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★ゼロス
「…………え?」
ランバートからクラウルが担ぎ込まれた事を聞かされたのは、もう日付が変わった頃だった。
心臓が、痛い。キュッと縮み上がって、ドクドクいっている。
どうして……何故? 誰が、あの人を……刺された? なんで……
「ゼロス、大丈夫か?」
「あ……ぁ。だい、じょうぶ……」
頭が回らない。理解が追いつかない。色んな事を飲み込めていない。
それでも大丈夫と言わなければ、立つ事も出来ない気がした。
なにを、情けない事を言っているんだ。こんな時こそ、しっかりしないといけないだろ。あの人を刺した危険人物を早く見つけて……
「とりあえず、処置室の前に行こう。きっとファウスト様達もいるから」
「だが、俺は詳しい会議とかに出られるような立場じゃ……」
「バカか! お前はクラウル様の恋人だろ!」
ランバートの一喝にすら、反応しきれない。腕を引かれ、立ち上がって部屋を出て、階段を降りる足が震えていた。
処置室の前には、ファウスト、シウス、オスカルがいる。全員がゼロスを見て、心配そうに近づいてきた。
「平気か、ゼロス」
「はい……ご心配お掛けして、申し訳……」
「そんな事言わなくていいんだよ、ゼロス」
「酷い顔色じゃ。とても大丈夫とは言えぬぞ」
ファウストが、オスカルが、シウスが案じてくれる。これすら、今は耳を通り過ぎて留まってくれない。
頭の中が重くて鈍くて、全部に現実味がなくなっている。
「ファウスト様、クラウル様の様子は」
「あぁ。挨拶回りの帰りに、刺されたようだ。女装した被疑者を捕まえていたが、どうもそいつが刺したわけじゃなさそうだ」
「詳しい話しは聞けていないのですか?」
「最後に出た下町花街の店に辿り着いた時には相当出血があって、気を失ったまま運ばれてきたからな。傷は背中に一カ所、だが傷の中でナイフを掻き回した様子と、抜くときも歪に抜けた感じがあった。事件現場がすぐに分かるくらい血が落ちていた」
後ろ、から? 油断していたか、飲み過ぎたか。それでもあの人が不覚を取るとは思えない。それなら、もっと何か……何があったんだ。
「どうもその付近では娼婦の行方不明事件があったようで、関連を調べるが……なんにしても、クラウルの意識が戻らなければ進まない」
ファウストの言葉がすり抜けて、心臓が痛い。意識が戻らない……あの人が?
知らず、震えが止まらなくなっていた。震えている事すら認知できていなかった。隣りに立っているランバートが手を握ってくれなければ、自分の体が冷え切っている事すら気付かなかった。
「まだ、かかりそうですよね?」
「そうだな」
「この後、会議はどちらで?」
「状況の整理くらいだから、騎兵府執務室に」
「では、先にそこにいます。ゼロス、一緒に行こう」
「……え?」
「いいから」
ランバートが手を引く。それに逆らう力もない。
そうして連れてこられた騎兵府執務室のソファーに座って、いつの間にか温かいお茶が置かれていた。
「あ、りがとう」
「ゼロス、大丈夫だ。クラウル様が簡単にどうにかなるわけがない。今は落ち着かないかもしれないが、ちゃんと元通りになる」
「あぁ、分かっている、から」
「……分かってる顔をしていない。お前、顔色真っ青だぞ。頭も働いていないし、足元もおぼつかない」
そう、だっただろうか。それすらも分からない。
「俺も覚えがあるから、心配してるんだ。お前、案外こういうの打たれ弱いだろ。極端な事を考えてるんじゃないかとか、心配なんだ」
「極端って……」
「一人で犯人捜しをしようとか」
犯人。そうだ、犯人が捕まっていない。あの人を刺した張本人は何処かにいるんだ。
殺してやる。
不意に浮かんだ底のない闇が口を開ける。そこに飲まれるような気がする。どうしてあの人がこんな怪我をして、そいつはのうのうと生きているんだ。おかしいだろ、そんなの。
「ゼロス!」
「……あ」
「いいか、犯人は絶対に捕まえる。いいか、殺すんじゃなくて捕まえるんだ」
「つか、まえる? どうして……だってそいつがクラウル様を!」
「だからだ。俺達は騎士団であって、殺す事が仕事じゃない。やむを得ない場合を除き、殺しちゃいけないんだ」
ランバートの真っ直ぐな目がゼロスを見据えている。強い力が肩を掴んでいる。なのに全部が現実から遠く感じる。
まだ何処かで、受け入れていないんだ。明日からも、いつもと変わらない日常があったはずなんだ。こんな日がくるなんて、想定していなかった。
やがて、ファウスト達が執務室に来る。そして、クラウルの処置が無事に終わって、今は処置室隣の部屋にいることを教えてくれた。
「ファウスト様、今回の一見俺が預かってはいけませんか?」
ランバートが申し出るのに、シウスは難色を示した。だがファウストはジッと考えている。
「ゼロスも入れる気か?」
「はい」
「犯人死亡では、許されないぞ?」
「俺が責任もってゼロスを諫めます。だからどうか、こいつも」
「じゃが、ゼロスは今回の件あまりに近すぎる。感情に負ける」
「俺が止めます。このまま蚊帳の外に置いたら、それこそ整理つかないじゃないですか」
食い下がるランバートの言葉に、シウスは悩み出した。だがファウストが一つ頷いた。
「分かった。この件はランバートに預ける」
「ファウスト」
「俺達はやれるサポートをする。シウス、お前は暗府を抑えろ。クラウルの件が明日には伝わる。そうなれば奴等、暴走しかねないぞ」
「私に一番厄介な事を押しつけおって! あぁ、くそ! ネイサン呼んで奴を説得するのは骨なんじゃぞ」
そう言うとシウスはさっさと部屋を出ていく。おそらくネイサンに話しをつけにいくのだろう。あの人も独特で、厄介な人らしいから。
「ゼロス、詳しい会議は明日にする。麻酔が切れればクラウルも目が覚めるだろうと言っていた。ついていてやれ」
「わかり、ました」
いまいち分かっていないまま、ゼロスは一礼してエリオットの所を訪ねる事にした。
怪我の状態は、正直よくなかったらしい。ナイフはしっかり深く刺さっていて、僅かに内臓に傷をつけていたらしい。その状態で傷の中でナイフを掻き回されたのだから、内臓も血管も相当なダメージだったらしい。失血死しなかったのは、強運だったからだろう。
ベッドに横たわり、点滴を受けている人を見て初めて、全てに現実味が出た。
そうしたら怖くて、その場から動けずにへたり込んだ。
何処かで、この人は死なないんだと思っていたのかもしれない。
大きな怪我もなく、上手く立ち回り、今までこんな大きな事もなかったし、ずっと強い人だから。
でも、違う。この人も人間で、生きているのだから死ぬこともあるわけで、こんな仕事をしているのだからいつその時が来るかなんて、分からなくて……
「っ!」
声が出ないまま、息苦しさに胸を握っていた。頬を伝った涙が落ちていっても、止め方がわからない。否、この涙を止めたら今度は息が止まるに違いない。
意識の戻らないままのクラウルを見つめたまま、ゼロスは必至に震える体を抱いて、呻くように泣いていた。
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