恋う

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待ち合わせ場所は、先日の本屋から程近い、クラシカルなホテルのカフェだった。 イマドキの高校生男子にはなかなかハードルの高い重厚な雰囲気に、環は恐る恐る足を踏み入れる。 「そんなに緊張しなくてもいい」 不意に背後から低い美声が降ってきた。 そっと肩を抱かれて、フワリと嗅ぎ覚えのある、甘いような爽やかなような不思議な香りに包まれる。 「こっちだ、おいで」 カフェの一番奥まった席に、そのまま肩を押されて連れて行かれた。 向かい合うのではなく、何故か隣同士に座らされ、横から覗き込むように訊かれる。 「何か飲むか?それとも、育ち盛りは何か食べるか?」 「いえ、あの……」 飲み物だけでいい、と言いかけた環は、しかし差し出されたメニューに載っていたケーキの写真に、思わずごくりと唾を呑んでしまった。 凄く美味しそうだったのだ。 クスッと黒住が笑った。 「これが食べたいんだな?」 彼は片手を上げてウェイターを呼び、写真のケーキだけでなく、幾つかお勧めのものを持ってきてくれ、と頼んでくれる。 「たくさん食べて、もう少し大きくならないとな」 「いえ、だから、あの、俺もう高校生なんで…」 そんな小学生みたいな扱いはちょっと。 唇を尖らせると、黒住は、今日もかけている大きなサングラスの下で少し目を細めた。 小さな可愛い生き物を愛でているような、そんな顔だ。 「君は、背が低いことを気にしているのか?」 「気にしても仕方ないんですけど、これが俺なんで。でもまあ、男子だからやっぱり、背が高いのには憧れます」 「私は小さい君が可愛くて好きだが」 そんなことをサラッと言われて、環はドギマギする。 チラリと横を見ると、予想以上に顔が近い。 これだけ間近だと、大きなサングラスをかけていても、その奥に隠された瞳が黄金色(きんいろ)に光っているのが見える。 瞳の色素が薄いから、いつもサングラスをしているのか。 髪の色は古典に出てきそうな漆黒だから、なんだかすごくアンバランスで、だけどそのアンバランスさが端正な顔立ちをより一層引き立てている気がする。 白く透けるような肌は、髭とか生えるのだろうか? 剃り跡なんて一切ないように見えるぐらいのつるりとした肌。 環も毛深いほうではないので、かなりつるりとした肌をしているが、黒住は更に陶器のような無機質ささえ感じるぐらいだ。 ぽうっとその顔に見惚れてしまっていると、黒住の瞳が悪戯っぽく揺らめいた。 「そんなに見つめられると、何か期待されているのかと勘違いするから止めたほうがいい」 口許が薄く微笑んでいる。 揶揄われている、と気づいて、環はまた少し唇を尖らせた。 「期待は、してます……黒住先生のこと、俺、小学生の頃からめちゃくちゃ大好きなんで」 あっ、さっきも言いましたけど、俺、高校生ですからね? だから、もう10年ぐらい先生のファンです。 そこからは、もう止まらなくなってしまった。 大好きな黒住作品について、熱く語り始めてしまったのだ。 よく考えたら、書いた本人に向かってこんなに熱く感想やら考察やらを延々と語るなんて、もしかして凄くおこがましかったりして?と、我に返ったのは、途中で運ばれてきたアイスココアの氷がだいぶ溶けて、カシャン、と小さな音を立てて崩れたときだった。 「あっ、俺……」 そのことに気づいた途端、恥ずかしくて首まで赤くなってしまった。 「ス、スミマセン、なんか、あの…」 そっと視線を横に流すと、黒住は柔らかく微笑んでいた。 なんでこんなに優しい雰囲気のひとを、一時(いっとき)でも怖いなんて思ったのだろう。 そう素朴な疑問に思うほどの。 「どうしてそんなふうに恥じるんだ?そんなに好きだと言われるのは、とても誇らしいし嬉しい」 感想も考察も、こんなふうに読者から直接聞ける機会はほとんどないからな。 「環」 彼は、親しげに名前を呼び捨てにしてくれた。 そのことが、環の胸のドキドキを極限まで高めてしまう。 「ありがとう、私の作品をそんなにも愛してくれて」 フワリと頭を撫でられた。 その白い、大きくて美しい手は、環の大好きな物語を産み出す手でもあるのだ。 まるで子どもにするようだったけれども、それでも環は嬉しくて舞い上がった。 それから、黒住が頼んでくれた数種類のケーキを、仲良く分けっこしながら――と言っても、黒住は一口程度で、後は環がほとんどだったのだが――食べて、念願のサインも新刊にしっかりして貰い、環にとっては夢のようなデート、そう、もうそう言ってもいいぐらい、甘くて濃密な時間が過ぎて。 初めて逢ったとき、あんなに緊張して恐怖さえ覚えたのが嘘のようだった。 そして、黒住はとても聞き上手だった。 環の話す学校生活の話から日常のつまらない話まで、心地よい相槌を挟みながら聞き続けてくれて、そうこうするうちに随分と時間が経ってしまったのだろう、テーブルの上のケーキ皿が全て片付けられてしまった。 環はとても名残惜しかったが、ノロノロと帰り支度を始める。 やっぱり、もう、会えないかな。 今日だって、こんなに付き合ってくれたのが奇跡みたいなんだから、高望みしちゃダメだ。 でも。 黒住の横顔を、そっと盗み見る。 今日だけで何度、そうやってその憧れてやまないひとの横顔を盗み見ただろうか。 胸がきゅうっと締め付けられるような、そんな感覚が襲ってくる。 環は、思う。 これが、この感覚が、恋に落ちた、というやつではないだろうか。 ずっとずっと仄かに憧れていた感情だ。
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