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萌芽
「たーまきっ!今日、マック寄って帰んね?」
幼稚園の頃から高校生の今に至るまで、ずっとつるんでいる親友の津田良祐に背後から覆い被さられて、羽田環は、重い、と文句を言いながら首を後ろに捻る。
「今日はダメって前から言ってたじゃん…急いでんだって、退けってば」
「あ?ああ、サイン会…だっけ?敬愛する黒住先生の」
ちぇー、と良祐は唇を尖らせた。
腕の中にいる幼なじみは、昔からその黒住なるホラー作家のことになると、熱狂的ファンを通り越して信者の域に達している。
「そーだよ、黒住先生が人前に出るのはめちゃくちゃレアなんだ…ホントは学校休んで昨日の夜から整理券待ちで並びたかったぐらいなのに」
とにかく、急いでるから、離せって。
小柄な環は、大柄な良祐に、今みたいに背後から抱き締められる格好になると、身動きが取れない。
「なあ、それ、俺もついてっていーい?」
良祐の台詞に、環は冷たい。
「ダメ。お前、黒住先生の本一冊も読んでねえだろが。そんなやつ連れていったら、先生にすごく失礼だ」
「じゃあ、会場着くまでに読むから、なんかパパっと読めるやつ貸して」
食い下がった幼なじみに、しかし、環の態度は氷点下まで下がっていく。
「はあ?黒住先生の本がパパっと読めるわけねえだろ?んとに、ふざけてねえで離せって、マジで怒んぞ?!」
もう怒ってんじゃん…とブツブツ言いながらも、良祐は環を解放した。
「じゃあ、また明日な、良祐!」
解放されるや否や、環の小柄な身体は跳ねるように駆け出す。
子犬が飼い主の元に一目散に走っていくような、そんな後ろ姿を見送って、良祐はため息を一つ零した。
環とは幼稚園の頃からの大親友だ。
家も近所で、家族ぐるみで仲がいい。
小学、中学と同じ公立学校に通って、高校を受験する際、良祐は迷わず環の受験する高校を選んだ。
本来、良祐のほうが環よりも成績がよかったから、もっと上の高校を受験することを教師たちからは強く薦められたのだが。
良祐は、環の側にいたかった。
環の隣に、自分以外の男が親友面して並んでいるのなんて、想像するのも嫌だったのだ。
だから、教師の反対を押しきって、環と同じ高校を受験して、今に至っている。
大学はさすがにそうはいかないことはわかっている。
何より、環は昔から本好きでバリバリの文系なのだが、良祐はガチガチの理系なのだ。
来年からは、高校内でも文系理系に別れてしまうだろう。
そんな些細な別離すら、身体の一部をもがれるぐらい、さみしい、嫌だ、と思っている。
その感情が、幼なじみに向ける単なる友情でないことは、良祐はとっくに気づいていた。
誰にも環を渡したくない、自分だけのものにしたい。
環の隣にいて、彼を笑わせて、楽しく幸せにさせるのは、自分の役目なのだ、という想い。
それは、恋、だ。
良祐は、幼なじみの親友に、抱いてはならない想いを抱いているのだ。
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