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「スミマセン、お待たせしました!」
カフェに駆け込むと、黒住は微笑んで片手を上げた。
今日もサングラスはデフォルトのようだ。
だけど、雰囲気が前回よりも更に柔らかい。
サングラス越しにでもわかるぐらい、甘い視線を環に向けている。
「そんなに息を切らして…可愛いな、環は」
ここに座って?
何か飲むだろう?
黒住に可愛いと言われると、環はなんとなくムズムズしてしまう。
良祐からは耳にタコができるほど言われていても、何とも感じないのに。
環が、頼んで貰ったレモンスカッシュをストローでチューチュー啜っているのを、黙って微笑んだまま見つめていた黒住だったけれども。
走ってきて喉が渇いていた環が、あっという間にそのグラスが空にするのを見届けると、彼は伝票を掴んだ。
え?もう終わり?
何も話してないし、まだ数分しか会えていない。
俺、何かヘンなことやらかしちゃったか?
走ってきて、汗臭かったとか?
オロオロと視線をさ迷わせたり、自分の臭いを嗅いだりし始めた環の、焦りと不安が黒住に伝わったのだろう。
彼は笑いながら、環の頭をポンポンと撫でてくれた。
「そうじゃない、環」
君の匂いが臭いなんてこと、あるわけないだろう。
こんなに甘くて芳醇な香りなのに。
その、黒住の台詞の後半は、口の中でだけ呟かれる。
どこかせつなげに、渇望するかのように。
「ここは待ち合わせで使っただけだ。今日は君に、ウチに来て欲しい」
ウチに……?
って…え?ええ?!
く、黒住先生の、家ぇっ?!
途端にパニックに陥る環の頭をもう一度ポンポン撫でると、黒住はさっさと会計を済ませに席を立つ。
慌てて環は後を追うが、財布を出す暇もなく黒住が全部支払ってしまった。
「せ、先生…」
自分の分は払います、そう言いかけた環の唇を、黒住の長い人差し指が留めた。
「環、先生なんて呼び方はいただけない」
でも、と反論したいが、黒住は指一本で完全に環の唇を封じてしまっている。
「櫂」
彼は、短くそう言った。
もちろん環は、それが黒住のファーストネームだと言うことを知っている。
「敬称は無しで、そう呼んでくれるな?」
君には、そう呼ばれたい。
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