪夢のほうがマシだろうか。  男は視線を、自分のつま先よりも先に向けた。  夜明け前の、蒼と黒の世界。遠くには、なだらかな稜線の丘陵地帯。その手前に黒々とした森。土が剥き出しの大地。その大地を埋め尽くす、累々たる屍。血と硝煙のにおい。腐敗臭。青白い顔がひとつ、つま先の向こうから、絶叫したままの表情でこちらを見ていた。  だから夜戦は嫌だったのだ。奇襲する側が有利だなどと、誰が言ったのだ。陣形を保って突撃したところで敵の狙撃兵に翻弄され、この有り様ではないか。 「これから、どうなるかな」  右側の男がぽつりと呟いた。 「助けが来たとして、俺たちも死体と間違われそうだな」 「ああ、もしかしたら本当はもう死体なのかもしれないしな」 「死んだ事に気付いてないのか……我ながら阿呆だ」 「いや待て。もし死んでたら、もう死ぬ必要がないじゃないか。有り難い」  右側の男の言葉に、確かにそうだと思った。死への恐怖にもう怯える必要がない、それは幸せな事だ。  けど── 「けど、寒いな」 「ああ、酷く寒い」 「俺たちはどうやら、まだ生きてるらしい」  不思議なものだと男は思った。生きて故郷へ帰る事が目標だった筈だ。それが、死んでいるかもしれない事に希望を見いだしてしまった。俺は本当は死にたかったのか?
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