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やっと良祐の拘束から解放された環は、高校の最寄り駅までダッシュした。
黒住先生のサイン会は、その最寄り駅から地下鉄を乗り継いで15分程度で行けるところである。
開催開始時刻は19時からと遅めだけれども、当日発売の新刊を購入した人にサイン会の予約券を配布する、という形式のものなので、本来は本当に学校を休んで朝から書店前に並びたかったのだ。
しかし、元来真面目な質の環は、学校を無断でサボるというハードルを超えることができず、今日は一日中早く終わることだけを考えながら、心ここにあらずの状態で学校生活を終えた。
心酔している黒住は、ホラー小説というジャンルではかなりの人気を誇っているけれども、今日は平日ということもあるし、ジャンル的に整理券がなくなるほどのことはないのでは、という望みに賭けて、環は乗り継ぎの地下鉄の通路も走り抜ける。
しかし。
「残念ですが、整理券は二時間ほど前に終わっちゃったんですよー」
書店員は、申し訳なさそうにそう言った。
汗だくで走り込んできた環に、同情の視線を向けてはくれたが、だからといってオマケしてくれるなんて都合のいいことは、もちろん起きなかった。
環は、脱力してその場に座り込んだ。
やっぱり学校サボるべきだった…。
後悔しても、もうどうにもならない。
二時間も前に終わったのなら、帰り際良祐に絡まれたのは関係ないと思いつつも、あれがなかったら間に合ったかもしれないのに、と八つ当たり気味に考えてしまう。
幼なじみの良祐は、小さい頃からいつも一緒にいるけれども、最近、いや高校に上がった頃からだろうか、ベタベタ度合いが酷くなっている気がする。
高校生ともなると、周りがリア充だらけだからだろうか。
周りのアツアツぶりに当てられて、一番近くにいる環に絡んでくるのかもしれない。
良祐は、顔も悪くないというかむしろイケメンだし、ガタイもいいんだから、早く彼女を作ればいいのに、と環は思っている。
中学の頃だって、幼なじみで仲がいいから、よく環は女子から良祐への橋渡しを頼まれたものだ。
その都度、仲を取り持つようなことをしてあげるのに、良祐はいつも不機嫌に女子をバッサリ振ってしまうのだ。
だから、そんなイケメンでモテモテの良祐に彼女がいたことがない、つまり童貞だ、というのを環はよく知っている。
友達はみんな、あの良祐が童貞なんて有り得ないだろ、と言うかもしれないけれども。
そう言わせるぐらい、良祐は昔から女子にモテるし、それも仕方ないよな、と同性にも思わせるぐらいにカッコイイのだ。
ちなみに、もちろん環も童貞である。
環は、顔立ちは可愛い系、弟系と言われるタイプで悪くないらしいが、いかんせん、背が低く小柄な体型がネックになっている。
更に、興味があるのは活字だけ、という根っからの本の虫なため、一部の腐女子系女子とは話が合ってキャッキャと仲良くできることもあるけれども、陰キャのレッテルをべったり貼られてしまっていて、恋愛対象としては全く見られないらしい。
環自身も、まだ本よりも夢中になれるような女子には出逢ったことがない。
いつも、活字の中で疑似体験しているような、出逢った瞬間恋に落ちる、という気分を実際に味わってみたいなあ、というぼんやりした願望はあるのだけれども。
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